(3)
そりゃ逃げたいわよ切実に!
でもあんまり事が簡単に運びすぎて、怪し過ぎるのよ!
「『旨い話にゃ裏がある』ってのが一般常識でしょっ?」
「お前の世界の常識など知らぬ」
「そ、そりゃそうだろうけど」
「裏も表も無い。お前は逃げたい。余は剣を収めたい。そこにあるのは利害の一致だけだ」
淡々と語る狂王。
薄暗くて、その表情を詳しく読み取る事は出来ないんだけど。
少なくとも裏や含みのあるような印象は無い。大丈夫かしら。
「しずくさん」
ノームの不安そうな声。
そう、ね。あたしも心配だわ。カンを信じていいのかどうか分からない。
でもこのままこのポーズを維持し続けるってのも、かなり間ヅラが抜けてる気がするし。
たぶん、それは狂王が許さないだろう。そのうちにシビレを切らして強硬手段に出てくるわ。
それなら今のうちに、イチかバチかの賭けに出た方が、利口な選択かもしれないわね。
「いいわ。約束は守りなさいよ?」
「分かった」
「男の約束よ?」
「うむ」
あたしは覚悟を決め、ソロソロと剣から両手を放した。
狂王は安堵したような息をつき、素早く剣を鞘に収める。
あたしは警戒しつつその様子を伺った。
再び剣を抜くような素振りも無く、狂王は自分の髪を掻きあげる。
けっこう長髪、よね?
ほんと暗いわね。もう少し明かりが欲しいわ。
様子を見ながら、あたしは少しずつ後方に下がる。
あたしは手を放した。だから次は狂王が約束を守る番。ちゃんと見逃しなさいよね?
「まったくもって無茶な事をする女だ」
ずり下がるあたしを見ながら、狂王はまた呆れたような声を出す。
「なにがよ?」
「あんな事をして、両手が使い物にならなくなったらどうするつもりだ?」
「あ、あたしの武術の腕前ならそんなヘマはしないわ」
「余がとっさに動きを止めたから良いようなものの」
「え?」
「ほんの一瞬の差で、お前の指は床に落ちていたかも知れぬ」
……えっと……じゃあ、あれって。
「まさかお前、本当に自分が余の剣を制したと思っていたのか?」
「……」
思ってました。出来たと思った『真剣白羽取り』。
じゃ、あれってあたしの思い込み?
狂王は、キョトンとしているあたしの顔を眺めて沈黙した後、ますます呆れた声で呟く。
「異世界の人間とは、皆そのように馬鹿なのか?」
「バカとは何よバカとは! 失礼ね! ちょっとした勘違いなんて誰にでもあることでしょ!?
ずりずりと後ずさりしつつも、口ではしっかり文句を言わせてもらう。
そもそもあんたがノームを殺そうとなんかするからよ!
そっちの方がよっぽどバカだわ!
「人様を批判する前に我が身を振り返ったら!?」
「我が身?」
「命の価値を何とも思わないなんて、あんたはバカ王よ! 人の上に立つ資格なんか無い! 狂王と呼ばれても反論できないわね!」
「お前……」
「なによ!?」
「立派な事を言ってるわりに、態度は無様に逃げ腰だぞ?」
「うるさいわね!!」
別に無様でも何でもないわよ! これは当然の権利でしょ!?
「見逃すって約束したでしょ!?」
「うむ。だからこうして見逃している」
狂王は深く頷いた。
そ、そうね。本当に見逃してるわね。約束を守ったことは、ちょっと見直したわ。ちょっとだけね。
よし! 今のうちに!
「じゃ、じゃあ、あたし達はこれで失礼するわ」
「『余は』間違いなく見逃したぞ」
「え?」
「が、そこの者達はお前達を見逃すかな?」
あたしは狂王の視線を追って背後を振り返った。
そこには軽装な鎧を身につけた兵士が数名いて、通路を完全に通せんぼしている。
そんな!
呆然と立ちすくむあたしの横を狂王が颯爽と通り過ぎる。
大きなマントが翻る気配がした。
「侵入者だ。見逃すかどうかはお前達の判断にまかせる」
「は! ヴァニス王!」
兵士たちが駆け寄ってきてあたしを取り囲んだ。
こ……
こ……
「この大嘘つきーーーっ!!!」
あたしの怒りの叫びが、狂王の軽快な靴音に重なった。