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 自分の目に映る光景が信じられない。

 現実とはとても思えない。

 あたしはか細い息を吐き、目に映るものを懸命に否定した。


 嘘よ。こんなの嘘だわ。

 こんな残酷な光景、あるはずがないもの。

 人間の体に、ヴァニスの体に……。

 あの、素晴らしい王であるヴァニスが、こんな、こん、な目に……。


 半分意識を失っているあたしの横で、番人は平然と石柱を眺めている。

 石柱が白い光を放つのを、いまかいまかと待ち構えているんだ。

 でも……。


「…………?」


 無表情だった番人が怪訝そうな態度を示した。

 石柱が、光らない。


 番人は串刺しのヴァニスのもとへと近づき、身を屈めて覗き込んだ。

 番人の手がヴァニスの胸元から何かを取り出すのが見える。

 金色と赤色の混じったそれは……。


 マティルダちゃんの髪飾りだった。


「これにより致命傷を避けたか」


 その番人の言葉に、あたしは胸が詰まって泣きそうになる。

 マティルダちゃんの髪飾りがヴァニスを守ってくれたんだ。


「無意味な」


 番人は無感動に言い捨て、振り返った。


「風の力で杖の勢いを弱めたか。それもまた、無意味」


 番人の視線の先には、地面に這いつくばるジンの姿があった。

 やっとの事でここまで這いずってきたんだろう。

 もう彼には頭を上げる気力も無く、定まらない視線だけが朦朧とこちらを見ている。

 肩からは銀色の気体が漏れ続け、全身が銀に染められていた。

 半分飛んでいるあたしの意識が、ジンの存在によって少しずつ動き始める。


 すると、ジンの姿が一瞬霞んだ。

 ぼうっと全身が淡く光り、蛍のように瞬いている。

 あれは? あの光は。


 消滅の光り!!?


 あたしの脳は頭から冷水を浴びせられたように一気に覚醒した。

 血液が凍りそうな衝撃を受ける。

 あれは水の精霊やモネグロスが消滅した時と同じ光りだわ!

 じゃあ、まさか、ジンが消滅してしまう!?


「いやあぁぁ! ジン!!」


 あたしは転がるようにジンの所へ駆け寄った。

 ジンの体に縋り付き、懸命に両腕で揺さぶる。

「ジン! しっかりしてジン!!」


 嫌よ嫌!! 死なないで!! それだけは嫌あぁぁ!!


 ジンは揺さぶられながら、あたしを見上げた。

 ほとんど意思の消え去ってしまった曖昧な目で。

 もう、意識は混濁してしまっているのかもしれない。あたしの事も分かっていないのかもしれない。


「ジン! ジン! ジン!!」

 狂ったように彼の名を叫んだ。

 あたしの頭も体も心も、爆発して粉々に砕けてしまいそうだった。


 それでもいい! 砕け散っても構わない! 

 そしたら、そしたら最期に水の力が発動するかもしれない!

 まだ彼には質感がある! まだ間に合う! きっと助かるわ!

 あたしの命と引き換えに助けられるかもしれない!


 必死のあたしの望みも虚しく、ジンの全身の瞬きが見る間に強まった。

 あぁ、透けていく! 透き通るように儚くなっていく!

 消えてしまう! あたしのジンが!

 命よりも大切な愛するジンが、今ここで消滅してしまう!!


 あたしはもう半狂乱だった。

 ギャアギャアと金切り声を上げ、血を吐くほどに絶叫し続ける。

 正常な意識なんてとても保てない。

『こんなのは嫌だ』

 その感情だけがあたしの全てを支配し、突き動かしている。


 水! 水の力!

 あたしの体中の血液も体液も何もかも、全部一滴残らずジンに捧げる!

 血も骨も肉も心も、命さえも、何もかも失っても構わない!

 でもジンだけは失えない!

 たとえこの恋が成就しなくても、あたし達が結ばれなくても、それでも。


 それでも! ジンが生きていてくれればそれでいい!!


「……ずく……」


 ジンの唇が動いた。

 もう下の地面が透けるほど薄くなってしまったジンの体。

 恐らく彼の自己意識も消滅しかけている。


「ずく……し、ずく……しずく……」


 その彼が、あたしの名を呼んでいる。

 あたしは、どおっと涙を流した。

 ジンは自分自身が誰であるかすらも覚束ないのに、それでも、あたしの名前を・呼んでくれる。

 命の消える瞬間まで、きっと彼はあたしを呼ぶ。

 なぜ? それは。


「し、ず、く……」


 その名を持つ者を、彼が心から愛しているから。


 これ以上ないほどの確かな愛の証を捧げられて、あたしは泣き喚く。

 もうあたしの愛を彼に伝える時間と手段の無い悲劇に。

 髪を掻き毟り、時よ止まれと懇願する。


 でも現実はどこまでも無情。

 番人が今まさにヴァニスの命を奪おうとしていた。


「金の髪飾りも、風の力も、異世界の人間の涙も、全ては愚かで無意味」


 淡々と語る番人の声。

 無意味だと語るその声にすら、何の意義も感じられない。


 きっと本当に、無意味なんだ。

 番人にとってこの世界における全ては無意味なんだ。

 命も、愛も、涙も、なにもかも全て、価値のカケラもない。

 唯一、始祖の神の復活だけ。ただそれだけが、番人の……。


「この世界は罪に汚染され、始祖の神によって破壊される。ただそれだけが現実である」


 番人は両腕を大きく広げ、暗く渦巻く天を仰ぐ。

 その足元には瀕死のヴァニスの、体中に杖の突き刺さった断末魔の姿があった。


 あぁ、あたし達はまるで神の裁きを待つ罪人のようだ。

 終末の時を向かえ、呆然と、超越せし者の姿を下から見上げるのみ。

 圧倒的な力を前に、それでも、それでも。


それでも

『死にたくない』と懸命に足掻き続ける。


 …………。


 それが無意味? 愚か?


 いいえ、無意味じゃない。

 決して無意味じゃない。愚かでもなんでもない。

 破壊だけが現実でもない。


 それは違う。

 あたしは、それを、知っている。

 だからあたしは絶対に、拒絶する!!


 ―― ザアァァッ!!


 突如、重く形容し難い不思議な音が聞こえた。

 同時に、天を仰ぐ番人の体が大きくビクンと震える。


「確かに私は、愚かにも道を踏み外し罪を犯した」


 不意に響く、場違いなほどの静かな声。

 どこかで聞いたことがあるような。誰?


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