人と天使と殺人事件と
8月、夏も真っ盛りだと言うのに今日は朝から寒かった。テレビも、ニュースキャスターやコメンテイターによる異常気象の話で持ちきりである。
そうなるのも仕方ないと思わざるを得ない。
何せ外気を知らせる車の軽基盤には氷点下のマイナス5度と表示されているのだ。
深夜9時とはいえ、北半球にあるこの東京において8月のこの気温は、誰から見ても異常な寒さである。
そんな寒空の下、フロントガラス越しの世界は慌ただしかった。数十台のパトカーの赤色灯の光りがチカチカと目に刺す。
深夜であるにも関わらず住宅街であることから、野次馬や事件をいち早く聞き付けた多くの記者がごった返していて、車の外は異様な熱気に包まれていた。
「うーさぶさぶ。」
ガチャリと音を立てて愛車の助手席に、花霞神無が手を息で温めながら入ってきた。彼女は警察学校時代の同級生でもあり、かつての同僚でもあり、まぁ色々と縁の尽きない女性だ。
学生時代の彼女のチャームポイントであったポニーテールも今は切りショートのボブヘアーになり、愛用していた指先が出た本人はグローブと呼んでいた手袋も、現在は白い薄手の手袋をはめている。パリッと細身のグレーのスーツを着こなした、関係者から見れば刑事以外何にも見えない姿である。
「お疲れ。ほら温かい缶コーヒーだ。」
「お?流石に準備がいいじゃん。」
そう言って奪い取る様に持った温かい缶コーヒーを口にして一息吐いた。
「なぁ神無、現場はどうだった?」
「ああ、裕司アンタの言った通りだったよ。ナイフで頸動脈をバッサリ。遺書やら自殺を示す物はないんだが、争った形跡も他に人がいた形跡もないことから自殺の線が濃いな。それにしてもどうなってるんだ、この教会は。」
飲みきった空き缶をへこますかのように、腹立たしげに現場を睨む神無。
彼女の言った通り、8月の深夜に閑静な住宅街の真ん中に位置する教会で自殺があったのだ。
普通ただの自殺ならパトカーが数十台もやってきはしない。だが今回の事件は少しだけ普通とは呼べない所があった。この一週間で5人目の自殺なのだ。
悔しそうにフロントガラスの外を見ていた神無は、高ぶる感情を一旦落ちつけるように深く息を吐くと、改めてこちらに視線を戻す。
「前の四人と今回の女性もきっと同じ教会に通う信者以外の共通点は見つからないだろうってのが、白松捜査本部長の所見なんだ。でも…絶対に何もないって考えられないんだ。そこで裕司さぁ…。」
そう言って俺の顔を覗き込むように見上げる彼女は、今度は含みのある笑いを浮かべていた。先程までの悔しそうに睨む顔をしていたかと思えば、次の瞬間にはこんな顔をする彼女は、本当に学生時代から変わらない。
俺はわざとらしく大きく息を吐くと
「…俺にどうしろと?」
「ふふふ、解ってる癖に一応聞く所、変わらないね。現場検証は鑑識がしてくれるから、私達は今から裕司、アンタの探偵事務所で打ち合わせね。」
やれやれだ。三日前に解っていたことだが、やはりこうなるのか。
「ちゃんと報酬は出るんだろうな?」
「もちろん。アンタは気分で仕事するから万年金欠でしょう?アタシがちゃんとした食べ物造ってあげるわよ。」
そう言って笑う。
「そうなると分かっていたから、ちゃんと食器は洗っておいたよ。三人分。」
「三人分?」
彼女は不思議そうに俺の顔を見ているが、特にそれに触れることなく愛車を家路へと走らせた。
現場となった教会からは車で一時間くらいの場所に事務所兼自宅はある。
六畳ぐらいの広さの部屋の中央には膝下くらいのガラスのテーブルがあり、対面に囲むようにソファーを配置している。窓際には小さなデスクもあり、一応依頼客をもてなす為のものなのだが、最近ではもっぱらテーブルは食卓と化し、ソファーはベッドに成り果てている。
神無は部屋に入ると慣れた手付きで近くのハンガーにスーツの上着を掛け、迷う事なくキッチンへと向かう。
「ちょっと裕司、アンタまたカップラーメンばかり食べてるの?いい加減ちゃんとした物食べなさいよ。」
キッチンから神無の呆れたような声が聞こえてくる。部屋へ来るたびに言うセリフなせいか、俺もとくには取り合わない。だが当の本人も気にする様子なく、暫くするとトントンとリズム感の良い音が聞こえてきた。
事件と異常気象がなければ概ね日常と言える1日であった。
「アンタさぁ、気分で仕事をしていたら、いつか大変な事になるわよ?それとも宝クジでも当たる未来でも見えてるわけ?」
「残念ながらそんな予定はないよ。」
事件の調査の依頼内容の確認と、久方ぶりの真っ当な食事を終えて暫くすると、神無は帰り際にそう言った。
未来が見えてる。
そう、俺には幼い頃から不思議と未来が見える予知能力があった。いつ頃から見えるようになったのかは覚えていない。ただ、これが未来なんだと理解したのは小学生ぐらいの時だったと思う。
最初は何だろう、この場面見た事があるみたいな既視感とか言う類いかと思っていたのだが、意識しだすとソレは一言一句まで同じな事に気付いた。
小学生の頃はまだ良かった。抜き打ちテストは抜き打ちでも何でもなく、問題まで未来視で見えるのだ。こんなに便利なものはない。おかげで俺は、小学生から高校まで学年トップの成績を収めた。別に頭が良いわけでもないのにだ。
中学になると、俺は予知能力を持った特別な人間なのだと…まぁ男子なら比較的に通る厨二的な時期もあった気がする。しかし大人に近づいていくほど、この能力を疎ましく思うようになっていったのだ。
未来が見える。一見便利に見えるこの力は、逆を言えば全てにおいて新鮮味がかけてゆく。誰よりも早く結果を知る俺は、誰ともソレを共有できず、皆んながソレを知った時には、既に知っているのだから喜びも半減なんてものじゃない。言わば2、3日前に見たクイズ番組の再放送を見ているようなものだ。未来(答え)は決まっているのだから夢も希望も何もない。
いつしか俺は、決まった未来の為に現在の自分が行動している、まるで人形のような人生だ。
しかし真夜中に訪れた客は、そんな俺をあざ笑うかのような女性だった。
時刻はちょうど午前0時、誰もが眠りにつく時刻。
普通このような時間に訪れる者などまずいない…のだが、俺はティファールのスイッチを入れお湯を沸かしておく。
「裕司?こんな時間にお茶?」
「ああ、これから依頼人がくるからな。それより神無、お前帰らなくて良いのか?遅刻すると白松部長に怒られるぞ?」
「なによ、アタシがいたら何か不味いワケ?」
「そんな事はないが、お前明日仕事だろ?」
「明日は非番だから大丈夫。」
そう言って彼女は履きかけた靴を脱ぐと、再び事務所件リビングへと歩を進めた。
俺は探偵業を営んでいる。非常に遺憾ではあるが、とても繁盛しているとは言えない。それでもこうして仕事を続けていられるのは、俺の探偵事務所はどのような難題も、どのような人種からの仕事であっても全て解決してきた事によるものである。
時には非合法な組織からの依頼もあった。またある時は、警察からの非公式な依頼での捜索もあった。
かと思えば、浮気調査や飼い猫探しと言った物まで、ありとあらゆる依頼を俺は解決してきた。
残念ながら名探偵とか呼ばれるほどのものではないのだが、おかげでそこそこには名も知れているとは思う。
お湯が沸くと、俺はティーポットにハーブを入れた。お気に入りのブレンドは、深夜に合う香り高く落ち着き効果のあるローズヒップだ。
お客を持て成す為の紅茶の準備が出来たとき、まるでタイミングを見計らったかのように扉を叩く音が、深夜の静寂を破るように鳴り響いた。うん、我ながら良いタイミングだ。
まぁこんな仕事だ。俺も色んな人種を見てきたと自負をしている。しかしそんな俺も、せっかくの客をもてなす為の紅茶を思わず落としそうになった。
「夜分遅くに申し訳ありません。こちらが探偵事務所と伺いまして…あの?」
彼女はとても美しく、一分の隙もない程の姿勢をもって挨拶をするのだが、それとは対象に俺の方はと言えば、只々真夜中の珍客に目と言葉を奪われるばかりだった。
「あ…やはり貴方にはコレ、見えているのですね?」
そう言って彼女は背中のソレをヒラヒラと揺らして見せる。
流れるような白銀の長い髪は、夜風に吹かれ揺れるたびに、まるで光を放つかのように輝いてみえた。
透き通るような、傷やクスみ一つない白い肌は、ほんのりと赤みを帯びた瞳をより一層際立たせた。そう彼女は昔、まだ自分が幼かった頃にみた絵本にでも出てきそうな、見た事もないような美しい女性であった。
しかし、そんな彼女の美を表す全てが色褪せてしまう程に俺の視線は一点に集中した。
彼女の背には6枚の羽が生えているのだ。
「貴女はいったい…」
絞り出すように発した言葉が、今の自分には精一杯の努力。彼女はそんな俺に、まさしく天使のような微笑みを讃えながら姿勢を改めて直す。
「申し遅れました。私はシズ……ルシアと申します。」
「ん?ルシアさんで良いのか…?」
我ながら詰まらない返答である。
「裕司?誰か来たの?」
その時、事務所にいた神無が話し声を聞き付けたのか扉越しまでやってきた。俺でさえ絶句したのだから神無なら…
しかし、彼女からは予想外な言葉がかけられた。
「なんだ、誰もいないじゃない。」
「は?いるだろうが目の前に。」
「は?どこによ。」
しかし目を細めて見ている神無が嘘を吐いているようにも見えず、当の本人であるルシアに視線を戻すと、彼女はクスリと笑いながスラリと伸ばした人差し指を神無の額にチョコンと触れた。
「ッ!!」
短い悲鳴を上げた神無は、突如目の前に出現した女に腰を抜かすように尻もちをついた。
「な…な…」
言葉が出ない神無に手を貸し立ち上がらせると、未だ腰を抜かした状態の神無に代わりルシアに問いかけた。
「なんで神無には見えなかったんだ?」
「そうですね…どう説明したら良いのでしょうか…。貴方がたに解りやすく言うと、テレビのチャンネルが合ってないと言うところでしょうか。」
「チャンネル?」
「はい。人の目は必要ないものは見えないようにできてますからね。それは自衛だったりと色んな意味がありますが。」
「じゃあなんで裕司には見えてたのさ。」
漸く放心状態から戻った神無も負けじとルシアに問いかける。
「……彼は霊感が高いからだと思いますよ?たまにそう言った方がいますから。それに人は目に見えない存在を認めたがらないでしょう?逆に認めたくない存在は見えないようにして自らを守っているのですよ。」
俺は何とか平静を装いながら、淹れたての暖かいハーブティーを真夜中の珍客に振る舞った。
彼女は美しい指でティーカップを摘み上げると、そっと淵に唇をあてて、絵に描いたような上品な作法でハーブティーを愉しむ。
「それにしても、よく私が訪れることが分かりましね。」
彼女は通されたテーブルの上に、自分の方と向かい側、つまり俺たち側の方に既に用意されていたティーソーサーに目を向け答えた。
「昔から勘が良くてね。」
勘が良い、何て適当な解答。普段の自分ならまず言いそうにない安易な解答だ。だが彼女はそうなんですかと、特に気にするようもなく、再びハーブティーを嗜む。
「それでそのルシアさんはどう言った御用で当事務所に?」
ぶっきら棒に答える俺に、今度はルシアが少しだけ驚いた表情を見せる。
「へぇ…貴方は面白い方ですね。明らかに人と違う私を見ても、お前は何者だ!とか聞いて来たりしないのですね?」
「…聞いたら答えるとでも?」
「私の依頼を受けて頂けるのでしたら。」
「君のような人外の方が俺に依頼?」
「変ですか?ここは探偵事務所で、貴方のお仕事だと思っていたのですが。」
そう言って微笑む彼女の美しい姿は、私の知識の中にある一つの偶像を示していた。
「君は…天使…なのか?」
「そうですね…人の世界で私がどの様に呼ばれているのかは分かりませんが、その認識で構わないのではないでしょうか。」
今一つ容量を得ない解答だ。
「で?依頼の内容は?天使様が俺に何を探せと?」
「よく探しモノだと分かりましたね。それが貴方の未来視の力ですか?」
やはり彼女は私の力に気付いていたようだ。
「…これは力によるモノではないよ。天使程の方が人間である俺に求めること…人物なのか物かは知らないが、探しモノくらいだろうって少し考えれば容易に想像できるよ。」
天使相手に化かし合いなど意味がない。俺は特に掘り下げるでもなく力についての話を流す。そんな俺の客を客とも思わない太々しい態度にも、ルシアは微笑みながらハーブティーを嗜みながら満足そうに頷いて見せる。
「では改めまして、私は当事務所の所長をしてます。名は小山裕司と申します。」
正式な探しの依頼と言うなら、相手が天使であっても関係ない。俺は、姿勢を正して向かいの椅子に腰掛けた。
「コヤマユウジ?さんですね?改めてルシアと申します。それで探して欲しいモノなのですが…。」
そこまで言ってほのかに頬を染め、モジモジする彼女が何を言おうとしているのか、人間である俺には理解できない。天使が絵本や教会の教典に記されたような力を有してるのかも、無宗教の俺には分からない。
だけど、仮にそのような力を持っていたとしつも見つからない程の何かを、ルシアは探しているのだろう。
天使が見つけられないようなものを俺が見つけられるかは分からないが、正式に依頼と言うなら聞いてみよう。それが仮にもプロを名乗る探偵としての、最低限のマナーだと心得ているのだ。
私はハーブティーを飲みながら、彼女が話しの続きをするのを待つことにする。隣に座る神無も黙ってルシアの言葉を待つ気のようだ。
「私と一緒に探して欲しいヒトがいるのです。」
「ヒト探しですか?どのような方ですか?」
「はい。神様を一緒に探して欲しいんです。」
ボソッと小さな声で言うルシア。なるほど、相手は神様か。確かに天使らしいと言えば天使らしい探しモノである。天使が今目の前にいるのだから、神様がいても不思議ではない。
「…って、神様!?」
俺より早く神無がルシアに突っ込む。
「はい。まことにお恥ずかしいのですが、ある日を境に行方が分からなくなっていまして……。」
異常気象が起きたその日の深夜。
真夜中に訪れた天使という珍客は、俺に神様探しの依頼を持ってきた。