(10)
「お前が元の世界に帰れるかどうか、方法も保障もどこにも無い」
ヴァニスの言葉に、あたしは心の中で答えた。
ううん。方法はあるのよ。
世界の神々が力を取り戻せば、おそらく帰れるはずだとモネグロスが言っていた。
そのためにはヴァニス、あなたにしっかりお灸を据えなきゃならないの。
「だが約束しよう。たとえ帰れずとも、余が雫の面倒をみる」
……え?
「何も心配はいらない。城で暮らせば良い。マティルダも喜ぶ」
「……」
「この国へ来た以上、お前は余の大切な国民だ。国王として責任を持って保護すると約束する」
「ヴァニス……」
「だから、泣く事はない。もう案ずるな。安心して良いのだぞ」
ヴァニスの言葉も表情も真摯だった。
本当にあたしを庇護してくれるつもりなの?
いや、これは策略かもしれない。あたしを抱きこんで利用しようとしているのかも。
それとも本当にあたしの境遇に同情して、王として難民救助しようとしているの?
あたしはヴァニスの顔をまともに見れずに視線を逸らす。
分からない。この男が分からない。
剣であたしを脅したのも事実。あたしにこんな優しい言葉を掛けてくれるのも事実。
狂王と噂されているのも事実。名君と慕われているのも事実。
分からない。見えない。どんなに事実に目を凝らしても、奥の深いところが見えない。
このままじゃまたあたしはまた、後になって「どうしてあの時」と悔やむ事になる予感がする。
それが、怖い。とてつもなく。
あたしのすぐ目の前にはヴァニス。
こんな間近でこの男を見た事はなかった。あたしは思わず食い入るようにじっと見つめる。
黒い瞳があたしを見つめ返した。真っ直ぐな曇りの無い瞳が、あたしを……。
「ヴァニス王様! バンザーイ!」
突然ラッパの様な音と共に歓声が聞こえた。
黒い瞳に魅入られていたあたしはハッとして姿勢を正す。
い、いけない。あたしったら何をぼうっとしてるのよ!
城下町の人々が列を成し、皆一様に興奮した笑顔でヴァニスの到着を待ちわびている。
その間を縫うように馬車はゆっくりと駆け抜け、やがて広場の大きな噴水の手前で止まった。
「ヴァニス王様ー!!」
「王様! 王様ー!!」
「我らが名君ヴァニス王ー!!」
大きな歓声に迎えられてヴァニスは馬車を降り、あたしも無言でそれに続く。
なんだかこの場にいたくない。この華やかさは今のあたしには負担だわ。
目立たないようにできるだけ後ろの方へ引っ込もう。
そう思ってコソコソと妖怪馬の陰に隠れようとしていると……。
「ヴァニス王様、そちらのお美しい貴婦人は?」
そんな声が聞こえた。
お美しい貴婦人? 誰? どこ?
あら気がつかなかった。あたし以外にも誰か視察に同行してたっけ?
キョロキョロ探していると、ヴァニスや町の人々とバシッと目が合った。
全員揃ってあたしを凝視してて、思わずビビってしまう。
な、なに!? 何か御用でしょうか!?
……え? え?
ひょっとして、美しい貴婦人て。
あたしかぁぁーーーーー!!?
あたし!? あたしが『貴婦人』!?
なんで!? どこをどう修復修正すればあたしが『貴婦人』!?
しかも『お美しい』って、あんた!
あんまりにもそれは露骨にお世辞が見え透いて、逆に白けるって!
「王様、ひょっとして?」
「いよいよ御身をお固めに?」
「ついに王妃様を娶られるのですか!?」
「おおヴァニス王様、おめでとうございます!」
みんなが口々にわぁ!っと歓声を上げた。
ちょ、ちょちょちょ!? なんか異様に状況がエスカレートしてませんか!?
誰が貴婦人でどれが王妃だって!? えぇ!?
妖怪馬の細いろくろ首の陰に隠れながら、あたしは完璧に混乱した。
「おぉ、恥らっておられるぞ!」
「なんとお可愛らしく、慎み深い!」
「素晴らしい貴婦人だわ!」
ひえぇぇ~~!? 誰か何とかして、この勢いを!
そ、そうか、考えてみればまだ独身の国王が、二人掛けの馬車に女性同伴でお出掛けなんて、勘ぐられる要素が満載だわ。
この典型的な日本人顔じゃ、ヴァニスの親戚だとは誰も思わないだろうし。
あたし、花嫁候補だってカン違いされちゃってるんだ!
なるほどそれなら『お美しい貴婦人』ってセリフも頷ける。
仮にも王の花嫁候補を『凹凸の少ない珍しい顔の女性』とは、形容できないだろうし。
うわぁ、目立ちたくなかったのに完璧に悪目立ちしてる! ある意味ヴァニスよりも注目の的だわこれは!
ヴァ、ヴァニス! ちょっとヴァニスってば!
早いとこ、この誤解を解いてちょうだい!