(2)
「双頭の馬は非常に感性の優れた生き物だ。お前の持つ、普通とは違う何かを見抜いたのだろう」
ふ、普通とは違うって!
ろくろ首相手に『普通じゃない』なんて思われる筋合い無いわよ!
馬たちの双頭のひとつは前を向き、ひとつはあたしを見つめたまま。
その器用さが怖いの! どうせ前を向くんなら、ふたつ一緒に前向いて走りゃいいじゃないの!
しつこいようだけどオバケは嫌いなの! あっち向いて頼むから!
肩に力の入ったあたしを乗せて、馬車は吊り橋を渡って城下町へ入っていった。
まだ早朝のせいか、街中に人影はそれほど多くない。
四角い、質素で単純な石造りの平屋の民家が並ぶ。
少しばかり歪んだ、いかにもお手製感満載の住居の壁には、ポツポツと壁をくり抜いたような無造作な窓が。
どの民家も似たような大きさや形の家ばかりで、洒落た感じに飾られた部分は全く無い。
やがて道端を歩いている町人達が、ヴァニスに気がつき始めた。
みんな驚いたように大きく目を見開いている。
ヴァニスを恐れているのね。わかるわ。
最悪な暴君なんかに会った日には、どんな難癖つけられて首をはねられるか分かったもんじゃないもの。
みんな、早く家の中に避難したほうがいいわ。
「ヴァニス王、バンザイ!!」
……え?
「ヴァニス王様ーー!」
「おいみんな! ヴァニス王様だぞ!」
「名君ヴァニス様ーー!」
「王様バンザイ! 永遠なれ!!」
あちこちから、明るい賑やかな声が聞こえてきた。
ヴァニスはその声に応えて、悠々と手を振っている。
え? え? なんで? なにこの状況?
なぜみんなヴァニスを賛美するのよ?
服従の意思を示すために、心にも無い事を言ってるのかしら?
そう思ったあたしは人々の様子を注意深く伺った。
皆一様に興奮し、頬を赤らめ、手を振りながら笑っている。
あれは作り笑顔なんかじゃない。心からの笑顔だわ。
じゃあやっぱりこの人達は本心から、ヴァニスを名君と讃えているの?
ヴァニスに手を振り返されて大喜びしている町の人達。
次々と聞こえる声援に包まれながら、あたしは完全に混乱してしまった。
なんなの!? いったいなにこれ!?
どうしてみんなヴァニスに心酔してるの!?
貴族達がゴマスリで平伏するのは分かるけど、国民たちは全員、圧政に苦しんできたんでしょう!?
拷問や公開処刑なんて、筆舌に尽くし難い苦痛を与えられて!
あ、集団催眠にでもかけられて洗脳されてるのかしら。これも精霊の力を利用してるとか?
でもそんな話はジン達からひと言も聞いていないし。
どんどん不安が膨らんでくる。
どうしよう。理由は分からないけれど、国民はヴァニスを支持している。
予想では圧政に対して不満が爆発寸前のはずだったのに。その国民感情を利用するはずだったのに。
完全に読み間違えた。なぜ? どうしてこんな認識のズレが起こったの?
こうなってくると、精霊達の心情もどんな風なのか分からない。
心から服従しているのは精霊の長ぐらいのものだと思っていたけれど。
そうじゃないのだとしたら? どうしよう、どうしよう。
ジン達はこの状況を知っているのかしら?
もし知らないでいるとしたら……。
あぁ、ジン。何とかして連絡を付けたい。でもノームとは引き離されてしまったし。
「どうかしたか?」
やたらと落ち着きなく周囲を見渡すあたしに、ヴァニスが声をかけた。
「い、いえ。風景が珍しくて」
「そうか。もうすぐ町を抜けるぞ」
あても無く泳ぐ視線でジンの姿を探し求める。
でも当然ジンの姿はどこにもない。
目に見えるのはヴァニスに熱狂する人々の姿ばかり。そしてますますあたしの不安が増していく。
やがて馬車は町を抜け、その先の一本道を進んで行った。
人工的な建物が見えなくなり、視界には広大な自然が広がる。
青い空に遥かな山々。一面の花や緑。豊かな木々。手付かずの美しい自然が生き生きとしている。
でもそれらを楽しむ余裕なんて、まったく無い。
「どうしたのだ? ずいぶんと無口だが?」
俯くあたしに再びヴァニスが話しかけてきた。
だめだわ。このままじゃ疑われる。できるだけ平静を保たないと。
「馬車なんて初めて乗ったから。お尻が痛くて大変なのよ」
実際、かなりな振動が全身に伝わってくる。
道は舗装されてるわけじゃないから体は揺れるし、お世辞にも快適とは言い難い乗り物だ。
「そうか。馬車が辛いなら馬に乗っても良いぞ?」
「え゛? 馬って、これに?」
相変わらずこっちをガン見してる妖怪馬たちと、あたしの視線がバッチリ合った。
「結構です! このまま馬車に乗ってます!」
「……ふっ」
必死に首を振って断固拒否するあたしを見てヴァニスが笑った。
それを見た護衛役の兵士達が、揃って顔を見合わせている。
「もうすぐ目的地に着く。それまでの辛抱だ」
「目的地って?」
「ヴァニス王様、見えてまいりました」
「うむ。見ろ。あれだ」
言われた通りにあたしは前を向いた。
視界一杯の、広い広い草原。辺りには木一本、岩ひとつ見えない。
良く言えば極限に見晴らしの良い、悪く言えば殺風景このうえ無い、その中にポツンと何かが立っている
あれは……石柱?
草原の中に無造作に、三本の石柱が立っている。
馬車はほどなくその場所に到着した。
「ついて来い」
ヴァニスが馬車から降りて石柱に近づき、あたしも仕方なく後に続く。
ヴァニスの背丈よりも少し高い石柱は、あたしでも両腕を回せる程度の太さしかなかった。
色は真っ白で、表面は野ざらしとはとても思えないほどツルツルしてて、綺麗。
そんな三本の石柱が、三角の形になるよう置かれている。
遮る物の何も無い、心細さを感じるほど広大な草原に拭く風が、見上げるあたしの髪を揺らす。
ジンとは違う風に身をさらされながら、あたしは髪を手で押さえた。
「雫よ、ここはな……」
石柱を眺めるヴァニスの黒髪も風に揺れている。
「ここは、始祖の神の降り立った場所だ」