(6)
ジンは気を失って倒れていた。
ヴァニスは自分の血で赤く染まった体を、なんとか起こそうともがいている。
少し離れた場所にアグアさんも倒れこんでいる。
あたしは両腕で自分の体を抱きかかえ、顔をクシャクシャにして泣いていた。
そうでもしないと悲しみのあまり体が破裂してしまいそうだった。
ノームが逝った。逝ってしまった。
あたしを守ってくれたノーム。
兄弟や仲間を心から大切にしたノーム。
イフリートに恋をしたノーム。
ずっとずっと一緒だと約束した、可愛い可愛いノーム。
自身の幸せな未来全てと引き換えに、あたし達の命を守って逝ってしまった。
モネグロス、イフリート、ノーム。そしてマティルダちゃんも。
こんな事があって良い訳がない。絶対にないんだ。なのに、なのに。
無情なほど現実は、皆の命を根こそぎ奪い去っていく。
世界の破滅を拒絶するための犠牲として。
代償は、どうしても払わなければならない。払わなければ得られるものは何もない。
分かっていてもこれはあまりに……。
あまりにも……。
ザザッと重い何かを引きずる様な音が聞こえて、あたしは涙でグシャ濡れの顔を上げた。
そして目を見張る。
アグアさんの体が、まるで目に見えない糸に絡め取られ引きずられるように、倒れたままの状態で地面を擦るように移動していく。
その先には、石柱の真ん中に立つ番人が!
あたしは飛び上がるように体を起こした。
そして引きずられるアグアさんを追って懸命に走り出す。
アグアさんは必死に両手の爪を地面に立てて抵抗している。
あたしはもう無我夢中で全力疾走して、彼女に駆け寄った。
なんとかアグアさんに追いつき、手首を掴んで思い切り引っ張る。
でも向こうに引かれる力が想像以上に強く、簡単に振り切られてしまった。
あたしは再び走ってアグアさんを追いかけ、今度はアグアさんの体の上に飛び掛るように覆い被さった。
どう!? あたしとふたり分の体重よ! 簡単には引きずれないでしょう!?
あたしが乗った分、確かにスピードは遅くなった。
でも動きは止まらない。
ゆっくりではあっても、確実にあたし達の体は石柱に向かって進み続けている。
両手両足を地面に擦り付けるようにして抵抗しながら、あたしは焦った。
どうしよう。このままだとあの化け物の所に引き寄せられる。
そしたら間違いなく殺されてしまう!
あたしに力はもう残っていないし、攻撃はもちろん守る事もできない!
手足が地面に擦れ、皮膚が傷付き出血する。
どんどん近づいてくる番人の姿。それにつれて、あたしの心臓が激しく鳴り出す。
化け物に対する恐怖心。死ぬ事への恐れと焦り。
番人への許せない怒りの感情。
色んなものが一気にごちゃ混ぜになり、全身から汗が噴き出す。
近づく。あぁ、近づいていく!
ついに表情が確認できるほどの距離に近づいてしまった!
体中の皮膚が汗で湿り、あたしの心臓は早鐘を打つ。
そしてあたしの目と、感情の読めない番人の目が合う。
何ひとつ揺らぐ事の無い番人の……、いや、化け物の白い目の色。
ザザザッと激しい音を立てて、あたし達の体は止まった。
―― ドックン!!
鼓動が大きく鳴った。
目の前に立ちはだかる番人の真っ白な衣が、あたしの頭の中までも真っ白に染めた。
認めたくないけれど、恐らくこれは恐怖心という名の蹂躙。
何も、考え、られない。
鼓動は極限に速まり、でも思考はまるで働かず、あたしはゆっくりと目線を上げる。
見上げるその先に、あたしをじっと見下ろす番人の顔が。
その顔を見た瞬間、真っ白だった頭と心に感情が爆発した。
奥底から強い強い荒波のような勢いが押し寄せ、あたしの全てを飲み込み支配する。
あたしは番人を睨み上げて叫んだ。
「番人!!」
怒りなのか、正義感なのか、使命感なのか。
そのどれとも言えない感情があたしの口を突いて飛び出す。
「あたしは、あんただけは許さない!!」
世界に生きる者達の立場。立場によるそれぞれの理屈。
どれかが絶対的に正しく、どれかが絶対に間違いではない。それを知ったうえで、それでも。
「あんただけは認めるわけにはいかない!!」
番人と目を合わせ、その視線を微動だにせず言葉を浴びせた。
この意思をあんたの目の前に堂々突きつけて、貫き通してやる!! 必ず!!
―― バンッ!!
何かの塊りが破裂したような音が響いた。
振り向くと、ジンが右手を大きく開きこちらに向かって突き出している。
その銀色にまみれた手から、風が吹いて……。
「うおおおおぉぉ!!」
血で汚れた口元から雄叫びを発し、ヴァニスが剣を構えながら風に乗って突っ込んできた!!
「余も、お前だけは許さぬ!!」
黒い弾丸のようにヴァニスは一直線に飛ぶ。
輝く剣の切っ先が番人の背中に狙いを定めていた。
あっと思う時間すら無く、ヴァニスの剣が番人の体を貫いた。
―― キィィン!
鋭い金属音が聞こえるのと、ヴァニスが地面に転がり落ちるのと同時だった。
なんで!? てっきり剣が番人の背中を突き刺したと思ったのに!
なにが起こったの!?
番人の体に隠れて、なにが起こったのかまるで見えなくて。
「ちょっと邪魔よ! 番人どいて!!」
こちらを見たままの姿勢でいる番人にあたしは怒鳴りつけた。
「うぅ……」
脇腹を片手で押さえながらヴァニスは苦しそうに身悶えている。
その手が血でぬらぬらと濡れ光っていた。
ヴァニスの体の下の地面が血に染まるのが見えた。
石の槍に抉られた部分から、あんなに大量出血してる! 動いちゃだめよヴァニス!!
すぅっと番人の背後から、何かが浮かび上がった。
あれは、杖? 番人の杖が、宙に浮いている。
ふわりと浮かんでユラユラと頼り無げに動いていたかと思うと、いきなりヴァニスに向かって襲い掛かった。
杖の先がヴァニスの足にズブリと深く突き刺さり、ヴァニスの両目が見開かれる。
杖は深々と、彼の太もものあたりにギリギリめり込んでいた。
そして歯を食いしばり体を硬くしているヴァニスの足から、杖が一気に引き抜かれた。
足から溢れる真っ赤な血。
脇腹と足を手で押さえ、ヴァニスは声も無く悶絶した。