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(3)

 水とは全ての命を守り育むもの。

 だからあたしはあの世界にこの涙を捧げる。

 世界の全ての命を守り、育むために。


 大地はもう、無い。空も無い。そこに生きていた人達ももう居ない。

 それでもあたしはあの世界に涙を捧げる。

 乾いた大地をも恐れず、潤し守るために身を捧げる最初の一滴のように。


 それが、あたしがここに居る理由。この世界を旅した理由なんだ。


『破壊された世界へ、水を? もう無いもの対して、守り育む「水」を捧げるのですか?』

「そうよ」

『それは、失ったものへの鎮魂なのですか?』

「いいえ。失ってはいない」


 あたしは両目から涙を次々と落とす。

 落ちた涙は漆黒に吸い込まれ、ことごとく儚く脆く消えていく。

 それでもあたしは涙を落とし続けた。

 唇を真一文字に結び、何も無い漆黒に目を凝らし、両手を強く握り締め、熱い涙を捧げ続ける。


 この、守り育む水を。


 あたしは忘れてしまっていた。自分で言ったことなのに。

 マティルダちゃんと一緒に家族の肖像画を見上げながら、自分で語った言葉を。

 失う事と、完全に消失してしまう事とは違うのだと。


『抱え続ける限り、証は無くならない。無くしていないなら残ってる。きっとどこか、自分でも想像もつかないくらい、とても深いところに』


 そうだ。だから失ってはいない。

 あたしの中に間違いなく残っているの。

 この中に。ジンの銀色の風のように。

 それを抱きかかえたあたしが、ここに存在している。

 それはたとえ神でも変えようの無い事実。


 だからあたしは涙の雫を捧げ続ける。

 道行く先の希望を信じて。

 あの世界の全てに捧げるわ。勇気と意味を。


 守りと育みを、どこまでも信じて捧げ続けてみせる!

 たとえ永遠に近い刻を、この漆黒の中で漂うことになろうとも!

 絶対に逃げ出しはしない! 無意味になどするものか!

 消滅などさせない! 彼等の存在を、あの世界で巡りあった全ての出来事を!

 それを信じるあたしが、ここに存在しているのだから!!


『存在よ、あなたの中にあの世界があるのですか?』


 有る。


『神も、精霊も、人間も、全てがあなたの中にあるのですか?』


 有る。

 全てがあたしの中に。確実に。


『ならばわたしは、世界の意思であるあなたに問わねばなりません』


 ………。


『存在よ、あなたはわたしの復活を望みますか?』


 あたしは、止めどなく涙を流しながらハッキリと断言した。


「あたしは、絶対に拒絶する」

『……承知』


 その意識と共に、漆黒一色に染められていた世界が一変した。

 目の前にぽつぽつと小さな光が現れ始める。

 その光はひとつ増え、ふたつ増え。

 次から次へと目移りする間も無く一面見渡す限りに広がっていった。

 無数の様々な色を放って輝く光の渦。


 これはなに? 星?

 ううん、違う。これは……命だ。

 あの世界で消えた全ての命が、ここに再生され始めている。


 始祖の神復活には、人と、神と、精霊がそれを望まなければならない。

 あたしの絶対の拒絶を、始祖の神が受け入れたんだ。

 望まれぬ以上、破壊を成す事は許されない。あってはならない。

 それが世界の摂理。


 始祖の神は再び眠りにつき、成された破壊は、あってはならなかった事として消滅する。

 復活の再生と創造。世界は復活するんだ。皆、再び生き返る。


 あたしは目の前に繰り広げられる命の再生に見惚れた。

 なんて美しい。まるで宇宙に散らばる星々のよう。

 それぞれに独特の色を放つ無限の命の輝き。膨大な命渦巻く銀河の創造。

 この目の前の荘厳さを、どう例えればいい?

 ひたすらに命とは、こんなにまで美しいんだ。


 ふと、ひとつの光に目が止まって、あたしは引き寄せられるようにその光に近づいた。

 それは銀色の光だった。

 ひと際美しく、強く、誇り高く輝いている。

 他のどの命の光よりも、あたしの心を捕らえて放さないその光は。


 あたしは微笑み、両手でそっとその光を包み込む。

 手の平が銀の光に彩られた。

 この温もり。この輝き。それは間違いようもない。

 あたしの唇が、その命の名を呼ぶ。


「ジン」


 再び、熱い涙が頬を零れる。


「ジン、ジン、ジン」


 泣きながら、何度も繰り返す。

 あたしの愛する者の名を。

 あの時彼が、消え去る寸前まであたしの名を呼び続けてくれたように。

 そしてジンの命を、確かにこの手に感じる。

 万感の思い。込み上げて膨れ上がる至上の幸福感。


 あなたは、ここに、いる。

 それがあたしの全て。

 全てよ。ジン。


 その時、あたしは自分の体に異変を感じた。

 端々から分解されていくような、この例えようのない不快感。

 これは会社の屋上で感じた、こちらの世界にトリップして来た時の感覚だわ。


 あぁ、時が来た。


 あたしの役目は終わった。

 だからあたしは帰るんだ。自分が居るべき本来の世界へ。

 逃げ出し、放り投げようとした世界へあたしはもう一度戻っていく。

 今度こそ、本当に自分の人生を生きる為に。

 逃げた先になど、どこにも居場所は無い。

 あたしが生きるべきはあの世界なんだ。

 間違ってはいけない。居るべき場所を間違えてはいけない。


 どんどん意識が掠れていく。命の銀河も涙で掠れる。

 ふと、あの夜見上げた流星夜を思い出した。


 誓ったわ。あの時。

 ここへ来られて良かったと、きっと心から思える時を迎えてみせると。

 道行く先の希望を信じようと。この旅を自分自身の望んだ旅にしようと。


 意識が途切れ、目の前が暗くなってきた。

 ジンの命の光も見えなくなる。


 ねぇ、ジン。

 あたし達は、やはり結ばれる事はなかった。

 これはきっと悲恋というべき恋なのだろう。

 それでもあたしは断言できるわ。

 あたしはね……。


「ここへ来られて本当に良かった。あなたに会えたから」


 それが、この世界でのあたしの全てであり。

 あたしの最後の言葉になった。

 そこであたしの全ての感覚は止まり、意識が完全に消え去った。




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