(11)
「ジン、ヴァニスが今、逝ったよ」
あたしは光の柱を目で追い、胸を震わせて泣きながら語りかける。
最後にアグアさんを、世界を救って逝ったよ。
ジンが何度も救った彼の命が、世界を守ったんだよ。ついに守りきったんだよ。
そしてあなたも……逝くのね。
これで終わる。やっとのことで。
もう代償を払う必要は無い。だって払えるだけ払い尽くしてしまったから。
そして手元に残るのは世界の存続。
今までとなにも変わりなく、明日からも世界は動き続ける。
ただそれだけ。
ただ、その為に。
だた、それだけの当たり前の事の為に、あたしは世界よりも大きいものを失ってしまうのよ。
ジン。
この果てない虚しさの、この遥かな苦しみの救いはどこにあるというの?
「ククク」
虚しさと哀しみに泣き濡れるあたしの耳に、不気味な音が聞こえた。
「クククク……」
あたしの胸に、ぞわりと黒い翳が忍び寄る。
いったいなんの音だろう?
これは……誰かが笑っている声?
そうだ。耐え切れぬ喜びに心底から笑っている声だ。
「これぞ……大願成就、なり」
あたしの顔は強張った。
ぞおぉっと背中が総毛立ち、全身から冷や汗が噴き出す。
心臓が破裂しそうだ。
嫌だ。見たく、無い。
でも、あたしは確認しなければならない。
ギチギチと音がしそうなほど、ぎこちなく首を動かした。
そしてあたしは、一番見たくないモノをはっきりと見てしまった。
地に倒れ伏している番人の、心からの満足げな笑顔を。
「アグアさん! 逃げてえぇぇぇ!!」
あたしはアグアさんに向かい、血相変えて絶叫した。
この化け物、まだ諦めていない!
最後の生贄を、アグアさんを石柱に捧げるつもりでいるんだわ!
この、ゾンビ! まだ諦めないっていうの!?
始祖の神より何より、あんたが一番始末が悪いのよ!
こんなに代償を払ったのに! こんなに大切なものばかりが失われてしまったのに!
もう充分でしょう!? まだ満足できないの!? まだこれ以上奪うというの!?
いいえ、絶対にこれ以上の代償は払わない! これ以上、ビタ一文だって払うつもりは無いわ!
「絶対にアグアさんを生贄にはさせない!!」
「クク……、誰がアグアが精霊の生贄だと言ったか?」
……え?
「わたしはひと言も、アグアが生贄になるとは言っていない」
番人は恍惚として自分の体を触っている。
破壊され、斬られた自分の傷のあちこちをウットリとした表情で。
この表情は、いつも決まって始祖の神復活の話をする時のあの表情だ。
……まさか。
不吉な予感に全身が冷たくなり、冷えた頭であたしは思い至った。
神、人間、精霊。
それぞれの中で最も貴重で特別な命が生贄となる。
番人は、始祖の神の眷属として生まれた。つまり。
精霊。
この世に神々が生まれる以前から、太古より世界を見守り続けた精霊。
始祖の神唯一の精霊。この世界で、唯一無二の、特別な。
あたしの全身からザアァッと血の気が引く音がした。まさか。
「わたしは世界を見守る役目を主から与えられた」
まさ、か。
「それ故、自分で自分を殺す事は叶わなかった。不可能だった」
まさか、あぁ、まさか。
「生贄となる為には、自分以外のものに殺されなければならなかった」
洪水のようにガアァァッと引いた血が一気に逆流して一瞬、あたしの意識が遠のいた。
この……
この……
この化け物はああぁぁーーーーー!!
「うわああああっ!!!」
あたしは狂ったように叫んだ。
嵌められた!! 完全に騙された!!
あたし達はうまく利用されたんだ!
さも、アグアさんが精霊の生贄のように見せかけられて!
こいつは本当の生贄である自分を、あたし達の手で殺させたんだ!!
あたし達の手で、あたし達の、この手で。
世界の破滅の最後のスイッチを入れさせたんだ!
自分達の命と引き換えに!
なんて事! なんて、なんて……!
「うわあ!! あああぁーーー!!!」
あたしは髪を掻き毟り、天を仰いで咆哮した。
皆の顔が脳裏に浮かんだ。信じて逝った者達の顔が。
絶望だ。本当の終わりだ。これが終焉。終わった。世界が。
ああ! 本当に本当に!
本当に何もかもが、無意味で無駄だった!!
あたしは半狂乱で叫び続ける。
そして番人は、どこまでも幸福に満ち足りていた。
いつも無表情だった顔は今、まさに幸福と喜びに満ちていた。
そして、不意にその表情が歪む。
「やっと……」
その目から信じられないモノが零れた。
涙、だった。
「やっと……やっと……」
赤ん坊のように顔をクシャクシャにして番人は泣く。
「これでやっと……死ね、る……」
枯れ木のように衰えた老人が、わあわあと泣いていた。
涙が次々と皺だらけの顔を伝って落ちる。
番人は、死にたかったんだ。
始祖の神の復活よりも、ただ、死にたかったんだ。
自分の命を、もう終わらせたかった。
永劫の命も、孤独も、使命も、なにもかも。
なにもかもが、自分にとってもう無意味でしかなかったから。
番人の泣き声が突然止んだ。
いままで動いていた秒針がいきなり止まったように。
コトリとも音がしなくなった。
そして番人は。
絶命した。
彼は真実望み続けたものを手に入れた。
世界の破滅を、代償にして。
―― ドシュゥッ!!
閃光が走り、三本の石柱から眩い光が天に向かって走る。
あたしはカラッポの頭と心で、ただ、それを眺めていた。
完全に無気力に、その光景を受け入れていた。
だってそれしか、もう。
あたしに残された道は無かったから。