高揚の希望
体を溶かす。心を解かす。気持ちが溶ける。鎖から俺を解かす。
この強い日差しにはそんな力があるのではないかと思うくらいの暑い季節。
8月。
「やっぱりこう暑い時はコーラに限るよね」
「そうだな」
ショッピング施設の中にあるマックに入った俺と彼女は適当なふたり席に座り向かい合う。俺は特に喉が渇いているわけでもないので烏龍茶を頼んだ。暑いと言われるとそうでもない。逆に冷房のせいで寒いくらいだ。
夏休みという長期休暇の今日のように天気がよく暑い日はこんないつでも行けるようなショッピング施設のマックには人はあまりいない。きっと、プールとか海とか涼がとれて遊べるところにみんな行っているのだろう。おそらく、目の前の彼女もそうだ。
しかし、改めて彼女とこうして向かい合うのは本当に久々だ。
「今日は誰と待ち合わせしてたんだ?男とか?」
冗談半分の口調で俺は核心に迫る。だが、彼女は慌てずに笑いながら答える。
「そんなわけないじゃん。ちやほやされるだけじゃつまらないって。今日は普通に女友達と。電車を乗り継いで最近できた大型ショッピングモールがどんなものなのか見に行く予定だったの」
ああ、最近できた日本一デカい奴か。今の俺からすれば人との接触が増えるだけの地獄の施設でしかない。でも、すでに人と関わらないという目的は達していない。今の俺はこうして彼女と面と向かって話している。
しかし、女友達か。嘘をつくのは下手だということはすでに知っていることだ。本当のことだとホッとしている自分がどこかにいた。
「君の方はどうなの?」
「どうって?」
「大学の方ではうまくやってる?」
うまくやっているか・・・・・。
講義室では前の方の角にいつも陣取っている。大抵ひとりだ。飯の時も帰る時もいつもひとりだ。うまくやっているかと言われた答えはこうだ。
「それなりだ」
実際に10分時間を戻す能力を見据えた過ごし方をするためにはひとりの方が都合がいい。ボッチで寂しいのではないかと思われることもあるだろうが、実際には俺がそういう風に周りに接しているのが原因だ。
「そうなんだ。よかった。君のことだから私がいないからずっとひとりで寂しい思いをしていたんじゃないかなって心配してたんだよ。でも、うまくやってるなら安心したよ」
「うまくはやっているが基本的に俺はひとりだぞ」
「え?」
「まぁ、いろいろと事情があってそうしてるだけだ」
そう、彼女には言えないいろいろな事情。
その事情がさらに強く象徴される事故を俺を目の前にした。今でもそのビジョンは頭の中で何度も再生される。
「そっか。基本ひとりなんだ・・・・・」
ストローをいじって中の飲み物をかき回しながら彼女はそう呟いた。目線を落として何かを俺に悟られないように。その放たれるオーラからして彼女は俺と同じ何かを抱えている。それが何かまでは分からない。
「どうした?」
俺の問いに彼女はコーラを飲んでからフウッと息を吐く。
「ごめんね。いっしょに大学に行こうって約束で受験して私だけ落ちちゃって」
それは逆だ。お前だけが落ちたわけじゃない。俺が受かってしまったんだよ。この10分時間を戻す能力に目覚めたせいで。
「気にしなくてもいい。俺自身もまさか受かると思ってもいなかった」
まさか、あんな能力が覚醒するなんてな。思っていなかった。
「いや、そうじゃないんだよ。君が思っていることと違うんだよ」
「はぁ?」
「私はね、あの日受験をほぼ放棄したに等しいんだよ」
何?共に図書館で勉強をしている時も合格後のキャンパスライフの話をする時も、誰よりもお前は俺の通う大学に行くことを望んでいた。俺はただそれに便乗しただけの金魚のフンだ。お前ただついて行っただけの俺ですら大学に受かりたいという一心で能力を使うインチキをして合格したんだぞ。それなのに彼女はそんな俺の前で受験を放棄していたと言った。それはなぜか。理解に苦しんだ。
「どういうことだ?」
「・・・・・試験開始と同時に私は会場を見渡したんだ」
試験会場は正面の黒板が見えやすいように半円に階段状に席が配置されている。席が上の方になれば全体の生徒を見ることも可能だ。俺は入試の申し込みが彼女とは1日違っていたせいでかなり離れた前の方だった。
「みんな真剣に悩んで必死に問題を解いていた。それぞれの強い思いが私の胸にしみたんだよ。きっと、みんな私みたいなただ大学に入ってキャンパスライフを楽しみたいとなんていう安易な理由でこの試験に臨んでいない風にすら感じたんだよ。特に私の正面の人は学生服じゃなくてスーツだった。きっと、浪人してまでこの大学に入りたくて必死になっているんだ。そんな姿を見たらこんな私のために枠のひとつを潰すのが申し訳ないと思っちゃったんだよね」
彼女はエヘヘっと気まずそうに笑った。
あの日、合格発表をふたりで見に行ったときに彼女が言ったごめんという言葉の重さがようやく分かった。彼女は俺をいいように泳がして振り切った。関係がそれ以来なくなってしまったのもそのせいだ。
だが、大学に入る資格がないという点に関しては俺と同じ考えだ。違うのはそれに気付いたのが、受験当日だったのかと合格発表当日だったかの違いだった。彼女は自分の安易な考えのせいで、俺の場合はこの能力のせいだ。
「君は怒ってもいいんだよ。君の努力を私が無駄にしたんだから」
そうかもしれない。ここは普通怒る場面だ。しかし、俺には怒ることが出来なかった。
「今更そんなことを言われても俺はどうとも思わない」
「そんなことないでしょ」
「そうでもない。実際に俺にもこの半年大学にいて後悔ばかりだった」
主にこの能力のせいだ。
「後悔ってなんなの?」
そんなのは言えるはずもない。
「お前がいないことだ。そのせいで今まで色の合った日常がモノクロに変わって面白みがなくなった」
「嘘だね」
何を確証に即答したんだよ。
「今の君の言葉には魂がなかった」
「はぁ?」
また、訳の分からないことを言い出す。半年ぶりに聞くと本当に焦る。
「要するに。いつもなら言葉を選んで言う君が何も考えないで話した。君がそんな日常の色なんか気にするような人じゃないよ。何よりもモノクロが嫌いだなんて言う表現を君が使うのがそもそも変だよ」
俺らしくないのが理由か。
「後悔があるのは本当みたいだけど、その後悔は何なの?私みたいなのが聞く権利はない内容だったら言わなくても別にいい。でも、君を捨てて逃げてしまった自分を私は許せない。だって、休憩時間に試験問題をほとんど解いてないことを君に伝えることだってできたのに真剣な眼差しだった君にそのことを伝えるのが怖くて逃げだした。君のがんばりを無駄にしたくなかったから」
がんばりを無駄にしたない・・・・ね。実際にあの場において真剣だったのはこの能力を使えば俺でも難関だった大学に合格で来てまた彼女といっしょに過ごせるという一心だった。時間を戻せても問題の理解が出来なければ意味がない。必死だった。それがインチキだったと知るのはもう少し後だったんだが。
「謝ろうと思ってこの半年君に何度も連絡しようとした。でも勇気がなかった。今日、君に話しかけられただけでも本当万々歳だよ」
そこは俺と同じなんだな。
「だから、私には君の力になる権利がある。君のその後悔はすごく重いものを感じたよ。辛いんじゃないの?そのせいで私がどうなってもいい。それを君が嫌がるのも分かってる。だから、聞くだけでもいい。話してみてよ」
10分時間を戻す能力を俺は持っている。
話すべきなのか。そのせいで彼女が危険な目に合ってほしくない。そのせいで彼女の命が消えてほしくもない。そうなれば、おそらく俺はこの能力を完全に封印しなければならない。日常になっているこの能力の封印をするにはもう死ぬしかない。
「それはできない」
きっぱりと断った。この能力は俺の中で永遠に固い箱の中にしまいこむしかない。解放して誰かに知られればあの惨劇の二の前だ。俺は彼女をあの人形みたいにしたくない。
「・・・・・・・・」
彼女は飲みかけのコーラを飲みきる。落ち着いた表情で俺に語りかける。
「私にとっても君にとっても私たちはただの関係なの?」
・・・・・え?
「確かに恋人っていうほど互いに一線以上足を踏み入れることはなくとも私たちは他の人たちにはない関係が見えない糸があると私は思うんだよ。それがどれだけ気恥ずかしいことでも私たちは話せる仲だと思う。実際に私は誰にも言ったことのない受験の放棄を君に話した。これにもすごい勇気が必要だったんだよ。胸の鼓動が強く脈打って心臓が爆発するんじゃないかって思うくらい緊張したんだよ。こんなことを話せるのは君くらいなんだよ」
最初は冷静を装っていたのに途中で顔を真っ赤にして俺にせがむように話しかけてくる。女のそれもそれなりに気のある女性にそんな表情を見せられてどうこうしない男は果して存在するのだろうか。実際に俺は思う。
「それはずるい」
「はぁ、はい?」
「そんな風にせがまれてそんな風に顔を赤くされたら俺が言わないといけない空気に自動的になるだろ。本当にあくどい」
「う、うるさいな~。そうでもしないと君は話さないし」
でも、彼女が言う受験の放棄はおそらく誰にも言っていないことであるのは確かかもしれない。親に言えば怒られるし、新たにできた友人に言えばバカにされる。俺に言ったのは俺に対して悪気があったからだ。何を言われても仕方ないと見据えていたのだ。
ならば俺も話すべきだ。彼女自身が受験を放棄していたと言っていたがこの能力のせいでインチキをしてその必死に受験していた者たちを蹴落としたのは変わりない。
「仕方ない。話すよ。ただ、別に信じる必要はない。俺はお前を無理やりに信じさせるための努力をしない。バカバカしいと思うのならばそう思って構わない」
そうすれば、この能力を理解したところで影響されることは少ないと考えた。言っても信じなくてもいいという能力を知る必要がないからだ。
「分かった。言ってみてよ」
俺も烏龍茶を飲みきってから一呼吸おいてすべてを話した。
「俺には時間を10分だけ戻す能力がある」
彼女は少し驚いた表情をしたがそのままじっと何も言わずに聞いてくれた。この能力がただ10分だけ時間を戻す能力でインターバルが1時間あることも。この時間操作には誰も気付かないことも。この能力を使って今までテスト問題を見てインチキをしていたことも、欲求のままに動いたことも、人を助けて後悔したことも、人を殺してしまったこともすべて話した。
すべてを話し終わった後に彼女は落ち着いて話した。
「正直、信じられないよ。10分時間を戻す能力なんて」
それもそうだ。俺がもし彼女からそう言われた大いに高々を笑ってバカにしただろう。
「でも、仮に君がその能力を使ったインチキで成績はかなりいいんだね」
「ああ、そのインチキのせいで」
もう、考えるのも嫌になるこの能力せいで。
「確かに一度テスト問題を見るのはずるくてインチキかもしれないよ。でも、その問題を一度見て残り10分もない時間の間に理解するのは難しいと思うんだよ」
・・・・・はぁ?何を急に言い出したのかさっぱり理解できない。
「でも、君にはそれが出来る。君は10分戻って出題される問題を解ける。それはたぶん私にはできない。問題を見たとしてもそれが大きく成績向上の要因になるとは思えないからね」
「そ、そんなことは」
言い返そうにも彼女はそんな俺の言葉を押しのけて続ける。
「それで出てくる結果はズルでもインチキでもない。それは努力なんだよ」
その言葉に俺は胸を打たれた。
俺のこの能力がインチキでもなければ努力だと彼女は言うのだ。
「そ、そんなわけ」
「でも、私だったらそんな3分間だけでテスト問題を大方を把握して残り7分でその問題に似たものを探してみることは正直できない。そんな頭の回転力を私は持っていない。でも、君にはある。しかも、3分という短い時間の中で君はどの問題はどういうものなのか理解している。それは君自身がそのテストに向けて勉強してきた努力の結果じゃないの?」
努力の結果だと?
確かにこの能力を最大限に発揮するのは見た問題を理解する必要がある。問題が見れたところでそれが分からなければ意味がない。ただの宝の持ち腐れだ。そんな無駄、俺は嫌いだ。彼女が言いたいのは俺が無意識に能力に頼った勉強をしていたのではなく、能力を使ったうえで問題が解けるように勉強していた。努力していた。つまり、それはまるで・・・・・。
「大学に入学したのもテストで高得点がとれたのもそれは能力のインチキではなく俺の実力だというのか」
「そうだよ」
即答だった。
その強い回答に俺は何も言い返せなかった。
「でも、俺はこの力で人を殺した。いや、救える命を見捨てたんだ。その現実だけは消せない」
さすがにこのことになると彼女は目を背ける。
「そうかもしれない。君の言うようにその能力は君自身にしか利益の得ないものかもしれない。他人を助けても得しないのは君自身がただいい思いをしたいっていう気持ちだからダメなんだと思うよ」
「それは一体・・・・・」
「これは私からの願いだよ。君にはそんな風に暗く生きてほしくない。辛い思いだけを背負って生きてほしくない。だから、これからはその能力を他人に使うときは自分のためじゃなくて他人のために使おうよ。その結果、君が責められるようなことになっても人を助けた事実は変わらない。それは誇ってもいいことだと思うよ」
確かにそうだ。自殺したそばかすの子も顔に怪我を負った女の子も心肺停止になったおじいちゃんも俺には気分の悪い結果になったかもしれないが、実際には皆が何もなかったように助かっている。その事実は揺るがない。
すると彼女は今まで見せたもので一番の眩しくて暗く染まる俺の心を明るく照らす夏の太陽のような笑顔で言う。心にしみる彼女らしい言葉。
「誰も知らないところで人助けをしてるとか、かっこいいじゃん」
ニッと白い歯を出して笑う表情に俺もつられる。
「初めて笑った」
「・・・・・そうだな。お前の前向きぶりにはもう笑うしかない。半年間毎日のように考えていたことがバカバカしく感じたよ。どうしてくれるんだ」
「そんなこと言って」
そうやって二人で笑った。
「あ、そろそろ時間だ」
彼女は立ち上がりゴミを捨てに行く。俺もその後を追う。
「ありがとう」
「え?」
「おかげで勇気が出た。本当にありがとう」
すると彼女も少し恥ずかしそうに言う。
「それはこっちもだよ。今までいえなかったことを全部吐き出せたから楽になった。ありがとうね」
彼女はこれから友達との約束がある。俺には古本屋で本を模索するやることがある。通う大学も違う。周りの友好関係も違う。違うところだらけの俺たちだがどこかつながるところもある。そのことがすごくうれしかった。
「また、連絡してもいいか?」
「もちろんだよ!ビシバシ世間話でもしようぜ!」
この即答には悪い気はしない。するはずがない。
「それじゃ、お互いにがんばろうぜ」
「おうよ」
お互いにグータッチをする。友情のあかしでも言うべきなのだろうか。本当にこんな真夏みたいな暑苦しい友情を感じるのも本当に久々だ。
彼女は待ち合わせした友達を待たせていると言って小走りし始めた。冷房と夏の日差しの境目で彼女は振り返る。
「それじゃ、また今度ね!**くん!」
それはほぼ半年ぶりに言われた俺の名前。あまりにも自然に出てきたせいで一瞬だけに誰に向けてなのか分からなかった。ぴょんぴょんと子供のように飛び跳ねて手を振る彼女に俺も軽く手を振り返す。
「ああ、またな。***」
彼女は再び俺に笑顔を向けるとそのまま夏の日差しの陽炎の向こうに消えて行った。
彼女の名前を呼ぶのも半年ぶりだ。冷房のかかったこの施設の天井の方を見て思った。
「いい気分だ」
この清々しい気分も半年ぶりだ。