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茅野洗多

 近年、過激・凶悪化した犯罪が激増するに従って警察官の殉職率は急激に跳ね上がっていた。これを憂慮した警察庁では、ジークフェルト・サイエンス研究所と共同で“ポリテクト・ジャケット”と呼ばれる防護スーツを開発した。

 警察庁では当初、殉職率を下げるプロジェクトのパートナー企業を決定するにあたって、二つの対極的な選択で大きく意見が分かれていた。一つは、世界最高水準のAIで動くオートマトンによる自己進化・自己増殖を最終到達点とするフリボリッツ、ロックス=ヒル、ソニアンの三大企業連合。もう一つは、人間の持つ可能性を科学技術によって最大限に伸ばすことを目的とするジークフェルト財団。最終的な決め手となったのは、機械に負けてなるものかという警察官の人間としての意地と誇りだった。

 警察庁は、危険度レベルを五段階に分類し、レベル三以上の犯罪に対しては“ポリテクト・ジャケット”の着用を義務づけ、レベル四〜五の犯罪に対しては、現場の状況に応じて“ポリテクト・アーマー”と呼ばれる“ポリテクト・ジャケット”を着用した警察官が搭乗する機動兵器の使用を許可していた。

 “ポリテクト・ジャケット”に使用されている新素材“ヒトエ12(ツウェルブ)”は、十六歳の天才工学博士ヒトエ・トリガー・アズマによって発明された。十二層構造からなる特殊線維に超衝撃吸収ジェルをコーティングしたもので、従来の防弾チョッキと比べ極めて軽量で、一万倍の強度を誇っていた。彼女は、大学にスキップせずに、普通の高校へ通っていた。その理由について、彼女自身が「私は、まだ十六だから」と答えている。


 二○八九年七月十七日 午後三時 横浜

 Dr.カルルの工場がある横浜市戸部地区は『MM21創世記計画』から取り残され、一時期ゴーストタウンと化していたが、変わり者の研究者や技術者が集まり、独自の文化圏を構築した。どこか昭和の趣きを感じさせる街並みが評判となり、数多くの観光客が訪れるようになっていた。

 Dr.カルルの工場は、観光客の多い大通りから少し離れた人通りの少ない場所に建てられていた。二百坪の特殊鋼筋コンクリート造地下一階、地上三階建ての建物で、一階が工場、二階が研究室、三階が事務所兼住居となっていた。

 正式には、Dr.カルル総合工学研究所というこの建物を“ラボ”と呼んでいるのはスパンだけで、仲間たちはみんな“工場”と呼んでいた。マイロに至っては“カルルじいさんのおもちゃ工場”と呼んで茶化していた。Dr.カルル自身も「発明の設計図は全て儂の頭の中にある。ここはそれを現実に製品として組み立てるための工場に過ぎん」と公言している。


 Dr.カルルの工場の閉まっていたシャッターが、ガタガタと悲鳴のような音を立てながら上がっていった。

 Dr.カルルの孫娘ヒトエが、パイロットキャップにゴーグル、マスクに白衣といった姿で工場の中から出て来た。彼女の素顔と赤毛を覆い隠していたものを全て外して地面に放り投げると、大きく背伸びをした。

 ヒトエは、工場に向かって歩いてくる青年に気づいた。

「おっ、凪原くん。どこ行ってたの?」

 凪原和也は、手に持っていたレジ袋をヒトエに見えるように、顔の横ぐらいまで持ち上げた。

「おやじさんにアイス買って来いって言われて、コンビニに行ってたんだ。ヒトエちゃんのもあるよ」

「ありがと。でも、あんまり黙ってウロウロしちゃダメだよ。私は、スパンから君のことを頼まれてんだからね」

「ごめん、ごめん。ヒトエちゃん忙しそうにしてたから、声をかけなかったんだ」

「遠慮しないで言ってよね、お使いなら私が行くからさ」

「居候の身で、ヒトエちゃんにお使いまでしてもらうのは、申し訳ないよ」

「何言ってんの。君は、我が家の大事なお客様なんだよ。こっちがお世話して当然じゃん。全力でもてなすよ〜」

「アハハハッ、ありがとう」

「おーい小僧、戻ったのか? 抹茶アイスあったか?」工場の奥の方からDr.カルルが凪原に声をかけた。

「運良く、一個だけ残ってましたよ」

「よーしっ、グッジョブじゃ、小僧」Dr.カルルは、思わずガッツポーズをした。

「ご苦労じゃったのう。後で食べるから、冷蔵庫へ入れといてくれんか」

「はい、わかりました」

「!」何かの気配を感じて、凪原は一瞬、身構えた。

「こんにちは、ヒトエちゃん。来たよー」いつの間にか二人の目の前に、横浜四ツ葉学園の制服を着た黒縁メガネの少女が小さく控えめに手を振っていた。

「あーっ、洗多ちゃん! 今日は無理いってゴメンね」

「全然、大丈夫だよ」

「洗多ちゃんのジャケット装着用モールドベースは、もう工場の中に搬入しといたからね」

「ありがとう」

「丁度良かった。凪原くん、彼女、君のボディガードをしてくれることになったクラスメイトの茅野洗多ちゃん」

「ど…ど、どうも、茅野です」洗多は、凪原に深々とお辞儀をした後、顔を上げると凪原と思い切り目が合った。

 凪原は、何も言わずに洗多の目をじっと見つめていた。

 洗多は、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして俯いてしまった。

「どうかしたの凪原くん? そんなに洗多ちゃんを見つめちゃダメだよ。若い男の人が苦手なんだから」

「君は……人間じゃ…ないよね」

「えっ……」洗多は驚いて、凪原の顔を見上げた。

「何で、何で?」ヒトエのうろたえぶりは、尋常ではなかった。

「本当の君は、どこにいるの?」凪原は、周囲を見回した。

「あなた、何者なんですか? 誰にも私の“共生体(シンビオント)”の正体を見破られたことなかったのに……」

「君は、オートマトンでもないただの人形を、思念だけで生きた人間のように見せているんだよね」

「人形じゃなくて“シンビオント”です」

「洗多ちゃん、それ以上話さなくていいよ」

「凪原くんも、もうやめてよ」

「いいの、ヒトエちゃん。もうバレちゃったんだから」

「だって……」

「あなたの言うとおり、本当の私は、ここにはいません。本当の私は、病院のベッドの上で六年間、眠り続けたままなんです」

「えっ………」

「ご、ごめん…僕は君の気持ちも考えずに、いい気になって…本当にごめん」凪原は、洗多に頭を下げた。

「!」

 洗多は、前方二百メートルほど先の路地から不意に現れたスキンヘッドの清掃作業員が放つ異様な殺気を感じとった。

「話は後にして、工場の中に入りましょう、さぁ、早く、早く」洗多は、戸惑うヒトエと凪原の背中に手を当て、有無を言わせず工場の中へと押し込んだ。

「おじい様、ご機嫌よう」

「おう、洗多か、よう来たのう。慌ててどうしたんじゃ?」

「ヒトエちゃん、シャッター閉めて!」

「わ、わかった」ヒトエは、入口横のシャッターの昇降ボタンを押した。シャッターは、ガタガタと悲鳴のような音をたてながら閉まった。

「おい、おい、何事じゃ?」

「おじい様、急いで防御壁を上げて下さい」

「それと、私の警察庁専用回線に繋いでおいて下さい」

「お…おう…?」訳がわからないままDr.カルルは、地下にある集中管理システム室へと向かった。

「ヒトエちゃん、凪原さんを連れておじい様のところへ」

「うん、わかった」

「凪原くん行こう」

「君は?」

「私は、あなたのボディーガードです。やるべきことをやります」洗多はそう言って、ジャケット装着用モールドベースへ向かって走った。


 集中管理システム室に入ったDr.カルルは、防御壁を起動させた。シャッターとは比べものにならないスピードで、幾重もの防御壁が地面から工場の高さまで突き出て、工場の四方を囲んだ。


 洗多は、工場に搬入されていた厚さ一メートル、幅五メートル、長さ十メートルの黒い長方形の土台の中心に、土台の幅と同じ一辺五メートルの黒い立方体が乗ったジャケット装着用モールドベースの前に立っていた。

 洗多は、制服を脱いで下着だけになり、メガネを外して脱いだ制服の上にそっと置いた。

「モールドシステム・スタート」

「モールドシステム・スタート」彼女の声に反応して、モールドベースのAIが復唱した。

「オープン」

「オープン」モールドベースのAIが復唱すると、黒い立方体が中心から左右二つに分かれた。黒い長方形の土台の上を二つに分かれた黒い立方体の左右それぞれが外側に向かってゆっくりとスライドして、二メートルほどの隙間を空けて停止した。左右の断面が、ポリテクト・ジャケット“鋼鉄の処女”の前面と後面の射出成形金型のようになっていた。彼女は、左右二つに分かれた黒い立方体の間に立った。

「モールディング」

「モールディング」モールドベースのAIが復唱した。黒い長方形の土台の上を左右二つに分かれた黒い立方体の左右それぞれが内側に向かってゆっくりとスライドして、彼女を伝説の拷問器具“鉄の処女”にかけるかのようにして閉じた。

「コンプリーティッド」

「リリース」モールドベースのAIの音声で、再び、黒い立方体が中心から二つに分かれ、左右それぞれが外側に向かってスライドして、二メートルほどの隙間を空けて停止した。

 左右二つに分かれた黒い立方体の間に、漆黒のポリテクト・ジャケット“鋼鉄の処女”を装着した洗多の姿があった。漆黒の流線形フルフェイスの両眼に相当する左右のヘッドライトとスモールライトが青白く点灯した。

 シャッター横の出入口ドアから外に出た洗多は、背中のジェットエンジンに収納されていたM字型ガルウィングを開いて、ジェットエンジンを噴射させた。目の前に聳えている幾重もの防御壁をいとも簡単に飛び越えて、スキンヘッドの清掃作業員の前にゆっくりと降下した。

「ジジィ、聞こえてるか?」

「おっ…おうっ、良く聞こえとるぞ」

 ヒトエと凪原も集中管理システム室へと入り、モニター前に座っていたDr.カルルの後ろから、立ったままモニターを覗き込んだ。モニターには、屋上に設置された監視カメラから、外の様子が映し出されていた。


 スキンヘッドの口がゆっくりと静かに開きはじめた。

「ウワッ! キモッ! このハゲ、何か私に干渉してき……」

 スキンヘッドの口が光った。

 彼女の右上肢の付け根部分から血飛沫が上がり、右上肢が鈍い音をたてて、地面に転げ落ちた。

「キャーーー! 洗多ちゃーーん」興奮したヒトエは、目の前に座っていたDr.カルルの後頭部を掴んで、モニターのコントロールパネルに押さえつけた。

「こりゃ、手をどかさんかーー! バカ孫ーーー!」

「あっ、ゴメン。おじいちゃん」ヒトエは我に返って、すぐにDr.カルルを押さえつけていた手を離した。

 Dr.カルルは、コントロールパネルのボタン跡がついた顔を撫でながら言った。

「ヒトエ、心配するな。洗多なら大丈夫じゃ」

 スキンヘッドの閉じた口の周辺を陽炎が揺らいでいた。

 洗多は、地面に落ちている自分の右上肢を冷静に見つめていた。

 スキンヘッドの口が再びゆっくりと開きはじめた。

「……」洗多は、微動だにしなかった。

 スキンヘッドの口が再び光った。

 今度は、洗多の身体に何の変化も起こらなかった。

「?」スキンヘッドは、少し首を傾げた。

「もう、その手は通じないから」

「?」スキンヘッドは再び、少し首を傾げた。

「どういうこと? 洗多ちゃん」

「このハゲの背中に隠れているチビが悪さしてたんだよ」

「背中に隠れているチビ?」

「そう。そのチビが、ハゲの発射した高水圧レーザーを、私の体内に“空間転移”させて内部から切り裂いたんだ。どんなに強力な装甲もコイツらには関係ないんだ」

「一度目の攻撃でタネが解ったから、二度目の攻撃では、その“空間転移”をブロックしたという訳ね」

「ねぇ、ヒトエちゃん。さっきから彼女の言葉づかいがおかしくないかな?」

「ああ、洗多ちゃんは、ジャケットを装着すると性格変わっちゃうんだよ。車のハンドル握ると性格変わっちゃう人みたいにね」

「へぇー……」

 洗多は、左腕を頭上高く突き上げた。左前腕の周りから十基の超小型ロケットランチャーのようなものが飛び出し、十個の閃光が上空に向けて一気に打ち出された。上昇を続けていた閃光は突如、方向を換え、猛スピードで急降下し始めた。

「?」スキンヘッドは三たび、少し首を傾げた。

 スキンヘッドの両足の甲に、左右それぞれ五本ずつのクロスボウの矢のようなものが、突き刺さった。

 スキンヘッドの作業服の背中部分を突き破って、赤ん坊が顔を出した。

「ウギアァーーーッ! ウギアァーーーッ!」赤ん坊は、思い通りにならない洗多に対して、狂ったように癇癪を起こしていた。その眼は、白い部分が無く、光の届くことのない底なしの穴のようだった。そこから血のように真っ赤な悔し涙をたれ流していた。

 洗多の攻撃によって、両足の自由を奪われたスキンヘッドは、串刺しにされた両足の甲を覗き込むようにして口をゆっくりと開いた。

 スキンヘッドの口が光った。

 自分の両足首を高水圧レーザーで切断したスキンヘッドは、前のめりに倒れそうになる身体を地面に両手を突いて防いだ。

「ウギアァーーーーーッ!」赤ん坊が、断末魔のような叫び声を上げると、スキンヘッドの姿が一瞬にして消え去った。後には、串刺しになった両足だけが残されていた。

(逃げたか………それにしても、あんなヤバイ奴らに狙われる凪原って、一体何者?)

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