(5)
人間の王は、あたしの目の前でゆっくりと両手を組んだ。
何か奥深いものに思いを馳せるような表情で。
あちこちに染みの付いたエプロンは、もう……そんなに可笑しくは見えなかった。
「それは事実だ。神を消滅させるために必要だった」
「そう」
「それについて余は弁解はせぬ」
「弁解が聞きたいんじゃないの。あたしはヴァニスの気持ちが聞きたいのよ」
言い訳がましい事を言いたくはないんだろう。それは分かる気がする。
言い訳なんて、結局は誰かの許しを請うような行為だ。
国王として、それは決してやってはいけない事なんだろう。
ヴァニス本人の性格からしても、潔しとしないだろうし。
「余の気持ちを聞いてどうする? 聞いたところで事実は何も変わらぬ」
「事実と真実は、必ずしも同一じゃないわ。だからあたしは知らなければならないの。知らないってね、恐ろしい事なのよ」
「……」
「真っ暗闇の中で、明かりひとつ持たずには進めない。一歩も動けないの」
だから教えて欲しい。聞かせて欲しい。話して欲しい。
ヴァニスの気持ちを。心の中を。
それを言い訳だなんて責めたりしない。軽蔑もしないから。
「ねぇ、まず最初に聞かせてくれない? あなたは自分を唯一無二な存在だと公言したの?」
「唯一無二? それはそうだろう。命は皆等しく唯一無二の存在だ」
「いや、そういうことじゃなくて。つまり自分がこの世界で一等賞で、まさに絶対神のような存在だと公言したの?」
「なんだそれは?」
「それを利用して王の座を確立しようとしたの?」
ヴァニスは怪訝そうな顔になった。
「絶対神もなにも、そもそも余は人間だぞ?」
「それはそう、なんだけど」
「以前に話したはずだ。神だ精霊だからといって特別でも偉大でもない。だから神達に対して卑屈になる必要はない」
「ええ、確かにそう言ってたわね」
「それに確立も何も、すでに余は人間の王である」
あたしの目を見てハッキリとヴァニスはそう言い切った。
まったく、それが偽りの無い本心なんだろう。この真っ直ぐな黒い目を見ればすぐ分かる。
その本心が、神や精霊達には曲がって伝わってしまったんだ。
トラブルの原因なんて大抵みんなそうだ。
『本意が相手に正確に伝わらない』
まさにこれに尽きる。
相手の意見を耳から聞いた時点で、その意見には自分の主観が混じってしまう。
それはどうしても避けられない。自分と相手が別々の生き物である限り。
神は別に特別じゃないとか、偉大なわけじゃないとか。人間はまったく卑屈にならなくていいとか。
言われた神達の側からすれば『王は神より偉大で世界で一番だ』宣言に聞こえてしまったんだ。
それを早とちりとは責められないと思う。無理もない事だわ。
ちょっと次元の低すぎる例えかもしれないけど、入社して三ヶ月程度のやっと慣れてきた新人が
「オレ達の実力を先輩達に見せつけてやろうぜ!」
とかってうそぶいてるを聞いちゃった時の心境みたいなもの?
それ以来、やる事なす事その新人君の行動言動を、つい色眼鏡で見ちゃうみたいな。
そうかそういう事か。
あたしは思わずテーブルに頬杖を付いて考え込んでしまった。
別にどっちに罪があるとか、責任があるとか、そういうんじゃ無いんだけど。
思いって、一度すれ違っちゃうと面倒なのよ。ものすごく。
激しく思い込んでしまうのよね。自分の主観交じりの相手の人物像を。
そういう事ね。うん。その点は理解できたわ。そのうえで。
「それで、なぜ拷問や公開処刑を?」
神に対して卑屈になる必要は無い。その考えは分かった。
人間が生き抜くために、精霊達を支配しようとしている理屈も分かった。
それでなぜ拷問や公開処刑に?
なぜ、神を慕う人間達に対してそこまでする必要があったの?
神を消滅させなければならない理由は?
神の存在が、人間の社会に対してどんなハードルになると言うの?
「神は人間を愛して庇護してくれていたんでしょう?」
ヴァニスは黙ってあたしを見ていた。相も変わらず、その黒い瞳は正々堂々と真っ直ぐだ。
その揺ぎ無い視線をあたしに向けたまま、ヴァニスは語り始めた。
「余は人間の王である」
「知ってるわ」
「王ならば民を守らねばならぬ。世界から。神や精霊の所業から」
「うん。だから神の何がそんなに問題なの?」
「だから神や精霊達が、人間の命を奪い続けている事実を放置できなかったのだ」