事実と真実(1)
目が覚めた時、あたしはベッドの上にいた。
しばらくの間、何がどうしてどうなって、何で自分がベッドに横になっているのかも認識不能だった。
あぅ、全身がギシギシ痛む。これじゃ起き上がれないわ。
部屋にいた侍女が、あたしが目覚めたのに気付いて騒ぎ出す。
うぅ~、キンキン声で叫ばないでよ。頭に響く~~。
頭を抱えて唸っていると、マティルダちゃんが息せき切って部屋に飛び込んできた。
「雫さま! やっと目が覚めたのね!?」
そして血相変えてあたしの顔を上から覗き込んだ。
「マティルダよ! ねぇ分かる!? マティルダの事がちゃんと分かる!?」
さっきの侍女よりさらに1オクターブ上回るキンキン声に、あたしは顔をしかめた。
でもそんな事はお構い無しに叫び声は響く。
「雫さま! マティルダよ!? マティルダ・ファナ・ル・レオノーラ……」
「わ、分かってる。分かってるわマティルダちゃん」
だからそんな、わざわざ長ったらしい王家の正式名称を詠唱しなくてもいいから。
やっと安心したのかマティルダちゃんは胸を撫で下ろした。
「雫さまは、もう二日間も眠り続けていたんですもの」
二日間眠り続け? なんでそんな?
あ……!
あたしの記憶は一気に覚醒した。
爆発と、疾風と、降り注ぐ瓦礫の山。
逃げ惑う人々の悲鳴と、恐怖に戦慄く姿。
次々と記憶の映像が頭の中で再生される。
「ジンは!? あの女の子は!?」
あたしは勢い良く上体を起こす。
ぐらぁっと眩暈を感じて、そのままバタリと元通りに倒れてしまった。
頭、キュウッと絞られるみたいに辛い~。
目の前、暗い。四肢が痺れてものすごく重く感じる。これって貧血かしら。
「女の子? お兄様が連れて来た女の子なら、あの後すぐに衛兵が家に送って行ったわ」
そうなんだ。じゃあちゃんと保護されたのね?
良かった。あのまま置き去りにされたのかと思ったわ。
「まさか精霊があんな反乱を起こすなんて。驚いたわ! 本当に酷いわ!」
マティルダちゃんが怒り出すと、周りの侍女たちもこぞって同意した。
「まったくでございますよ!」
「建物の被害も怪我人も大勢出たようでございますからねぇ」
「被害者達は今頃大変な思いをしてますよ」
「しょせん血も涙も無い生き物なんですよ。精霊なんて」
「あんな恐ろしい事を平気でやるんですからね!」
精霊達をあしざまに罵る言葉が心に突き刺さる。
そんな酷いこと言わないで。
ジンはそんな恐ろしい精霊なんかじゃないわ。優しくて仲間思いの、とても美しい精霊なのよ。
「精霊って恐ろしい存在なのね」
「そうでございますよマティルダ様。ゆめゆめ精霊などに油断してはなりませんよ!」
「精霊達が破壊された町を復興し始めたらしいですわ」
「当然ですわ! 自分達の仕出かした責任なんですからねぇ!」
「しっかり働いて、きっちり罪滅ぼしをしてもらわなきゃなりませんわ!」
次々と責め立てる言葉が、辛い。
侍女達の会話に対して、反発心もあるし不愉快さも感じる。
以前のあたしなら速攻で反論したかもしれないけど、今はそれができない。
ほんの少し前には当然で正義だと信じていた事。
それが今では確信がもてない。
あたしはモネグロスやジンの話しか聞いていなかった。
神や精霊の話だけを聞き、この世界の人間を罪だと断じた。当の人間本人の話は、何ひとつ聞きもしないで。
それこそが失くしたパズルのピースだったんだ。
世界では皆がそれぞれの立場で生きている。
なら、それ相応の事情も意見もあるだろう。
人間達にしてみれば、今回の件は当然ながら許し難い暴挙だ。
あたしは人々の恐怖と衝撃の顔を思い出す。
家族のために炎の中に飛び込んでいった人達。泣き叫んでいた幼い少女。
ジン達にしてみれば、それを行うだけの正当な理由があった。
彼らにしてみれば自分達こそ被害者で正義だから。
でもその正当性など、片一方だけの理屈にすぎないんだ。
人間側からみれば、そんなのはただの屁理屈にしかなり得ない。
人間と、神と、精霊。
この世界の主軸となる三つの存在。
それぞれに深く関わり、それぞれの思惑を覗いてしまった、異世界から来たあたし。
あたしは、この先どうすればいいんだろう。何を目的として、どう行動するべきなのか。
分からない。道に迷い、途方に暮れてあちこちを見比べているような、そんな心細さに襲われる。
「あ、ごめんなさい雫さま。恐ろしい事を思い出させてしまって」
暗い表情で黙り込んでしまったあたしを、マティルダちゃんが心配した。
「あ、ううん。あの、もう大丈夫だから」
「全然大丈夫じゃないわ。雫さま、血だらけだったんですもの」
「血だらけ? あたしが?」
「ええそうよ。頭からたくさん血が出ていたわ!」
あぁ、そういえば頭に瓦礫が激突したんだったわ。
頭の怪我は派手に出血するって聞いたことがある。
この体の痛みは、きっと二日間も寝たきりだったせいね。急に動いたせいで全身の関節がびっくりしているんだわ。
血だらけで意識を失ったあたしが城内に運び込まれた時は、大騒ぎだったようだ。
その姿を見たマティルダちゃんまで、気を失って引っくり返りかけたらしい。
「雫さま、死んでしまうかと思ったわ」
マティルダちゃんが涙ぐむ。相当心配をかけてしまったらしい。
「ごめんね。心配かけて」
「いいの。気になさらないで」
「あなたたちにもたくさん迷惑かけてしまったわね」
あたしは侍女達の方を見た。
きっと交代しながら付きっきりで看病してくれていたんだ。
本来のマティルダちゃん付きの仕事もあるだろうに、申し訳ない事をしてしまった。
「いいんですよ。そんなこと」
「そうですよ。同じ人間同士、仲間じゃありませんか」
「助け合うのが当然ですよ」
みんな笑顔で優しい言葉をかけてくれる。
そう。みんな優しい人達なんだ。決して悪人なんかじゃない。思いやりのある親切な人達だ。
ジン達だってそうだわ。
なのに種族という枠越しに見た途端、お互いが悪逆非道で危険な存在になってしまうなんて。