(6)
あたしを失いたくないと言ってくれたあなた!
あなたの元に戻りたい! あの約束を果たしたい!
あなたの笑顔をひと目見るまで……
「絶対に死ぬわけにはいかない! こんなのは絶対に嫌よ!」
目から涙がほとばしり、口からは叫びがほとばしる。
そして心からは熱い感情がほとばしった。
「ジン! ジン! ジン! ジンーーー!!」
-- スウッ……
不意に空気が、まるであたしの心の叫びに反応するかのように和らいだ。
願いを聞き分けてくれたかのように唸りが消え去る。
揺れていた石柱が徐々に静まり、空気の振動がみるみる治まっていく。
そして、ピタリと完全に怪しげな動きは止まってしまった。
え? え? えぇぇ?
シーーーンと、沈黙が流れる。
誰も動かないし、何もしゃべらない。
突然の状況の変化についていけず、全員がキョトンとして棒の様に突っ立っているだけだ。
やがて、ぶるるっという音が聞こえた。
双頭の馬達が長い首を振り、溜め息のように大きな息を吐く。
その音のお陰で、全員の緊張の糸が緩み、護衛の兵士達が当惑した表情でお互いの顔を見合っている。
同時にヴァニスが、無言で剣を鞘に収めた。
あたしは頬の涙を手で拭い、ひとまず安堵する。
どうやら助かったみたい。なにがどうしてどうなってるのか、まったくもって分からないけれど。
とりあえず、今あたしは生きている。もうそれでいい。それだけで充分だ。
「違ったか」
ヴァニスが口元に手を添え、何かを考え込んでいた。
違うって何がよ?
「そりゃ違うでしょうよ。こんな所業は最初から間違ってるに決まってるわ!」
「問題は、振動していた石柱だ」
「は? 石柱が? なによ?」
「もしやと思ったが、やはり違うのか。だが、いやしかし」
あたしと会話しているようで、その実あたしの事なんてまるで見ていない。
ヴァニスの視線は自分の思考の中を彷徨っていて、あたしは引き気味にその姿を眺めた。
ヴァニス。人間の国の王様。国民に高く支持され慕われている人物。
民衆の熱い声援に、ひょっとしたら彼の悪行は何かの間違いなのかも、との考えも一瞬よぎった。
でも彼はあたしに剣を向けた。冷徹な目で、一片の容赦も無く。
あたしが従わなければ迷いも無く、一刀の元に斬り捨てていただろう。
その姿はやはり狂王そのもの。彼の風評に間違いは無い。血も涙も無い暴君だ。
バサリと暴君のマントが翻る。
「用は済んだ。城へ帰る」
黒髪を風に靡かせ、スッと背筋の伸びた姿勢で、彼は馬車に向かって歩いていく。
「雫よ、来い」
振り返りもせずそう言うヴァニスの背中を、あたしは眺め続ける。
見えなくても分かる。きっと今、彼の両目はその姿勢のように真っ直ぐだ。
何かの先を見据えるような、真剣な眼差しで。
分からない。やっぱり分からない。。
あたしの頭の中にパズルのピースが浮かんだ。彼の頭の中には、いったい何が?
あたしは馬車に向かってゆっくり歩き出した。
不安や疑問があったところで、ヴァニスと共に城へ戻る以外には、選択の余地は無い。
城にはノームもアグアさんも幽閉されている。このまま放置はできないわ。何とかしなきゃならない。
ここはおとなしく言う通りにしよう。
自分に向かって剣を突きつけた男と隣同士、肩を並べて席に着くあたしの心は、鉛のように重苦しかった。
相変わらず妖怪馬はこっちをガン見してるし。しつこいのよあんたらはもうっ。
御者がたずなを鳴らして、馬車は元来た道を城へ向かってひた走る。
あたしは首をひねって後ろを振り返った。
三本の白い石柱。草原の中に佇む不可思議な存在。始祖の神の降り立った場所。
ここでヴァニスは何をするつもりだったのかしら。
なぜあの時に石柱が振動したのだろう。
あたしに対して反応したの? ならどうして急に収まってしまったのかしら?
お陰であたしは助かったけれど。
あの振動には何の意味があったんだろう。
ヴァニスは何を望んでいたんだろうか。
疑問だらけの頭を抱え、遠ざかっていく石柱を眺め続ける。
奥歯に物が挟まったような気持ち悪さ。
心の不快さと、揺れる馬車の不快さ。それらが混じり合って、落ち着かない不安感がモクモクと膨れ上がっていく。
ここには……何かがある。
あたしは首が痛くなるまで、小さくなっていく石柱を見続けていた。