(11)
あたしの体を抱くモネグロスの腕に、痛いほどの力が込められる。
「おぉ、神の船よ……」
モネグロスの体が小刻みに震え、あたしの額のすぐそばで、彼の歯がぎりぎりと音を立てた。
大きく波打つ胸と、すすり泣く呼吸の音。
ミネグロスに抱きしめられながら、あたしは息をする事ができなかった。
瞬きする事もできなかった。なにもできなかった。
なにも。なにも。なにも。
この力は何のため?
この、水の力はいったい何のために?
あの水の精霊が自分の命の終焉にあたしに託した力。あたしの道行く先の希望を信じて託した力。
『守って下さい。仲間を、そして世界を』
見開いたあたしの両目が火の精霊の姿を捉える。
輝く炎を身にまとう彼は、目からも口からも煙のように炎が燃え上がっていた。
(あんた……)
忘却の果ての、その姿。
(あんたは……!)
全ての有を無と化すほどの閃光と炎の空間の中で、ただ猛り狂うだけの、もの。
あたしはモネグロスの腕を振り払い、勢い良く立ち上がって火の精霊に向かって叫んだ。
「あんた! いま自分が何をしたか分かってるの!?」
あんたは精霊の仲間を殺した!
懸命に兄弟や仲間を守ろうとしていた、幼い少女のような土の精霊を!
そしてあんたは神の船をも殺した!
アグアさんと再び会える日を夢焦がれ続けていた神の船を!
それも、よりによって土の精霊の目前で!
あんたの、あんたのその力は
心優しい土の精霊を
宝物を夢に見続けていた神の船を
誇り高く気高いジンを
水の精霊が希望を信じた世界を……
ただ無残に破壊するためだけの力か!!
意識が飛びそうになるほどの、爆発的な怒りが全身の細胞を沸き立たせる。
水が、あたしの中の水が怒り狂う。
この理不尽な悲劇を前に、怒りで沸騰しながら全身を駆け巡る。
輝く炎に照らされた、眩しいほどの空間に突如として影が射した。
頭上高い天空に暗雲がモクモクとたちこめる。
ゴゴゴ…と響くような音が、低く、でも確かに聞こえる。
たちまち青空はドス黒くに染まり、夜と見紛うほどの重苦しい暗がりに覆われていく。
地上の眩さと、天上の暗闇。ふたつの対比が、どんどん混じり合っていく。
そしてぽつりと、強烈な熱に覆われた地に落ちる、一滴の雫。
雨だ。
―― ぽつり、ポツリ
音も無く天から落ちる雨の雫たち。
烈火の楽園と化す空間を前に、儚く無力なそれは。
-- ポツ、ポツ、ザアァァァーー・・・
徒党を組み、勢いを増し、無数の水となって。
―― ドオオオオッ!!
見る間に大地を殴りつける、膨大な水の槍と化した。
(あんたをあたしは、絶対許せない!)
天から叩きつけられる滝の槍雨。箍が外れたような驚愕のスコール。
熱に浮かされていた空気が、湿気と水の匂いで充満する。
一瞬で頭からずぶ濡れになり、服が水を限界まで吸って重くなった。
ベットリと濡れた髪が顔に貼り付く。
突然の大雨に全身を殴られて痛むのか、モネグロスが顔を歪めた。
あまりの雨量で、あたしの視界もほとんど利かない。
最初のうち、我を忘れた火の精霊は雨など完全に無視していた。
でもこの凄まじい雨量に全身を叩きつけられて、さすがに正気が戻ってきたらしい。
戸惑うように天を見上げ、呆然と雨に濡れる自分の体を見ていた。
やがて、突然火の精霊がガクリと片ヒザをつくように崩れ落ちる。
まるで呼吸困難のように大きく胸を上下させ、口をパクパクさせながら苦し気に頭を振った。
燃えるような赤い髪がボウッとかすみ、色がぼやけ始めたと思うと、彼は勢いよくうつ伏せに倒れた。
その体に雨は、容赦なく襲い掛かる。
煙るように包み込む水に遮られて、火の精霊の姿が見えなくなった。
でもそこにいるはずの火の精霊をあたしは睨み続けていた。
しとど流れ落ちる水に濡れた、般若のような形相で。
地を覆う炎の楽園はみるみる勢いを鈍らせた。
輝く青白い炎が文字通り青息吐息となっていく。熱気は湿気となり、火は水溜りになり、炎が水に飲み込まれていく。
(さあ、思い知れ!)
般若の唇の片端が、クィっと上にあがった。