(6)
感謝する、だなんて。
まさかそんな人間味のある言葉が、この男の口から出てくるなんて。
ヴァニスのマントからハトが飛び出てくるより驚いたかも。
ふんどし以上にお尻のムズムズする感じを覚えながら、マティルダちゃんに促されてあたしも席に着く。
給仕係が次々とお皿に料理を盛り付けてくれて、食事が始まった。
たっぷりな量の肉や、魚や、野菜料理。果物も様々な種類がどーっさりある。
お昼ご飯だってのにすごいボリーュムね。
うわ、豚の丸焼き? おぉ、巨大魚の姿煮? いや、葉っぱで包んで蒸してるのかな?
それにしても、どれもこれも迫力満点デカデカ大盛りー!
「いただきます」
あたしは両手を合わせ、頭を下げて食事前の挨拶をする。
マティルダちゃんが珍しがって大喜びであたしの真似をした。
「いただきます! ほらほらお兄様も!」
「う、うむ。い、いただきます」
神妙な顔で頭を下げる姿がおかしくて、あたしはつい笑ってしまった。
本当に妹に弱いのねぇ、ヴァニスって。
さてと、正直お腹がペコペコだし、ありがたく遠慮なく頂こう。
敵から送られた塩だし、やせ我慢は無用よね。
口に運ぶどの料理も味付け自体はあっさりしていた。
でも肉汁たっぷりで濃厚で、噛むたびに口中に香ばしい美味しさがぶわぁっと広がる。
煮魚もホロホロと柔らかくて、魚肉特有の旨味がしっかりしてて美味しいし。
野菜は驚くほど優しい甘味があって、エグ味が無いからどんどんイケる。
ヴァニスもマティルダちゃんも旺盛な食欲で、たっぷりの量を食べていく。
お陰でこっちも気兼ね無しにがっつり食べられた。
王家の食事風景なんてシーンと静まり返ったお通夜みたいなもんかと思ってたけど、意外にも会話が豊富だった。
マティルダちゃんの趣味のアクセサリー集めの話で盛り上がる。
年頃の女の子らしく可愛らしい装飾品が大好きらしくて、話し始めたらもう止まらない勢いだ。
「少々難儀なほどに夢中なのだよ」
ヴァニスが苦笑いをする。
なるほど品質も金額も、さぞかし普通の十代の子の趣味とは桁違いなんだろう。
いちいち料理に驚き、感心するあたしの様子を見て二人は愉快そうに笑った。
あたしの口から飛び出る「これ美味しい!」の連発に、すっかり上機嫌で料理を盛り付ける給仕達。
和やかに食事の時間が過ぎていった。
「ああ、すごく楽しかった!」
マティルダちゃんが満足そうに笑う。
食事の時間が終わり、ヴァニスが仕事に戻っていく姿をあたし達は並んで見送った。
「お兄様もきっとご満足だわ」
「そうかしら? せっかく兄弟水入らずの時間をあたしがお邪魔しちゃったのに」
「そんな事ないわ! だってお兄様笑ってたもの!」
「笑う?」
「即位なさってから、お兄様はマティルダ以外には誰にも笑顔を見せなかったの。一度も」
笑顔を見せない? 一度も?
そういえば馬車でヴァニスが笑った時、護衛の兵士達が驚いたように顔を見合わせてた。
「お兄様は国王として、毎日国民の為に大変な努力をしていらっしゃるの」
「そう」
「とてもご苦労なさっているの。マティルダと会う時間も作れないくらい」
そう言って寂しそうに視線を落とす。
この一緒の食事の時間も、ずいぶん久し振りだったらしい。
ヴァニスはマティルダちゃんを気にしてはいるけど、忙しくてどうにも時間がとれないみたいで。
ずっと寂しい思いをさせてしまっているようだ。
「お兄様は国王陛下ですもの。それが当然だわ」
そんな強がりを言うマティルダちゃんが健気で、少し気の毒だった。
ほら、やっぱり神の消滅なんてバカな事に血道を上げてないで、おとなしく普通に国王してれば良かったのよ。
そしたらマティルダちゃんを寂しがらせずに済んだのに。
今からでも遅く無いわ。軌道修正って大事よ。
人間、過ちなんていくらでも起こすものだわ。王様だって人間に変わり無い。
間違いに気付いた時点で、すぐに後戻りすればいいだけのこと……。
そこまで考えて、あたしの脳裏にあの光景が浮かぶ。
ヴァニスの姿に熱狂していた民衆の姿が。
生活が劇的に変貌して、彼らの毎日は夢のように便利になった。
拷問やら処刑やらムチャクチャな事をしても支持されているのは、ひとえにそれが理由だと思う。
その方針を今さら変更できるんだろうか。
人間は一度覚えた蜜の味は忘れない。絶対に。
美味しい飴を口元から突然奪い取られたら大絶叫するだろう。反発の大きさは想像もつかない。
そうなったら、ヴァニスの国王としての立場はどうなってしまう?
あ! いや!
べ、別にヴァニスの立場なんか知ったこっちゃないけど! 身から出たサビだし!
ヴァニスは考えを改めた方が、世界の未来にとって良いに決まってるもの!
ただ、そうなったらマティルダちゃんがまた傷付くんじゃないかしら。
それを思うとちょっと胸が痛む。
「ねぇ雫さま、明日はお兄様が城下の視察を行う日なの」
「へぇ、視察を?」
「ぜひ雫さまにもご一緒して欲しいわ」
「え?」
城下町の視察に? あたしが?
あたしが一緒に行っても何の役にも立たないけど?
「お兄様のお側についていて欲しいの。お兄様、きっと雫さまをお気に召されたんだわ」
「……え゛?」
「だってお兄様、ずっと笑っていらしたもの。絶対よ」
「あ~~それはぁ~」
ないと思う。それこそ絶対に。
つい数時間前に鼻先に剣を突きつけられた身としては。
「お願い! どうかお忙しいお兄様の御心を癒して差し上げて!」
いや~、癒すってもねぇ。根本的な問題で、それはどうかと思うけど。
苦笑いするあたしにマティルダちゃんは熱心に頼み込む。
「お願い! お兄様にはマティルダからお話を通しておくわ!」
「いや、でもね」
「お願い! お願い!」
懸命に頼み込む姿に、なんとも返事ができなくなる。
ゴニョゴニョと言葉を濁すあたしをマティルダちゃんは強引に押し切った。
「じゃあ決まり! ありがとう雫さま!」
「え? え? あの」
「姫様、お昼寝のお時間でございますよ。お部屋にお戻り下さいませ」
「分かったわ! それでは雫さま、またお会いしましょうね!」
満面の笑顔を残し、マティルダちゃんは侍女を連れて軽やかに去っていく。
あ、あの、ちょっと待っ……。あぁ、行っちゃった。
背中を見送りながら困惑するあたしに、別の侍女が声をかけた。
「お部屋をご用意しております。こちらへどうぞ」
そう言ってこっちの返事も待たずにサッサと進みだす。
ちょ、ちょっと待ってよ! もう、あっちもこっちも!
あたしは慌てて侍女の後を追った。ここで置いてきぼりされたら迷子になっちゃうわ。右も左も分からないんだもの。
おとなしく侍女について行った先で案内された部屋は、小さめの客室だった。
赤い小花模様が立体的な、キルティングの寝具。植物の模様が側面に彫り込まれたイスとテーブル。
小さな鏡台。木の扉の閉まった小窓。
「御用がありましたら呼び鈴を鳴らしてください」
侍女は頭を下げて部屋から出て行ってしまった。
呼び鈴って、天井からぶら下がってるこの紐? へぇ、これ鳴らすと鈴がなるのか。むやみに触らないようにしなきゃ。
あたしは大きく伸びをしながらベッドに腰掛けた。
あぁ、普通のベッドだわ! 板切れでも薄い藁敷でもない!
普通って実はとっても幸せなことなのね!