(8)
……ぴくんと、あたしの唇が震えた。
辺りは暗く、静かで、何も聞こえない。闇と無音。舞う炎。
あたしは火の人形の踊りから視線を離さない。離せない。
「人間は好きじゃない。今も偏見がある。でも……」
ただ。
ただジンの囁きだけが……。
「オレはお前と出会えて良かった。感謝している」
その囁く言葉だけが、あたしの胸に突き刺さってあたしを苦しめる。
苦しめるのよ……。
あたしは何の言葉も返さず、ふたりの間に沈黙の時間が流れる。
火の人形はひたすら踊り続け、あたし達は黙ってそれを眺め続けるだけ。
しばらくしてジンが静かに話しかけてきた。
「さあもう休もう。雫も疲れたろう?」
「あたし……」
あたしは夜空を見上げた。
「もう少しここにいたい。こんなすごい星空、初めてよ。もう少しだけここにいるわ」
「……そうか」
それだけ言ってジンが静かに立ち上がった。
「おやすみ。雫」
火の人形が深く一礼して、また元の焚き火に姿を変えた。
パチパチと揺らめく明るい炎を背に、ジンがゆっくりとテントに向かって立ち去っていく。
あたしはジンの風の気配を感じなくなるまで、夜空を見上げていた。
あぁ、溢れるような星達。こんな大量の星なんてプラネタリウムでしか見た事ない。
まるで作り物のように感じられるほど、見事なこの世界の自然の夜空。
彼とふたりで見たわ。プラネタリウム。
暗闇の中、手を繋ぎながら。
そしてその場で彼からのプロポーズ。
『雫がこの世界に生まれてくれて良かった。雫はこの世でたったひとりの特別な存在だ』
アナウンスの説明なんて、まるで耳に入らなかった。
爆発しそうな心臓の音と、緊張してガチガチに固まる体。
『雫に出会えた事、神様に感謝してる。本当だよ』
湧き上がる幸福感。そして泣き出しそうなほどの喜び。
『結婚してください』
一生……一生忘れないと誓った。涙で潤むこの星空を。
たとえ作り物であったとしても、あたしにとって、どの世界の星空よりも美しく輝くこの星空を。
あたしは彼の言葉を信じたわ。
何の補償も担保も無い『言葉』なんて不確かなものを。
ううん、言葉だけじゃない。
ダイヤモンドの婚約指輪。新婚旅行のパンフレット。結納品の7品目セット。
これでもかってくらい、たくさん贈られたわ。彼からの永遠の愛の証として。
信じた。信じたわ。全て無条件に信じていた。そして……。
あたしは、その全てを失った。
その時、真実も永遠も無いんだって思い知った。
世界には、何ひとつ確証なんか無いんだって。
どんなに目の前に証を捧げられても、それは全部儚い幻想でしかないって。
思い知らされ、絶望に突き落とされ、全てを恨んで逃げ出して。
逃げた先に、この世界があった。
そして今、再び満天の星空の下で再び、あの時と同じ言葉を聞く。
『この世界に来てくれて良かった』
『特別な人間』
『出会えた事を感謝する』
あの時とは違う味の涙で潤む星空を見ながら、胸が掻き毟られるように痛む。
運命ってものが本当に存在するなら、ずいぶんとヘソ曲がりで厄介なものだと思う。
思うけど、あたしはひょっとしたら、何かを変えられるのかもしれない。