(5)
「お前は確かに人間だが、この世界の人間とは違うんだよな。それに、お前はオレ達の事をとても良く理解してくれている」
「え?」
「狂王に対して本気で怒ってくれたろう? 下劣な裏切り者だと」
「あ…」
あたしの心は戸惑った。
あ、あれは、その…。
あれは、確かに怒りはしたけれど。
でもあたし、あの時は自分の状況と重ね合わせていて。
自分自身の事を哀れんでいた比率が、かなり大きくて。
この世界の事を純粋に憂いていたわけじゃ…。
「人間に、この理不尽さと気持ちを理解してもらえてとても嬉しかったんだ。ありがとう、雫」
戸惑うあたしの心を知る由も無いジン。
曇りの無い目で感謝を伝えられて、あたしは済まない気持ちで一杯になった。
「雫。元の世界で何があった?」
「え?」
「お前の言動や態度を見ていれば分かる。何かとてつもなく辛い出来事が起こったんだろう?」
「え、えぇ、まあ、そうなんだけど」
「やはりそうか。良かったら話してくれ。どれほど辛い事があったんだ?」
「う、あぁ、えっと……」
あたしは視線をあちこちに泳がせて言葉を詰まらせた。
そ、そうよ。確かにとても辛い出来事だったのよ。
これまでの人生全てを打ち砕かれるほどの、辛い出来事だったわ。
でも、なんて言うの?
『実は男に振られたんです』って?
拷問や公開処刑。おんな子どもに至るまで、無辜の民が無残に命を奪われる。
神の使いは消滅し、神殿も廃墟と化し、神の存在も、もはや風前の灯。
自らの命の危険を顧みず、仲間を救うために立ち上がった者達。
この世界の惨状を前にして…
『男に振られたんです。あてつけに死のうとしたんです。そしたらこっちの世界に来ちゃったんです』
……言えない。とても言えない。
いや勿論、あたしにとっては重大な出来事だったのよ!
間違いなく、本気で苦しんで傷付いたのよ!
今だって苦しいし、悲しいし、傷付いてるわ! 人の苦悩に大小の差なんて無いし、順位も無いわよね!?
ただ。
ただ何て言うか、どうしても引け目を感じて身が縮こまる思いになる。
言葉が出てこなくてうろたえているあたしを見て、ジンがまた謝罪してきた。
「済まない。余計な事を聞いてしまったか?」
「あ、いえ、そうじゃなくて」
「よほど辛い事なんだろう。簡単には話せないだろうな。悪かった。もう無理に聞こうとしない」
あたしを気遣ってくれる言葉と態度に、ますますうろたえてしまう。
わ、話題を変えよう! それがいいわ!
「ジンとモネグロスってずいぶん仲が良いのね」
あたしはことさら明るい声を出して、強引に場の空気と気分を変えた。
うん、本当に仲が良いわよね。
神様であるモネグロスに対して、ジンってばタメ口きいてるし。
神に対して無礼だ無礼だってあたしに怒るわりに、自分もけっこう礼儀知らずだと思うんだけど。
でもモネグロスもそれを当たり前に受け止めてるし。
「モネグロスとはずいぶん長い付き合いなんだ。この砂漠を渡る風は、ずっとオレの風だったのさ」
ジンが自慢そうな声でそう言った。
砂漠を渡る風、かぁ。そうね、砂漠に風は付き物だものね。
砂を運び、砂丘をつくり、刻一刻と景観を変える。どこまでも続く黄色い大地と、吹き渡る風の群れ。
砂漠と、水と、風。
「モネグロスとアグアさんとジンは、深い絆で結ばれた仲間だったのね」
「ああ、この船もな」
穏やかな笑顔で、ジンは優しく船の縁を撫でる。
「この船、アグアさんの事をすごく心配してるわ」
「そうだろうな。アグアもこの船を大切に思っていた」
「とても会いたがっているの。本当に会いたがっている」
「分かるよ。よく」
翳るジンの表情。ジンも、さぞかし気掛かりなんだろう。
今頃、アグアさんがどんな目に遭わされているか。どんなに悲しい思いをしているか。