(16)
絶叫した。
全身の細胞が一瞬にして爆発する。髪が逆立つような身震い、逆流。
頭の中が真っ白になって、何もかも分からなくなって。
あたしの中の水の力が暴発した。
凄まじい爆発音が響き渡り、背後の噴水が大きく爆発し、地下から水が噴出した。
天に向かって唸り出る膨大な量の水。
まるで巨大間欠泉のような激しい水流が、情け容赦なく風の精霊達に牙を向く。
ひとたまりもなく精霊達は吹き飛ばされ、水の勢いのあおりを食らってヴァニスの体も飛ばされる。
それを横目で見ながら、あたしはバクバクと波打つ鼓動を手で押さえた。
あぁ、あぁぁ……。
人間とか、神とか、精霊とか。
どちら側の存在かとか。
生存競争とか、勝者とか敗者とか。
なにが正義だとか。なにが罪でどれが間違いだとか。
分からない。分からない。
あたしは何も分からない!
あたしの全身を冷や汗が覆う。
激しい動悸は止まらず、風の精霊達に襲い掛かる水の勢いも止まらなかった。
あれは恐らくあたしの意思。ジンを救いたい一心が、無意識に彼らを攻撃しているんだわ。
ごめんなさい、止められない。止まれないの。
ジンを助けたい気持ちを止める事なんてできないのよ!
だからあんた達、自分で逃げて! 頼むから、自力でうまく逃げて!
動悸はますます激しくなって、呼吸が追い付かずに息が苦しい。
イフリートを襲った時と違い、今回は完全に水の力が暴走してしまっている。
色々な事柄が複雑すぎて心がついていけてないんだ。苦しい、苦しい!
『ガアアァァ――――!!』
苦しむあたしの耳に聞き覚えのある咆哮が響いた。
この声はイフリート!?
紅蓮の髪を燃え上がらせてイフリートが仁王立ちをしていた。
炎の塊が雨あられのように、逃げ惑う風の精霊達に降り注ぐ。
水の攻撃、炎の攻撃。同時に襲い掛かられて、風の精霊達はもう完全にパニック状態だ。
この極限状態の中、か細い泣き声が聞こえた。
「ひっ……う、ぅ……」
さっきの女の子が地面を這いずりながらこちらに向かってきた。
腰が抜けてしまっているんだろう。
涙でぐちゃぐちゃの顔は引き攣り、目の焦点もおぼろで、この状況も訳も分からないままに、力を振り絞ってあたしに救いを求めている。
あたしも懸命に体を引きずって女の子の元へ近寄った。
その時、恐慌状態になっていた風の精霊のひとりが突風を巻き起こした。
体が地面から浮き上がりそうな突風に息を止め、土にしがみ付いて耐える。
強烈な風に瓦礫が巻き上げられ、大きな瓦礫がグルグルと回転しながら女の子に向かって一直線に降って来た。
危ないーーー!!
あたしは飛びかかる様にして女の子の体に覆い被さった。
……ガッ!
鈍い音と共に頭に強い衝撃を受ける。目の前にパッと赤い飛沫が飛んだ。
これって血飛沫? あたしの?
グラリと空と地上が回ってあたしの体は地面に倒れた。
頬に冷たい土の感触。ぼんやりとした視界に、赤く濡れた地面と雑草が見える。
そして自分の顔が、何かの液体に濡れているのが分かった。
あの赤は、血、かな? あたしの?
なんだか、空と地面がぐらんぐらん揺れている。
女の子の泣き声が聞こえる気がする。
あぁ、大丈夫だった? よしよし泣かないでいいのよ……。
イフリートの咆哮。風の音。
周囲の喧騒が、薄い膜に包まれたように遠く聞こえてくる。
はっきりしない。視界も、音も。
ふわりと、浮遊感を感じた。
あ、体、浮いてる? 誰かに、あたし、抱き上げられている?
はっきり覚醒しない意識は、黒い色を認識した。
水に濡れた黒い高級な生地。手の込んだ金糸の刺繍。緩やかなウェーブの黒髪。
……ヴァニス。
体に全く力が入らない。
指の先まで弛緩した状態で、あたしは上下に揺らされるのを感じる。運ばれてるんだわ。
「待て」
ヴァニスの背後から苦しそうな声が聞こえてきた。
「雫を、どこへ連れて行く気だ?」
ぴくんとあたしの小指の先が、求めるように動く。
ジン、無事? 大丈、夫? 怪我は?
「雫を、連れて、行くなっ」
ジンの姿が見たい。無事な姿を確認したい。
でもヴァニスの体の陰に隠れて見る事ができない。
「雫、聞こえるか雫っ」
風を感じる。かすかな風を。
聞こえてるわ。ちゃんと聞こえているわジン。
返事できなくてごめん。声、出ないの。
でもちゃんと感じている。これは紛れもなくあなたの風。
手に、足に、髪に頬に、あたしを求めるように吹くあなたの風を感じているわ。
星の瞬く夜、焚き火に照らされ火照る頬を優しく撫でてくれた、あなたの風。
あの時からずっとあなたは、あたしを求めていてくれたのね。
「オレの、オレの雫に触るな!」
そして激しくむせ返る音。
「雫! 雫! しずくうぅーーー!」
オレの、雫……?
あたしの両目から涙が溢れた。
名を呼ばれるたびに答えるように涙が零れて、黒い視界がぼやりと滲む。
風が、徐々に遠ざかる。
足に感じていた風の気配が消え、手に触れていた風の気配も消える。
人間の王に運ばれて、あたしはジンから遠ざかっていく。
成す術が無い。
何も、何ひとつ分からないあたしには、黙って運ばれる以外にどうしようもできない。
どうしようもできないの。
どうすればいいのか分からないの。
何が正しいのか、どうするべきなのか。
どうしたいのかも、分からない。分からないの。
許して、ジン。
そして最後に残った、前髪を揺らす風の気配が……消えた。
感じない。もうジンの風を感じない。何も届かない。
ジン、ジン、ジン。
そしてついにあたしの意識は途切れてしまった……。