(5)
ちょっと……やだわそれ。
あたしこれからその国に行こうってのに、王様が狂ってるわけ?
すごく嫌な予感がするんだけど。
バカな王様が統治する国なんて、悲惨の極みじゃないの?
その時突然、水の精霊の体がボウッと半透明になった。
「あ・・・」
精霊自身も驚いたように自分の透ける体を見ている。
「あぁ…」
「ど、どうしたの?」
「もう時間がない。実体化する力も失せてきています」
「えぇっ!?」
精霊の体を通して、うっすらと向こうの砂漠の景色が見える。
さすがにあたしは本気で慌て始めた。
ちょ、ちょっと待ってよ! 本当に、本当に死んでしまうの!?
そんなの嫌よ! こんな所で独りにしないで!
「お願い! 死なないで!」
「許してください。まさか私の祈りが、別世界の人間であるあなたに届いてしまうなんて」
「しっかりしてよ!」
「あなたと、こちらの世界と、何か通じ合うものがあったのでしょう」
「そんな事、今はどうでもいいわよ!」
「いえ、重要な事なのです。なぜならあなたに…」
悲しげな表情で精霊は、あたしに向かってどんどん透けていく片手を差し伸べた。
「あなたに、水の精霊の力を受け継いでもらわねばならないからです」
……は?
あたしは差し伸べられた手を取ろうとして、思わず自分の手を引っ込めた。
水の精霊の力を受け継ぐ? なにそれ、どういう事なの?
「私の呼び掛けに応え、ここへ召喚された。あなたには力を継ぐ資格があるのです」
「ちょ…」
「力を継ぎ、私の仲間の精霊と共に砂漠を越えてください」
「ちょ…待っ…」
「そして砂漠の神に謁見するのです。そして…」
「ちょと待って!」
そんな、そっちの都合をベラベラ言われても困るわよ! 勝手な事を言わないで!
あたしは人間なのよ!?
生まれた時から、混じりっけ無しの生粋の人間よ!
それをそんな、いきなり今から精霊になれって言われたって!
「できるわけないでしょ!?」
「いいえ、やらねばならないのです。でなければ、あなたはここで死ぬしかない」
「な…!?」
「砂漠を越える為に、水の精霊の力は不可欠なのです。生き延びたければ、継ぐより他に道は無いのです」
「そ、そんな勝手な事ばかり…!」
「もう時間が無い。さあ急いでください」
焦りの見える精霊を前に、あたしは絶望した。
この精霊は本気だ。本気であたしに力を継がせたがっている。
きっと、そうしなければ生き延びられないという話も事実なんだろう。
そんなのってない。あんまりだ。
生きたければ人間やめろ、だなんて。
確かに精霊ってメルヘンで素敵な生き物だけど、それとこれとは話が別よ。
人間以外の生き物になんかなりたくない。
生きるために、ドラキュラやフランケンシュタインになれって言われてるのと同じよ。
はいそうですかって納得できる?
しかもそんな重要な事を、たった今すぐ決断しなきゃならないなんて。
なんでこんな、人生における重大決断が重なるわけ?
ついこないだ婚約破棄を決めたばかりなのよ? 情けなさ過ぎて涙が出てくる。
あたし、前世でどれほど悪行を働いたっていうの!?
あたしは決断しかねるまま、潤む目で精霊を見た。
みるみると全身が透けて、切羽詰った表情であたしを見つめる精霊を。
「さあ早く。時間が、時間がもう本当にありません」
「あなたを助ける方法は無いの!?」
「不可能です。だから力を継いで私の仲間を救ってください」
「仲間救うより、あなたを救う方が先決でしょ!?」
「無理です。きっともうすぐ風の精霊がここへ来る。その者と共に…あ、あぁ……」
儚げな声と共に精霊の体がグラリと後ろへ倒れた。
限界まで透けて、もはや朧な影のようになってしまった体は形を留める事もできず、輪郭も崩れかけている。
「待って、お願い! あたしを独りにしないでぇぇ!!」
あたしは無我夢中で精霊の体を抱き止めようとした。
でもそれは叶わずに、すうっと、音も無く両腕が精霊の体を突き抜ける。
もう、だめなの?
あたしの視線と精霊の視線が重なる。
ほとんど透けてしまっていても、まだそこに空色の美しさは残っていた。
その空色の、まるで吸い込まれるような、なんと純粋で気高い美しさ。
今まさに、この世界から消え去ろうとしている命の輝き。
(どうか逝かないで)
あたしの胸に強烈な悲しみが込み上げる。
取り残される不安以外の、深く大きな感情が胸を占めた。
寂しさと、悲しさと、それからこれは…
わずかな希望?
これは、水の精霊の感情?
重なり合った体を通して精霊の感情が流れ込んできている?
まさに、流れる水のように。