ある探検家の一時 + ある奉公人の一時
昼夜が反転するという現象が起こる境海線。その線上に一番近いとされ朝が最初に訪れる地、それ故に北の大地と呼称されるランテノール。そのさらに北西に存在する元々はランテノールの一部であった分たれた地、リーヒランテ。その北端に位置する、ここは彼岸の淵。そう呼ばれるこの都市は様々な目的を持った人間が訪れる。魔王討伐後も引き続き行われる彼岸荒野の監視に関係する各国騎士団の関係者。戦後、大戦時の戦闘における残留魔素の影響で増加した魔物の討伐による報奨金を糧とする魔物狩り。大戦で失われた人々の鎮魂を願い訪れる慰霊者。また戦後の混乱期にどさくさに紛れて入り込んだ無法者集団、それを追ってきた賞金稼ぎなど。それらを挙げ始めれば限りがない。
その都市の核となったのは大戦時、魔王軍撃滅のために築かれた同盟軍本陣である。強固な結界魔法を基に築かれた広大な陣地には戦後も監視任務のために各国から騎士が送られた。そして、それに付随する人々の営みがこの四十年と少しの歳月がこの辺境に都市を形成した。
都市はその周囲を結界魔法の上に築かれた二層の防壁がぐるりと囲む。彼岸の淵に住む者のほとんどは内壁と呼ばれる二層目の中に築かれた門内と呼ばれる都市内において暮らしているが、無法者や魔物狩りなど一部の者は門外と呼ばれる外壁と内壁の間の土地で暮らしてる。
そもそも、この地はもともと人の住めるような土地ではなかった。それは魔王の拠点がこの地に出現する前からだ。魔王の拠点である緋の牙城が現れたのは約七十年前、その前に存在したのは環境適応能力に優れた龍種からも還らずの地と呼ばれていた。実際、地図の作成協力を頼まれ訪れた百年以上前にはそのとおりであると感じたものだ。この地の危険性を表すものとしてまずあげられるのが呪いの疵口と呼ばれる場所である。まるで呪われたかのよう大地の裂け目が塞がっては裂けるという事を繰り返しそこから流血するかの如く溶岩が溢れ出すという近づくのも危険な溶岩地帯である。それを始めとした危険地帯が乱立するこの地において人々が暮らすにはあまりにも無謀であった。そこに出現したのが大戦の要因となった第四の魔王であった。突如として現れた人々の天敵はその力によって危険地帯を自らの城を守るような形に変化させると同時に戦の舞台とするようにこの彼岸平原を作り出した。そして、自らの下僕となる魔族を生み出しそれらを使って魔物を自らの支配下に置いた。後に魔王軍と呼ばれる軍団の誕生である。そして、魔王が人類抹消を掲げ全世界へと侵攻を開始した地であり、未だにその総数を図りきれない数多の犠牲の果てに討ち果たした人魔大戦と呼ばれる大戦の最終局面である彼岸戦役、その最後の人類側本陣跡がこの地であった。
一部を除いて薬臭いと大絶賛だった特製薬草酒。それに手を加え更に薬効成分を高めた飲めば百薬の長間違いなしの自家製酒をチビリチビリとやりながらの筆の進みは遅い。
「旦那ぁ、何書いてらっしゃるんですかぁ?」
ベット上から寝惚け半分なのか普段に比べると声の甘ったるさが三割増したように感じる声をかけられた。まだ夜明けには長く夜の帳は深い時間だ。この時間に稼ぐ商売の時間の人間でも一度寝付いてしまうと眠気は簡単には冷めないのだろう。
「なあに、大したことではない覚え書きじゃよ。この歳にもなると物忘れが酷くてな。」
過ごしてきた日々において年を数えるのをやめてどの位の時が経ったであろうか、既にそれすらも朧気なこの身である。
「あら、そのようなことをおっしゃるのですか?あれほどに逞しさをお持ちですのに。」
薄衣を羽織っただけの女将は部屋の中に漂う弛緩した空気の中に微かにのこる情交の香りに身を委ねているようだ。
「ふふ、こちらもな。久しぶりのことで何とも夢心地であったよ。」
机の上にある蛍淡石のランプを消し書き物をすることをやめ布団の上に戻るとそこで胡座をかき近くに徳利とお猪口を載せた盆を置いた。
「あら、いいんですか?」
聞くような言葉をかけながらも既にその体はこちらの膝にしなだれかかってきていた。
「いいのさ、別に焦るものでもない。」
こちらが猪口を持つと女将は手慣れた手つきで酒を注いだ。薄緑色をした酒を注がれた猪口は広く開けられた戸から室内を照らす青の月をその水面に浮かばせていた。
「今日は、こんなにも月の光が強かったのだな。」
明かりをすべて消したことで改めてそのことに気付いた。
「ええ、後二週間もすれば光月祭の時期ですからそれまで月は力をつけていきましょう。」
光月祭とは、確かリーヒランテから北へのぼり境海線を越えた先にあるエテライストの南東部に存在する陽火の国で行われる祭りだ。そういえば女将はそこの出身であると聞かされた覚えがある。陽火の国は狐種が国の大多数を占めていると記憶している、女将も多分に漏れず狐種であるがその中でも少数の霊狐と呼ばれる長命な種族である。聞いた話では、陽火の国において霊狐は高貴なる血筋の者に多いらしいが貴族のお手つきになった者からも極稀に生まれる事例があるという話だ。女将がそうであるか否かなどは野暮にも程があるので聞いたことはない。だが、そんな余計な事を考えられる程度には酒の濃度が薄くなってきたらしい。
「なんですよう、そんな楽しそうになにか面白いことでもあったので?」
知らず知らずのうちに口元に笑みを浮かべていたようだ。
「ふふふ。それはな・・・」
注がれた酒を一息で布団の脇に転がしてあったカバンを引き寄せ中から小箱を一つ取り出して鍵を外して女将に手渡した。
「あら、見事な細工ですね。」
女将は手に取った箱をまじまじと見ると声を上げる。
「ふむ、わかるか。それはな、無名だがなかなかに良い腕を持つ者が拵えたのよ。」
「いえ、ほんのすこし齧った程度ですがね。こんな仕事長くしてるとね、ある程度の目が必要になってくるんですよ。」
女将はそう言うとカスミソウを象った銀細工を一撫でしてこちらに顔を向けた、
「ほれ、開けてみなさい。」
「よろしいのですか?」
確認の問いに無言で頷いた。その様子を見た女将は箱の蓋を開くと声を上げる。
「あら?これは思い石ですか?でもこんな式は見たことがないわ。」
箱の中には五つの区画にわけられそれぞれに一つずつ水晶が入っている。その内の三つは透明で中心部に小さな亀裂あった。色が残ったものの一つは色彩が水面が揺れるように絶えず流動する碧い水晶と光の一切を吸収するような黒水晶がそれぞれ収まっていた。
「うむ、その通りこれは思い石の一種じゃ。」
おもむろに透明なうちの一つを取り出しその表面を少しだけ魔力を込めた指先でそっと撫でると透明だった水晶は薄く赤く染まった。
「まぁ、作ったやつは記念品といっておったな。」
もう一度そっと撫でると水晶は無色に戻った。それを元の場所に戻し、違う透明な水晶を手に取った。
「そしてな。今日、これの色が抜けたわ。」
手に取ったそれを同じように撫でると薄く紫に染まった。
「それは・・・、ご愁傷様でございます。」
「ふふ、なぁにちょいと顔を見てきたが苦しんだ様子もなかった。元々、十年も前から本人から聞いていたからな。十年間準備したのじゃ悔いも少なく逝ったであろうよ。じゃからな、今宵は自由の身になった奴めへの餞の酒じゃよ。」
水晶を戻しながら箱を受け取り、ふたを閉め鍵をした小箱をカバンに仕舞う。そして、いつの間にか用意されていた煙管盆に置いてある煙管に手を伸ばした。
「それは、随分と前から準備されていたのですね。」
煙管を口に運ぶと女将がゆるりとした動作で燐寸を使い火をだした、
「うむうむ、昔は準備などせず着の身着のままで飛び出すような奴であったよ。」
紫煙をくゆらせながらその日はそのまま、ゆるゆると女将と会話を続け空が白み始めた頃にその柔肌に包まれるように眠りに入った。
「じゃから、これは夢であろうよな。」
ふと気が付くと何故か再び立っていた祈りの祭殿内で、そう独り言つ。目の前には、剣を抱いたまま永久に眠る一人の女帝・・・いや一人の女がいた。
安らかに眠るその様は、皇帝の昇り立つ様なオーラとも言うべき存在感は鳴りを潜め猿種にしたら三十代後半にしか見えぬ若々しさとただ美しさだけがあった。
「くく、何とも可愛らしいものよな。」
相対してる時のほとんどが、その半分を仮面に隠されていながらも良くわかるしかめっ面であった。しかし今、その顔は安らかさに満ちていた。その顔には、何時か伸ばしてやろうと思っていた山脈のように深く刻まれた皺があった。何時か伸ばしてやろうと思っていたがその必要もなくなったようだ。
「しかしなぁ、何も最後の最後までそんなもの握っとらんでもよかろうに。」
そんな安らかな表情とは裏腹であるが利き手にがっちりと愛刀を掴んで離さない、その様子に呆れながらもこやつらしいなと思い可笑しかった。
「そんなもの持ってアレに会いに行ってどうするつもりじゃ、なんと色気のない。我輩なら艶っぽい下着の一つでも持っていくわ。ま、アヤツの事だ。笑いはせんじゃろうがな。」
カカカと笑うと相手の口が微笑んだように見えたのは気のせいであろうか、伝えておくべきことは伝えて置かねばと思い出す。
「昼にも言った気がするがの、頼まれていたことの一つの目処はたった。相手が相手なだけにの、ちいと手こずったがようやっと影を捉えたわい。なあに、ここまでわかれば後は捕えるだけじゃ。必ず、お主の願いどおりにするからの。」
そう口にした途端、女だけを照らしていた光が目を開けられないほどに強くなり世界を包んだ。
「おい、颯太ちょっと来な。」
朝の日課である水汲みを終え。店先の掃除していると大番頭さんから声をかけられた。玄関前を掃くのに使っていた竹ぼうきをそそくさと用具置き場に置くと大番頭さんの書斎に足早に向かった。そこにはでっぷりとした体が目立つ狸人のお大番頭さんと先に呼ばれていたのか用心棒の仁左さんがいた。燃えるような赤い毛並みを持つ狼人の仁左さんは胡坐をかいて肩に陽火太刀の愛刀を立てかけながら柱に寄りかかっている。
「ちょいと、仁左の旦那と一緒に黒の門外の脚屋、スリープウッズまで使いに出ておくれ。」
はて?と不思議に思い返事をした。スリーピーウッズは脚屋と呼ばれる騎士団や許可を受けた商人を除いた人々が乗ってきた騎乗動物を預かる厩舎の中でも有数の店だ。
「はい、でもなぜ旦那も一緒なので?」
門外は門内に比べれば危険があるとはいえスリーピーウッズは緋の牙城に一番近いという位置の関係で精鋭が集められた黒の門のすぐ近くにあり何かあれば門を守る守護兵たちがすぐに飛んでくるような場所に店を構えているからだ。
「今回のことにはな、万が一でも失敗はあっちゃあいけねぇのだよ。旦那には事の仔細を話してあるから道すがらに聞きな。」
大番頭さんがそこまで言うと仁左さんがゆらりと立ち上がり裏口のほうへ足を向けた。それについて行こうとしたら大番頭さんに声をかけられる、
「ああ、そうだ。陰間まがいの魔娼遊びはもう辞めておけよ。火遊びもほどほどにしな、女将さんには黙っといてやる。」
声は平静であったが、こちらをみる大番頭さんの視線の底知れない恐ろしさに返事もできずに首を縦に振った。
仁左さん曰く、女将さんはお客人について街に出ているらしい。いつもは表に出るような仕事をしない女将さんがお客さんの町案内を自らがしてるってんだから驚きだ。何でも昨晩ベロベロに酔って入ってきたお客人をちょうど女将さんが見かけたらしかった。そのお客人は女将さんが暮らす離れで宿泊されたらしい。
彼岸の淵に存在する陽火式の宿でも随一として知られる碧玉亭。大戦時、この同盟軍本陣において戦士たちの無聊を慰めるため様々な人間が集められた。そのうちの一人がこの碧玉亭のその女将さんだ。当時は魔娼として彼岸の淵に来たらしいが大戦後の動乱期に碧玉亭の前身となる妓楼を作りそこから徐々に水から足を抜き今の碧玉亭になったそうだ。もともと陽火の国でも無風の話娼とも呼ばれ評判の良かった女将さんの客筋は肉体的悦楽よりも精神的安寧を求める人がほとんどだったそうで妓楼には行きづらい立場の人間からは普通の宿になってよかったとの声も上がったとの事。
使いの内容は、件のお客人は昼には宿を発たれるという事でスリーピーウッズに預けているものの迎えという事らしい。そしてスリーピーウッズの店先についたとき仁左さんの助力が必要な理由を知った。そこにいたのは銀色に輝く毛並をもつ二頭の巨狼であった。それぞれ、体の大きさが五メートルは越えようかという巨大さである。しかし、その巨大さと裏腹に二頭が持った雰囲気は深い静謐である。覗き込む者を掴んで離さずどこまでも引きずり込むような恐ろしさを感じ身体が動かなくなってしまった。すると仁左さんに背中を軽く叩かれた。不意に体が動くようになり弾かれたようにスリーピーウッズの受付までの距離を駆けた。
手続きを終えて碧玉亭に巨狼を連れて戻る。その道中の間、暴れませんようにと願うこちらの意を汲む様に二頭共に終始先導する此方に静かについてきていた。町の人の反応は自分のように恐れる人が多かったが何故かありがたそうにしている人が数人いたのが目についた。店につくと裏戸に行くように指示されたのでその通りにすると裏戸近く置かれた竹の縁台で見たこともない位に美しい狐種の女性が一人の子供を膝の上に座らせていた。
子供は、こちらに気づくと女性の膝上からふわりと羽毛が飛ぶかのように軽やかに地面に降り立った。恐らく少女だと思う子供は、透けるような銀髪は滝のように編み込まれその所々に装飾品がつけられていた。何らかの文様が描かれたサイズの合わない大きな貫頭衣の先からちらりと見える指先は褐色の肌をしている。碧眼の瞳をした中性的な少女の耳は猿種のそれより少し長かった。それは恐らくエテライストの東に位置するエテラパティノに存在する大森林内で生活すると言われるエルフという種族じゃないかと推測した。まぁ、実際に見たことはないからわからないのだけれども。
「颯太!お客様のことをジロジロ見るんじゃないよ。礼儀ってもんがあるだろう、何度言ったらわかるんだい。」
知らないはずの狐種の女性から聞き覚えのある声で一喝され混乱しながらも口から謝罪の言葉が衝いて出た。
「そんな何も考えてない様な返事でいいと思ってるのかい!」
ゴツリと感じた女性の華奢そうな拳から感じた痛みは恰幅の良い女将さんからもらう拳骨と一緒だった。少女はそんなこちらの様子に面白そうに眺めていたがやがて満足したようにこちらから視線を切った。そして、縁台の上においてあったその見た目とは似つかわしくない重厚で無骨な鞄をまたしても似つかわしくないような力で巨狼の一頭に放り投げた。鞄に近い方の巨狼がそれを器用に咥えると凄まじい速度で走り去った。
残った巨狼がその場で伏せると少女がいつの間にかその背に乗っていた。その動作が全くわからなかったので驚いていると巨狼がゆっくりとその身を起こした。
「ではな女将、世話になった。またその内に寄るとするよ。」
巨狼の背から女将に声をかける少女は堂々とした様子であったが、どう見てもその容姿からすると子供が偉ぶってるようにしか見え無かった。しかし、それに対応した女将さんの表情は真剣そのものであった。
「またのお越しを心よりお待ちしております。」
女将さんはそう言うと深く深く頭を下げた、それを見るとこちらもそうしなくてはならないような気がして深く頭を下げた。
「では、さらば。」
その言葉に頭をあげるとそこに少女と巨狼の姿は影も形もなかった。何も感じさせず幻のごとく消えてしまった。最後まで驚かされたが結局少女が何者だったのかその時はわからなかった。
後で女将さんに聞いた話だがあの少女だと思っていた子供は大戦の英雄として知られるキュカ・リアスエロその人である。女将さんの話だとあの方はその日によって気分で姿を変えるらしい。自分は知らなかったのだが宿に入ってきたときの賢者様は若い青年であったらしい。何故女将さんが賢者様だとわかったのかは教えてもらえなかったが、無貌の智者を始めとした数々の異名があるのかその理由を知ることになった。
そういえば、火遊びの件は大番頭は黙ってくれていたはずなのに何故か女将さんに知られていて鬼のように怒られるかと思ったら泣かれてしまったので二度とやらないことを心に決めた。
文章間違いが多いのでもう少し減らしたいなぁ