(7)
ゆうべは地下牢で一睡も出来なかった。
その上揺れる馬車で遠出したし、妖怪馬には妙に気に入られて追いかけられるし。
不思議な石柱は不気味に振動するし。ヴァニスには剣で脅されるし。
濃厚100%ジュースみたいな出来事連発でもうクタクタ。
ドサリとベッドに横になると、疲労しているところに満腹感も重なって、てきめんに睡魔が襲ってきた。
泥に引き込まれるようにあたしは眠りに落ちていく。
そしてふと目覚めた時にはもう、あたりはもうすでに夜だった。
体がだるいし、まだ疲れも眠気も残ってる。
横になったまま、ぼんやりした頭で暗闇に目が慣れるのを待った。
徐々に目が慣れてきて、テーブルの上に燭台が用意されているのが見える。
あたしはソロソロと身を起こし、窓の方へ近づいた。そして扉を開け、外の様子を伺う。
城のあちこちの窓から、とても明るい光が漏れている。
ロウソク程度の光じゃこうはならない。やっぱり精霊の長が明かりを灯しているんだわ。
空には満天の星が無数に瞬いていて、濃紺の天を彩る星々の息を飲むような美しさに、あたしの心は激しく疼いた。
ジン。
星空の下で、毎晩交わしたあなたとの約束。
必ず無事に帰るから、と繰り返し誓ったのに。
今頃あなたは、どれほど気に病み心配しているだろう。ごめんなさい、こんな事になってしまって。
でもあたしはまだ生きてる。無事でいることを伝えたい。
アグアさんの居場所も何とかして探し出したい。ノームが無事な事も伝えたい。
ヴァニスが意外にも国民の支持を得ている事実も。謎の石柱の件も。
伝えたい事が山ほどあるのに。
……石柱。
あの時、もしかしたら死ぬかもしれないと思った時。
あたしはジンの事しか頭に浮かばなかった。
ジンの微笑み、ジンの声、ジンの指先。ジンの全てが強烈なまでにあたしの心を支配していた。
ただ『ジンにもう一度会いたい』とだけ一心に祈った。
心は悲しみと切なさと、彼への激しい熱望に満ちて、ジンを求める想いだけが全てだった。
あたしは……明らかにジンに惹かれている事を思い知った。
あたしは再び恋に落ちたんだ。
その事実が嬉しいのか悲しいのか、ひたすら胸は疼いて痛み続ける。
あたしの心は彼に傾いている。異世界の住人、銀色の風の精霊に。
住む世界の違う、しかも異種族の存在に。
この世界も、あたしの未来もどうなるのか定かでは無い。
今も先も不安要素だらけ。
なのにあたしの心臓は強く押されるように苦しく焦がれてしまう。
二度と出来ないと思っていた、恋をする喜びに。
星空の下、強く強く願う。
ジン、あなたに会いたい。会いたい。
会ってもう一度話がしたい。あなたの笑顔が見たい。触れ合いたいの。
そう願う度に涙が頬を零れ落ちた。
あまりの切なさに耐え切れず、声をあげ、窓によりかかってすすり泣く。
そしてふと……視線を感じた。
見上げたあたしの涙に濡れた両目は、少し離れた向かいのバルコニーに立ち、あたしを見つめるヴァニスの姿を見た。
途端にあたしは射抜かれたようにビクンと硬直してしまう。
とめどなく流れていた涙も一瞬で止まってしまった。
抜くような、強い強いまっすぐな目。
離れた場所からでも、痛みを感じるほどの強烈な眼差しがあたしを不安にさせる。
きっと。
きっと、このままでは済まない。
アグアさんを助け出し、狂王を改心させる。そして全て世界は元通りでめでたしめでたし。
そうなると思っていた。でも。
この男が立ちはだかる。
きっと予想だにしなかった何かが起きる気がする。
あたしの知らない、何かが起きて、そして事態を、あたし自身までも変えてしまいそうな予感がする。
何が起こるかは想像もつかない。だからこそあたしは恐怖に似た感情を感じる。
あの男のどこまでも自分自身を信じる強い意志に対しての、正体の知れない不安。
あたしの心までもが飲み込まれてしまいそうな気がする。
出会う前に感じていた狂王への恐怖とはまるで違った恐れを、今あたしはヴァニスに対して感じている。
ねぇジン、これから何が起こるの? あたしはどうなってしまう? あたし怖い。怖いの。
ヴァニスがこちらに向かって歩き出すのが見えた。
あたしを見つめたまま、一歩一歩確かな足取りでバルコニーを歩いて接近してくる。
あたしは窓の木戸を勢い良く閉めた。
窓に背を向け、激しく鳴る胸を押さえる。
明日はヴァニスと城下の視察。嫌な予感がする。ヴァニスに会いたくない。
明日なんか来なければいい。
雨が降らないかな? 悪天候なら視察も中止になるかも。
あたしが水の力で雨乞いすれば効果があるんじゃないかしら?
ねぇジン、ジン。
あたしは心の中で縋りつくように、何度も繰り返しジンの名を呼び続けていた。