(2)
今あたしは恨みの言葉で満ちた頭と、憎しみの感情で満ちた心を抱えて会社の屋上に立つ。
フェンス越しに遥か下を見下ろせば、たくさんの車や見知らぬ人々が行き交う、平凡な喧騒の世界があった。
その平穏さが、あたしの命を代償にして一瞬にして掻き消されてしまうんだ。
フェンスをよじ登ろうと指を掛け、ヒールの爪先も掛けた。
ぐいっと力を込めた指に金網が食い込み、痛みが走る。
ふと、…あぁ、あたしの死装束は会社の制服なのかと思った。
ウェディングドレスを着て死んでやれば良かった。いかにもこれ見よがしに。
ウェディング…ドレス……。
彼とふたりで選んだ純白のドレス。
迷いに迷って決めた、最高の刺繍をあしらったプリンセスラインのドレス。
間違いなく最高に幸せだったあたし。そして最高にあたしを愛してくれていた彼。
なのに今あたしは、フェンスに指を掛けている。
両目に涙が盛り上がり、熱い涙が溢れて零れ落ちた。
耐え切れない思いが次から次へと涙となり、声となって溢れ出る。
「う、あ…ああぁぁ~~…」
呻き声の様な泣き声を搾り出し、あたしは天を見上げて人生最後の涙を流した。
…ポツン。
頬に、冷たい雨が一滴落ちる。
ポツン、ポツンと二滴、三滴、続けざまに頬が濡れる。
―― サアァァーー
静かな雨が、しっとりとあたしの体を包み込んだ。
天もあたしの為に泣いてくれている。
そう思うと、ほんの少しだけ慰められる気がした。
雨に濡れるあたしの遺体か。それも終焉に相応しいのかも知れないわ。
再び意を決して指とヒールに力を込めた時、あたしは奇妙な事実に気が付いた。
下の道路を歩く人達の誰も傘を差さしていない。
突然の雨に誰ひとり慌てる様子もなく、平然と普通に歩いてる。
見れば道路も全然濡れていないし。でも確かに、今こうして雨が降っているのに。
疑問に思ったあたしは周囲を見渡した。
……え?
あたしは目を凝らして、もう一度良く見直した。
……え??
指とヒールから、思わず力が抜ける。両目を大きく開いて周囲360度全体を見渡した。
やっぱり間違いない。この雨、あたしの周りだけに降ってる。
ちょうどあたしを中心にした半径一メートルぐらいの、局地的なこの部分にだけ雨が降っている。
他には全然まったく、一滴も降っていない。
あたしの足元のコンクリートだけが濡れて、他の場所とはクッキリと色が変化している。
こんな自然現象ってあるの?
初めて見たわ。きっと天文学的な確率でしか遭遇できない現象ね。
半ば感動しながら空を見上げ、あたしはフェンスから指を放した。
ちょっと離れた場所から眺めてみよう。
人生の最後と決意した時にこんな珍しい現象が見られるなんて、神様って本当にいるのかもしれない。
フェンスから離れて歩きながらあたしは神様に感謝した。
せっかく神様のプレゼントなんだから、良く見なきゃ勿体な……あ、あれ?
あたしは足早に移動した。
…あれ?
そして慌ててもう少し移動する。
……あれ??
小走りに、フェンスからだいぶ離れた場所に移動した。
……あれぇ!?
あたしは空を見上げ、呆然とする。だって雨が。
雨が、あたしを追いかけて来る!?
まるで役者を追いかけるスポットライトのよう。あたしが移動した場所に的確に雨が降り注ぐ。
どんなにチョロチョロ動き回っても、雨の方も負けていない。
ピッタリと確実にマークしてくる。まるで腕の良い舞台照明さんみたいだ。
ど、どうなってるのこれ??