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幸福な王子

 二○八九年七月十六日 午後十時 東京

 コーネリア・キルドレーンは、国立の自宅マンションに戻っていた。彼女はベッドの上で膝を抱え込んでじっと見つめていたーーベランダと部屋を隔てている窓ガラスに打ちつける雨粒が加速度をつけて上から下へと流れていくのをーー。その瞳の奥には何も映ってはいなかった。

 キャンディス・メロンは、ベッド横の小さなガラステーブルにティーポットとティーカップを乗せたトレイを置き、ベッドにいるコーネリアの横に腰かけた。

「大丈夫?」

 この言葉で、コーネリアは自分を取り戻した。

「えっ、ええ」

 メロンはティーカップに紅茶を注いで、コーネリアに差し出した。

「ありがとうございます」

 コーネリアは、ティーカップにそっと唇を近づけ、紅茶を一口飲んだ。

「雨は好き?」

「どうしてそんなことを聞くんですか?」

「別に深い意味はないんだけど、私はとても好きなの。雨音のリズムが心をすごく落ち着かせてくれるから」

 コーネリアは、雨粒が打ちつける窓ガラスに視線を向けた。

「私は嫌い。子供の頃、雨が降って学校に行くのが嫌になった日は、よく部屋で本を読んでいたんです。ズル休みして」

「でも次の日、学校へ行くと先生や友達が優しくしてくれて、“私は嘘をついたのに”、“みんなを騙したのに”っていう罪の意識にいつも苛まれてしまうんです」紅茶をもう一口飲んでテーブルの上に置いた。

「一日経てば、すっかり忘れてるんですけど、雨の日に突然、罪の意識が甦ってくることがあるんです」

「そんな時、すごく嫌な気持ちになって、どうしようもなく自分のことが許せなくなるんです」

「純粋なのね。私にもそんな頃があったような……う〜ん、あったかしら? 思い出せないわ。もうおばさんだから」メロンは、ベッドから立ち上がり、テーブルを挟んで向かいにある二人掛けソファーに座った。

「メロンさんは、おばさんじゃないですよ」

「当たり前でしょ! あなたが否定しなかったら叩くところだったわよ」

「プッ……」

「やっと笑った。やっばり笑顔が一番ね」

「ありがとう、メロンお・ば・さん」

「殺されたいの?」

「アハハッ、ごめんなさい」

 コーネリアは、ベッドの上で仰向けに寝転んだ。彼女の視線は、天井の照明に向けられていた。

 コーネリアは瞼を閉じた。窓に打ちつける雨音に耳をすましてみると、メロンの言うように少し落ち着いた気がした。瞼を開くとゆっくり起き上がり、ベッドの端に腰掛けた。

「メロンさんは、神様って信じてますか?」

「もちろん信じてるわよ。どうして?」

「九年前のことですが、私は殺人鬼に首を絞められて殺されかけたんです。意識がなくなる寸前まで、“神様助けて”って心の中で祈り続けましたが、パパが仕事で戻れなくなって、真夜中のホテルにひとりぼっちでいた私を助けに来る人なんていないと諦めていました。でも、目覚めると男の人が手を差し伸べてくれていたんです。朝日が眩しくて顔はよく見えなかったんですけど……」

 メロンは腕を組んで、少し考えていた。

(サードマン現象? いや、違うわね。実際に彼女は誰かの手によって助けられているんだもの。“ヘブンズチャイルド”の可能性は? 九年前には、一人も報告されていないからこれも違うわね……“ストラルドブラグ”のことは、後から詳しく説明するとして、今は)

「て、天使だったんじゃないのかな。きっと神様があなたの祈りを叶えてくれたのよ」

「翼のない天使なんて……メロンさんって、意外とロマンチストなのね」

「聖書には天使の翼に関する記述はどこにもないらしいの。翼は、他の宗教や文化の影響を受けたものだから、そこは気にしない、気にしない」

「私の守護天使……もう一度会ってみたいな」

「ストーカーかもよ」メロンは、意地悪っぽく言った。

「またぁ、メロンさんたら」

「あっ! それはそうと、メロンさんと一緒に私を此処まで送ってくれたスパンさんって、恋人なんですか?」

「恋人? 冗談やめてよ そんなんじゃないわよ」

「すごくお似合いだと思ったんだけどな」

「あいつ、普通じゃないんだよ、身体全部改造されてるからね」

「えーっ、本当ですか?」

「本当よ。それにあいつ大好きなのよ、エロDVDが」

「えーっ、怖い、怖い。メロンさんダメですよ、そんな危ない人と一緒にいたら」

「あんたも処女なのね」

「うっ……」コーネリアは、顔を真っ赤にして俯いてしまった。耳まで真っ赤だった。

(……あんたも? も? もって誰??)

「スパンが機械仕掛けの身体になったのは、タバコの吸い過ぎが原因だと本人は言ってるんだけど、本当は、権力争いに巻き込まれたある財閥の少女を武装ヘリの銃撃から庇ったからなの。その銃撃のせいで、脳と心臓を除く身体の殆どを失うはめになったっていうのに、ずっとその子のことを心配していたわ。他人のことばかり優先して、自分のことは、最後の最後。身に付けていた宝石の全てを人々に与え、最後は鉛の心臓だけを残して溶鉱炉で溶かされてしまった幸福な王子みたいにね」

「じゃあ、メロンさんはさしずめ、王子の願いを叶えるために奔走するツバメってところですね」

「ツバメ? 無い、無い、ツバメは王子にキスして死んじゃうよね! 私は、自分のことが一番大事。自分のことが大好きなの。それとお金ね」

「聞いて損した」

「聞きなさいって! もっと私のことを聞いてよ! もっと私のことを構ってよ!」

「メロンさんは、間違いなくB型ね」

「当たりっ! 私は、自分の心に正直に生きてるの」

「メロンの座っていたソファーの少し上にあるVフォンが鳴った。

 メロンは立ち上がって、Vフォンに出ると、ジョン・スパンとパット・ジェネロウの二人が映っていた。

「何しに来たの?」メロンは、眉間に皺を寄せた。

「彼女のことが心配で来たに決まってるだろ」思いっきりVフォンに顔を近づけた。

「バカッ! 気持ち悪い」解錠スイッチを押してから、寝室を出て玄関へ歩いていった。

 ドアを開けると見知らぬ男が立っていた。

「だ、誰?」

「Mr.紅〈コウ〉だ」見知らぬ男の背後からスパンの声がした。

「驚かせてしまって申し訳ありません。私は、警察庁警備局特別警護課のガーディアンで紅と申します。国家中央事務局総裁の要請により、ミス・キルドレーンの身辺警護を命ぜられました」と警察官IDカードを見せた。

「どうぞ、お見知りおきを、ミス・メロン」ニッコリと微笑んだ。

「あなた、本当にオートマトンなの? 信じられない」メロンは、紅の人間らしい自然な表情に驚いた。

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