(3)
スパルタ教育に音をあげて、しょっちゅうジンに庇護を求めて泣きついてくるらしいけど。
なにせ相手はロッテンマイヤー。
神も精霊も王も、世界の誰も彼女に太刀打ちなんかできない。
天下無敵の彼女は、これからもビシバシとマティルダちゃんを鍛え続けるだろう。
お陰でマティルダちゃんは最近、めっきりとしっかりしてきたらしい。
おまけに、どこをどーしたものか「ロッテンマイヤー」が侍女長の正式な役職名になったらしくて。
笑ってしまった。
そうか、みんな元気にやってるんだ。
良かった。本当に良かった。安心したわ。
………。
「ねぇ、ジン……」
『なんだ?』
「あたし、もう一度そっちの世界に行けないかしら?」
『………』
「もう一度、会いたいの。みんなに」
会いたいの。会いたい。みんなに。
そして、ジン。あなたに会いたい。会いたくて堪らない。
声だけじゃ嫌。姿が見たい。
会って話したい。あなたに触れ合いたい。
この気持ちが抑えられない。だってあたし、今でも、あなたの事をずっと。
『無理だ』
「………」
『世界間の移動なんて大事は、基本的にたった一度しか出来ない。神々の力を持ってしても、な。お前がそっちへ帰れたのは奇蹟なんだ』
そう。そうよね。
無理よね。分かってる。
分かってるけど、あなたの声を聞いて気持ちが溢れてしまったの。
あなたに会いたいって。そっちの世界に行きたいって。
行きたいって。
行き……たい……って……。
『無理なんだ』
「………」
泣き声がジンに聞かれないように、震える唇を噛み締めた。
姿が見えなくて良かった。こんな悲惨で情け無い泣き顔見せたら、ジンに心配かけるところだった。
無理だって事、知ってる。だってあたし達は結ばれない運命だから。
だからもう二度と会えない。
また、お別れなのね。
あんなに苦しい別れを経験したのに、また別れを乗り越えなきゃならない。
今度こそ本当の別離。
ほろほろと涙が零れ落ちる。
いくら泣いても奇蹟は二度と起きない。
あたしはこっちの世界で生きるべき存在。間違えてはいけない。
でも愛する者との別れは辛すぎる。
こんなの、辛すぎる。
『お前が来るのは無理だから、オレがそっちへ行く』
「…………」
はい?
なに? 誰がどこに行くって?
『神々の力が完全に回復したら、オレがそっちの世界に行く』
「えっ!?」
『いつになるかは分からないけどな』
「えええぇぇぇっ!?」
来る!? こっちに!?
ジンがこっちの世界へ来るって!?
「ちょちょちょ、ちょっと待って!」
あたしは見えないジンに手をブンブン振った。
よく、よーく考えてみてよジン!
世界間の移動は一回しかできない。
つまり、来ちゃったら戻れないのよ!? 二度とよ!?
あなたは二度と元の世界に戻れないの! そこんとこちゃんと理解してる!?
ね!? あなたの人生がかかってるのよ!?
『とにかくそれでもオレは行く』
「なんでえぇ!?」
『お前がいるから』
「……!!」
『お前が居るべき場所が、オレの居るべき場所だからだ』
あたしのぽっかり開いた両目から、再び涙がポロポロ落ちる。
でも込み上がる気持ちは、喜び。
この無上の喜びが透明な雫となって、両目からあたしの頬を伝って落ちる。
次から次へと。とめどなく。
「で、でも」
『なんだよ。まだなんか文句あるのか?』
「あなたが本当に生きるべきは、そっちの世界なのよ」
あなたはそちらの世界の存在。銀色の風の精霊。
居るべき場所を間違えてはいけないの。
『あぁ、オレは風の精霊だ。居るべき、もへったくれもあるかよ。誰の指図も受けない。己が望む方向へ吹く』
「ジ、ン……」
『それがオレの誇りで信条だ。譲らない。絶対に』
うっ……
うぅっ、うっ……
「うううぅ~~~……」
あたしはもう、どうにも堪えきれずに嗚咽した。
どんなに歯を食いしばっても、とてもとても押さえきれない。
この思いを抑える事など、とてもできない。
嵐のようなこの喜びを。
爆発するようなこの幸せを。
押さえるなんて、とてもできないわ!
『おい! お前まさか嫌がってんのか!? 泣いてないで喜べよ!』
「いや、だから! 思いっきり盛大に喜んでるんですけどあたし!」
泣くほど嬉しいって感覚、あんたには無いわけ!?
まったく、どこまでもどこまでもあんたって男はほんとに!
喜んでるわよ!
あたし、喜んでるの!
すご゛くすごく喜んで……うっ、うぅ……。
「うっ、よろ、よろ、よろこ、よろごぶ……」
『舌噛むぞ? とは言え、いつになるかまでは約束できないけどな。相当待たせる事になりそうだ』
「うぅ……うっ……待っ、待っ……」
『あぁ、待ってろ』
うん。
うん。うん。うん。
あたしは首を思い切り縦に振って何度も頷く。
待ってる。待っているわジン。
どんなに時間がかかろうと構わない。いつまでもいつまでも待っているわ。
あなたが来ると言うのなら。
あなたが待てと言うのなら。
あたしは希望を胸に待ち続けることができる!
『もうそろそろ時間切れだ』
「ジン……」
『次は声だけじゃない。本当に会いに行くから』
「えぇ。待ってる」
『信じろ。必ず行く。必ず。オレは必ず行く』
「えぇ、信じるわ。……あのね、ジン、あたし」
『なんだ?』
あたしは大きく息を吸い、はっきり明瞭にジンに伝えた。
「あたし、あなたを愛してる」
『オレもお前を愛してる。雫』
その言葉を最後に、ジンの声は聞こえなくなった。
あたしの周りには、ジンでは無い風が吹いている。
それでもあたしは幸せだった。幸せの涙を流し続けた。