(8)
そして翌日。
あたしの願いも虚しく、そりゃもう小気味良いほどにカラッと空は晴れ渡った。
そうよね。あれだけ満天の星空だったんだもの。頑張って雨乞いしたけど無駄だったわ。
ガックリしながら侍女が運んできてくれたお湯で顔を洗い、口をすすぐ。
顔を拭こうと手に取った布に、妖怪馬の刺繍を見つけてさらにゲンナリしてしまう。
そしてパンと卵とスープの食事をそそくさと済ませた。
イスに腰掛け溜め息をついているうちに、あっという間に……
「お客様、お時間でございます」
あぁ、侍女のお迎え。ついに視察の時間が来てしまったか。
ここで「あ、急に具合が」とか言ってフラついてみても白々しいわよねぇ。
朝飯ぜんぶ平らげといて、さすがにそれはね。
マティルダちゃんと約束したし。というか強引に押し切られたんだけど。
でもズル休みな真似はできないわ。大人として。
そうよね、行くと決めたなら行かなきゃ。嫌な予感っていっても、ただ気が重いだけなんだし。
気持ちに負けてしまって逃げ腰になってちゃ意味が無い。
自分にできる事をする。あたしはそう決めたんだ。
やらなきゃならない事は依然としてあるんだ。逃げてる場合じゃない。
訳の分からない不安に怯えていても始まらない。まずは動いてみよう。行動だ。
あたしは「よし!」と気合を一発入れる。
そして案内役の侍女の後ろを背筋を伸ばして着いていった。
「雫さま!」
元気な声が通路に響いた。
明るい赤色のドレスに身を包んだマティルダちゃんが、あたしを目掛けて笑顔で駆けて来る。
「雫さま、マティルダのお願いを聞いて下さってありがとう!」
その可愛い姿と可憐な笑顔に心が和んだ。
「マティルダちゃん、今日もとっても素敵ね」
「本当? 嬉しいわ! 雫さまにお気に入りの宝石を見せてあげようと思って身に着けてきたの!」
満面の笑顔で自慢そうに張られた胸元に輝く宝石は、透き通った明るい緑色が良質さを主張している。
うわぁ、これってエメラルド? ずいぶんと大きなエメラルドねぇ!
差し出された華奢な両手の指には、それぞれにダイヤモンドの指輪が。
カットは単純で輝きこそ地味だけれど、これまたデカいわ! 立派な存在感! あたしが貰ったダイヤなんてこれらに比べたらスズメの涙よ。
そして両耳には真っ赤なルビー。
光線の加減によっては黒く見えるほどの、見蕩れるような深い濃い赤がドレスにピッタリだ。
「すごいわねぇ! これ全部マティルダちゃんの物なの!?」
「そうよ、マティルダのよ! ……あげないわよ?」
「別に取り上げたりしないから安心して」
あたしは笑ってそう答えた。
「お母様が亡くなった時、宝石やドレスは全部マティルダが受け継いだの。それから自分でも少しずつ増やしたのよ」
ニコニコと嬉しそうに説明してくれる。
「今日身につけているのは、全部お母様の形見のお品よ」
懐かしそうに自分の指のダイヤモンドを眺める、幼い表情。
この宝石が、かつて母親の指で輝いていた記憶を思い出しているんだろう。
そうか、この子にとって宝飾品は亡くなった母親のようなものなんだ。
母親が死んだ時、まるで身代わりのように手に入れた品々。
キラキラと色褪せることなく、昼も夜も変わらずに、優しかった母の笑顔のように輝き続ける。
ひとりぼっちの寂しい心を慰めてくれる、癒してくれる。そんな大切な心の支えのようなものなんだろう。
可哀想に。本当に寂しい毎日を送っているのね。
「マティルダ。雫」
「あ! お兄様!」
ヴァニスが姿を現した。
大喜びで駆け寄るマティルダちゃんは、嬉しそうに赤く染まった頬で色々と話し掛けている。
微笑みながらいちいち頷いて聞いているヴァニスに、従者が遠慮がちに声を掛けた。
「ヴァニス王様、お時間が押しております」
「あぁ、分かっている。ではマティルダ、続きはまた今度な」
「え、ええお兄様。また今度」
や護衛の兵士達に囲まれヴァニスは歩み去っていく。
あたしもその後に続きながら、気になって後ろを振り返る。
あたし達を見送るマティルダちゃんの姿は、まるで置いてきぼりをくらった子犬そのものだった。
でも鳴き声を上げることもなく、じっと黙って辛抱している。
マティルダちゃん……。
「雫よ、ノロノロするな。さっさと来い」
「……」
「なんだ? その物言いた気な目は?」
「ぶぇつぅにぃ~~~」
たったひとりの妹に、こんな寂しい思いをさせるなんて。
やっぱり目を覚まさせてやらにゃダメだわ! コイツは!
『仕事』のひと言が全てを許す免罪符だと思ってるのよね、こーゆータイプって。
そりゃ国王なんて職務は普通と一緒に考えちゃいけないんだろうけど。
でもヴァニスの場合、やらなくていい仕事まで背負い込んで勝手にフル回転してるんだもの。
自業自得だわ。神様を消滅させるヒマがあったら妹と一緒にいてやりなさいよ。