カゴのナカ
『全身で感じた衝撃は両足を地面から解き放ち、一瞬ではあるが鳥たちの世界へと誘う。そこで見える世界は何物にも縛られず自由で、今のカラダでは見ることのできないものでした。』
危ないとそんな声は後の祭り。
横眼を向けると一寸先には銀色の車体。二つの距離に余裕はなくて、気づいた時には二つは一つ。飛ぶものと飛ばすものボールとバットな関係だった。
安心と安全。二つの合言葉に信用を許した社会生活。
自動に慣れた世代には、手動でブレーキを踏む車なんてモノは想像の範囲を超えるモノでしかありませんでした。
安全なんてものはさじ加減一つで変わってしまう、無知には判らぬ話です。
個室に一人。少年は目を開く。
目の前には見知らぬ天井。辺りを見ようと、カラダへ四肢へと力を込めた。
力の入らぬ手足、びくともしないカラダ。
動かないと漏れる声。
固定を受けたカラダには意思に反して身動き一つも許しはしない。
カラダでどんなに思い知らされても頭に理解が及ばない。理解ができない少年は無意味で無駄なあがきを続けていった。
彼を止めるものは中々来ない。
カラダは一切動かない。しかし、意識は明瞭。視覚と聴覚感度は良好。
説明もなしに現れた状況に様子を見る余裕など少年には一切ない。彼のあがきは巡回の看護師の到着まで終わらない。止める者は誰もいない。
看護婦さんに手によって視界は前へと動き出した。白色の天は白の壁へと移り変わった。
僕は息を漏らして一言零す。
「僕はどうしたんですか。」
口からは震える声。映る瞳に不安げな表情。
悩むように下向いた白衣な彼女は少年には無縁だった表情を浮かべて言葉を紡いだ。
飛翔からの落下。格好良くいえばそうなるが、起こったことは追突だ。
白色一色、白々しさを覚える部屋の中、同色なベットがぽつんと一つ。
結果がこれで、今はこれが僕の世界。
目を覚ましてから数時間、安静を持て余す少年のもとに両親が見舞いへ駆けつける。
「調子はどうだい」
「とうさん、まだ起きて数時間しかなってないけど、今のところは大丈夫だよ」」
少年は父親を心配させまいと笑顔を浮かべる。
「よかった。もしかしたらと覚悟もね」
母は瞳に涙を溜めて彼の頬を撫でる。
「ちょっと、母さんやめてよ」
思春期である彼には母のむき出しの愛情は恥ずかしいさを覚える。
顔を見た後両親は無理してきたのだろうすぐに帰ってしまった。
彼が目覚めて一晩がたった。本来ならば精密検査を行うはずであるが、彼は眠り続けていたこともあって、算段がたっていなかった。とりあえずは翌日やることに決定し、丸一日暇を持て余す結果になってしまった。
味気の薄い昼ご飯を食し、腕にはギブスがついていて本も読むことが出来ず、道路を通る車のブランドを数えていた時だ。
「暇そうにしてんじゃねーか。元気か」
突然の後ろから飛んできた声に肩をビクつかせ、振り返る。
クラスメートの一人、杉下君である。
「元気だったら、コンナ所で油なんて売っちゃいないさ。見舞いは君だけか。」
彼の軽口に対し軽い嫌味を返す。
「行きたいと手を挙げたのはそこそこだったんだけど、迷惑かけないようにと委員の俺が今日は来たという話だ。」
「暇してたからもっと大勢で押しかけても良かったんだけどな。気にしてくれたことはありがとよ」
配慮に対して感謝の弁を述べる。その言葉に彼は近くにあった椅子に腰を掛けて学校指定のカバンからクリアファイルを取り出して、
「今日来れなかった奴らからの見舞いの品だ。喜んでくれよ」
クリアファイルを受け取り中から一枚取り出す。どうやら休んでいた時のノートのコピーのようだ。
「ほんとありがとう。これでも見て時間でも潰しておくよ」
「いいって、いいって。そんなに感謝ばかりするなよ。コピーのほうは俺は全くかかわってないから奴らが来た時にでも言ってくれ」
「お前やってねーのかよ」
お互いに笑いが飛び交い病室とは思えない賑わかさを持った空間になっていった。
「ところでさ、
真面目な声色、真剣な眼差し。
「けがの状態はどうなんだ。学校にはどれぐらいで戻れるんだ」
「なんだ。心配しているのか。」
「いや…そうじゃないけど、色々あるからさ。授業速度は結構早いし」
普段のいい加減はどこへ行ったのか、真面目な態度に思わず、笑いそうになる。
「だったら問題ないよ。検査はまだ先だけど、カラダはこんなに動くんだ。すぐ戻るさ」
両腕を大の字に開いてアピールを行う。
「うん、わかった。心配したのは損だったかもな」
コロリと態度変えて杉下は早口で言葉を並べる。
「このやろう、言いやがる」
真面目な雰囲気は一体どこへ、くだらない話へと戻っていった。
杉下はその後、勉強があると「またな」と残して帰っていった。ここでやればいいと思ったが、見舞いに来たことだけでも感謝で無理強いはダメだ。
杉下が来てからの二日間は検査検査と検査続きな時間だった。寝ていても出来たはずとは思うが、触診というものが今一度脚光を浴びだして実際に患者に触ることで確認する。患者と一緒に理解することが重要そんな話だ。
医師は彼のカラダの至る所を触り押して確認を行う。
「今、押してます。痛みますか」
「いえ、特に何も感じません」
滞りなく、診察は続いた。
診察から数日過ぎた。携帯端末は黙ったまま、杉下も来ない。ベットの上で一日を過ごす日々。やることは全くない。以前杉下が持ってきた課題は終わっている。皆は大変な思いをして勉強に励んでいるだろう。置いて行かれているとそんなことを思っていたが、過ぎていく時間の中に埋もれてしまい、恐怖心ももはやない。
することもなく、端末を使い、膨大なアーカイブの中から文字を取り出して眺めていたとき、音がなくなった病室にノックの音が二回コダマする。
「ど、どうぞ」
しばらく声を出していなかった少年の口から久々に出る声は上擦る。
「調子はどうだい」
扉を開けて父は以前見舞いに行った時と同じ調子で病室へ入ってきた。
「父さん、今日は一人なんだ。」久々に見た父の顔に安堵を覚える。
以前は二人で訪れた病室だったが、今日は父一人だけだった。
「ああ。母さんはお医者さまから大事な話を受けているようだったからね。先に来たんだ。」
「僕のこと。看護婦もいつ治ると聞いても答えてくれないけど、治るのかな」
冗談のような不安な言葉を口から零す。父はギブスで覆われた両足を凝視する。
「大けがを負ったんだ数日で治るわけはないさ」
父の一言の後、音のない時間が二人を包む。
僕も父もわき目をそらし、次の言葉を待っていたが、待てずに僕は声を出す。
「失敗したな、杉下には直ぐに戻るなんて言っちゃったよ」
考えて出た言葉はそれだけだった。
「杉下君はそれから来ないのか」
父さんも少しぎこちない。気まずさを抱えるようなそんな感じだ。
「どうしたんだろうね。心配してるって言ってたみんなも来ない」
少年は不満そうに悪態をつく。
なかなか母は来ない中、少しずつ眠気を覚えてきた、夢の世界へ旅立ちまであと一歩のところまで。
「すこし、外に出ててくる」
父の言葉と扉の音が旅路から現実へと引き戻す。
少年は目をこすりながらウツラウツラする中でふと違う声が耳に入る。
それは彼が愛す両親のものだ。
「あの子はどうだった」
扉の向こうから温かみのある高い声は聴きなれた母の声だった。
「元気そうだったよ。久々に僕に合ったみたいだから少し緊張気味。」
「ええ、男の子は強がりよ。本当にしっかりしてる。あの子は」
漏れて聞こえる両親の本音にこそばゆさと勝手に聞くことに申し訳なさとほんのちょっと羞恥心が心を満たす。
しかし、知らないことをいいことに両親は彼の思いを踏みにじる。
「でも、残念だわ。もう学校にも行けないなんて」
寝耳に水な彼女の言葉に向こうの彼は直視が出来ない。
「そうか。あいつも学友が来ないことを嘆いていたが、そういうことか」
合点がいったと男は頷く。疑問の余地は全くないと。
淡々と言葉を交わす両親とそれを呑み込めない彼。
一人状況を呑み込めない彼に知らぬ事実がまた一つ。
「仕方がないわ、障害があっては」
温かみを失った声で女はぽつりと声を漏らす。
知らぬ事実に彼は思わず、息を飲む。先ほどと全く違う、普段とは全く違うその声色は、しかしながら彼が愛す母のものだ。
聞こえた声が嘘であることを信じ、聞き耳を立てる。無知の幸せを放置して。
「あんなに期待したのに、あんなに良い出来だったのに。もう歩けないなんて」
寂しそうに扉の向こうで女は嘆きを語る。
「仕方ないよ。でも、今回も駄目だなんて。精子から選別したのに。こんな事態になるなんて」
男の声色から悔しさがにじみ出る。
息を殺していた彼は初めて聞く言葉に戸惑いを隠せない。手はかすかに震え、息は少し荒っぽくなっていた。カラダは微かに震えていた。
震えに気づいた彼は震えを止めようとベッドの手すりに両手をつかむ。
「精子の選別、何のことだ。何のことだ…」
反芻するも答える人はここにはいない。
廊下の声は漏れてはくるが、病室からの声は漏れてはいかない。
「僕は知らない。知りたくない」
耳をふさいで反芻する。
「あの子は何番目だったかしら。この年まで育ったのはあの子だけだというのにね。」
「たしか五人目だ。最初の子も十までは育った。」
「でも、次の子には期待が持てるわ。あの子のおかげで取るべき母親像も分かってきたもの。病院に冷凍した私の卵子にはまだ数はあったはずよ。あなたの精子の選別のお願いが必要かしら」
「精子の選別をしなくともあの子のクローンという手もある。期待もできるさ。あんなに良く育っていたんだ。育て方も今回に近くすればうまくいくよ。」
明るくなった女の声と励ますような男の声。
二人は思い思いの言葉を交わす。あくまでもどこまで純粋に子供のような無邪気さを持って交わされているが、向こうの彼に聞かれているとは全く考えてはいなかった。
このまま二人の会話は続いていくと思われた時、終わるを告げる携帯端末の着信音。
高くなる着信音の中、二つの足音がこつんこつんと遠くなる。
音が消えて静寂が病室を包む。
耳を覆う両手を静かにゆっくり離れていく。震えるカラダを抑えようと自分自身を抱きしめて心の中を爆発させる。
「僕の変わり、僕の知らない僕の兄、僕のクローン。僕は知らない。僕は知らない。僕は知らない」
恐怖は言葉に叫びになって彼自身から放たれる。
速くなる呼吸。所々に漏れる嗚咽。止まることなく止めるものはいない。
病室は暗く、暗い中に一人、一人は孤独。
「僕はだれ。僕は何。僕は必要、もういらない…」
再び漏れる心の言葉。
答える者のいない問いは暗闇の中、静寂の中、孤独の中へと溶けていった。
何時も誰かが僕を見る。
意思はいらない。ルーチンワークな繰り返しな日々。
白々しさの象徴の中に僕は一人で、
さながら僕はかごの鳥
終劇
初めは二千文字いかないショートショートとして書くつもりでしたが、予想以上に長くなりました(笑)
楽しんでもらえたら幸いです。
感想いただけたら嬉しいです。