(2)
そんなの変よ。何かが間違ってる。
だから、きっと希望はあるはずだわ。間違いならそれを正す方法がどこかにあるはずよ。
相手が違う種族でも、相手にわだかまりがあったとしても。
理性を持って歩み寄りさえすれば解決できないはずがない。
最悪な状況を認めたくないが故の、希望的観測にすぎないかもしれないけど。
でもあたしは皆の善意を信じたい。
この世界に飛ばされて来てから、ずっと精霊や神や人間みんなの善意に救われ続けてきたんだもの。
傷つけ合わずに済む道さえ見つかれば、みんな喜んでそっちへ進んでくれると信じたい。
今のあたしは完全に迷子状態だけど、ぼんやりとしか見えないその道を見つけ出しさえすれば……。
考えに耽っているあたしの横で、マティルダちゃんがグスグスと鼻をすすっている。
「マティルダ、もう誰かが死んでいくのは見たくないわ」
そう言ってレースのハンカチで左右の目を交互に拭いた。
あぁ、そうか。マティルダちゃんの家族はヴァニス以外、みんな死んでしまったのよね。
あたしのせいで辛い記憶を甦らせてしまったんだわ。ほんとにごめんねマティルダちゃん。
「グス、雫さま、死んだりしない?」
「大丈夫よ。死んだりしないわ」
「本当に? 死なない?」
「ええ、死なないわ」
「でも、『頭の中に血が残ってたら、ある日突然ポックリ逝く』って」
「……誰が言ったの? そんなこと」
「お兄様」
「……」
ちょっとヴァニス。
確かに事実だけど、もうちょっと言い方ってもんがあるでしょ!?
「死なない? 本当に死なない?」
「え、ええ死なないわ」
「ある日突然、ポックリしない?」
「しないわよ」
だからその「ポックリ」ってのヤメて。
なんか、不吉な予感がヒタヒタと忍び寄ってくるんだってば。
ひょっとしたら?って不安にさせる威力があるのよ、その単語。
「死ぬ日を覚悟して迎えるのも嫌だけど、ある日ポックリもすごく嫌だわ」
「ポックリもパックリもしないってば」
「雫さまぁぁ、お願い死んじゃいやぁ」
「だからこっちは死ぬつもりもその予定もないって全然!」
お願いだから怪我人の前で、深刻そのものな顔して死ぬ死ぬ連呼しないで!
まったくほんとに、この兄弟ときたらもう!
「ヴァニス王様も大層ご心配のご様子でしたからねぇ」
侍女達も苦笑いしている。
「おかげで余計に姫様の不安が増長されてしまって」
「心配? ヴァニスがあたしの事を?」
「はい。執務をなさりながら何度も『雫はまだ目覚めぬのか?』と人をよこしておられました」
ヴァニスが何度も……。
あたしの事を心配してくれたんだ。
「ちょ、ちょっと雫様、何をなさってるんです!?」
「ヴァニスの所へ行くわ」
「雫さま!? まだ起き上がってはだめよ!」
ベッドから降りようとするあたしをみんな揃って押し留める。
その気持ちはありがたいけど、あたしはヴァニスと話さなきゃならない。
「あたしはもう大丈夫だから行かせて」
「だめです。もう少し様子を見てからにして下さい」
「いま行きたいの」
「後にしてくださいな。後に」
「お願いだから邪魔しないで!」
「いい加減にしてください! 頭の中に血が残ってたらどうするんです!?」
「どうにでもなるわよ!! 人間、なせばなる!!」
「なりませんよ!! 何言ってんですかあんたは!!」
侍女もあたしもどんどん興奮。仕舞いには怒鳴り合いにまで発展した。
一歩も引かずに健闘したけど、多勢に無勢。結局あたしが折れた。
『ちょっとぐらい待ってもお兄様は消えて無くなったりしないから』
ってマティルダちゃんに諭されてしまって。
兄に会いたくても会えずに、毎日じっと辛抱している健気な妹。
その本人にこんこんと説得され、さすがに我に返って赤面した。いい大人がこれ以上我が侭も言えない。
しばらく様子を見て、それで何も異常がなければ晴れて謁見が叶う段取りになった。
侍女と怒鳴り合えるくらい元気な様子を見て安心したのか、マティルダちゃんは自室に戻っていった。
お勉強を放り投げて飛んできてくれたらしい。本当にありがとう。心配かけてごめんね。
侍女ひとりを残してあとは全員引き上げて、急に静まり返る室内。
あたしはおとなしく横になりながら、窓から外を眺める。
この世界に来て、色んな事があった。
あんまりありすぎて、正直ちょっと整理が覚束ないんだけど。
それぞれの側の数だけ、それぞれの事実や真実がある。
正義も、罪も、事実も真実も、ひとつではないんだ。
自分の側だけの理屈が絶対的な正義ではない。あたしはそれを知った。
もちろん自分の中での基準は必要だけれど、妄信すると大変な事になる。
より良い環境や生き残りを賭けて戦うことを、簡単に罪とは断じれない。
だからこそ、道はひとつだけじゃないと信じたい。
諦めたくはない。たとえ悪あがきだったとしても。
絶望したまま何もしないで逃げ出すのはもう嫌だって、あの時心底思ったんだもの。
ここへ来られて良かったと、心から思える時を迎えたい。
少しでも何かをしたい。何かを変えたい。やってみたい。
卑屈だったあたし自身が変わるためにも諦めたくない。
ここで出会った人達を・・・信じたい。
どんなに複雑で困難な事情があっても『それでもきっと』って、信じたいの。
陽射しが傾き、暮れていく様を見ながらあたしはずっとそう考えていた。
夕暮れの太陽は瞬く間に沈んでいく。
雲を彩る綺麗なオレンジが、見る間に濃度を増して紺色に変わる。
やがて窓の外は黒く染め上がり、星たちが盛大に輝き始める。
穢れの無い夜空。地上でどんなに混乱が起こっていても空は変わらず澄んでいる。
それは人の心を捕らえて離さないほど美しい。
見惚れるほどに美しいわ。でも。
ヒマ。
あたしは深々と大きな溜め息をついた。
いや、さすがにヒマだわ。ずっと空ばっかり見てるのも飽きた。
でも身動きとれないし他に見るもの無いし。




