(5)
「ノーーームーーー!!」
あたしは絶叫しながら無我夢中でノームに向かって手を差し伸べた。
「だめ!!」
相変わらず真っ直ぐ前を向いたまま、瞬きもしないノームの鋭い声が飛ぶ。
「集中、きれたら、おさえきれ、なく、な……る」
「そんなこと言ったってノームあなた!!」
「だいじょ、ぶ……まだ、しばらくの間は、おさえられ……」
「そんな事心配してるんじゃないわよ!!」
それ、血なんじゃないの!?
あんたにとっての血液みたいなもんじゃないの!?
だったら非常事態じゃないの! 体中から血が噴き出してるのよ!?
そんな体でアグアさん守って、そしてあたし達を守って、さらに石の槍を押さえて、仕舞いに穴が塞ぐのまで阻止して。
もうあなたの限界、超えているんでしょう!?
「無茶よおぉ!! やめてえぇ!!」
あたしは、眼球ひとつ動かす余裕も無いノームの横顔に向かって叫んだ。
「やめ……ませ、ん。むりでも、むちゃでも、やらなければ……」
やらなければ。
アグアは番人に殺される。
あたし達は奈落の底へ飲み込まれる。
石の槍は抵抗できないヴァニスを攻撃し始めるし、さらに穴は塞がれ、あたし達は絶対に助からない。
そして世界が、終わるんだ。
だからノームは満身創痍でも、今ここで一切の手を抜くわけにはいかない。
分かってる! そんな簡単な理屈分かってる! 分かってるけど!
自分を助けるために、目の前で全身血まみれの少女が犠牲になってるのよ!?
それをあたしは、なんにもできずに見てるだけ!
守られるだけ守られながら、ブラブラぶら下がって、指をくわえて見ている事しかできないの!
……気が狂いそうよ!!!
「だって、これが……」
ノームが途切れ途切れに話すたび、その可憐な唇から緑の液体がコポコポと流れた。
「これが、わたしの……使命、誇り……」
「しゃべっちゃだめよ!!」
「まもりた、い、です。みんな……」
「しゃべらないでったら!!」
「どうか、まもらせて……わたしにも……」
イフリートのように。わたしが恋した彼の最期のように。
彼に想いを寄せた者として、恥ずかしくないだけの。
「誇りをもって、みんなを……まもらせ、て……」
涙があたしの両目からドッと溢れ出た。
堪らない感情が心の奥から溢れて溢れて、嵐のように全身を駆け巡る。
咳き込むように泣きながら、何も出来ない自分を呪った。
泣くしかできない自分の無力さを、心底から呪った。
―― ズウゥゥ!
大きな振動が響き、あたしはギョッと目を剥いた
穴がまた塞がり始めた!
とっさに歯を食いしばるノームの全身から緑の液体が噴き出る。
文字通り、死に物狂いであたし達を守ろうとしているノームの体が緑に染まった。
「番人ーーーーー!!」
あたしは遥か頭上の小さな穴に向かって、ノドも裂けよとばかりに叫んだ。
「今すぐ、今すぐバカな真似はやめなさい!!」
頭を振り、髪振り乱し、気もふれんばかりに叫んだ。
「やめなきゃ末代までも祟ってやるうぅーーー!!」
声の最後は、涙で掠れて虚しく奈落に消えていった。
「うぅぅ……ああぁぁぁ~~……」
そしてあたしは再び自分の無力を思い知り、咽び泣く。
なにもできない。あたしは、いったいなんのためにここにいるの?
「ジ……ン……」
目の光が消えかけているノームが、ぽつりと。
「はや、く……おねがい……」
そう、言った。
早く行けと言っている。
みんなを連れて、早く行けと。
自分をこのまま置き去りにして、早く逃げろと言っている。
半身を銀色に染め力無くうな垂れるジンの銀の髪が、ふわりと弱い風に揺れ始めた。
そして足元から浮き上がるような風を感じて、あたしは小刻みに頭を左右に振った。
待って。待ってお願い待って。
嫌よ、こんなの嫌。ノームを置き去りなんて、見殺しなんて絶対に嫌!
しかたない道理だって分かってる!
自分でもただの我が侭だって充分に知っている!
でも嫌! 嫌! 嫌! 納得できない絶対できない!!
「あたし達、親友でしょ!? ずっと一緒だって約束したじゃないの!!」
子どものようにみっともなく泣き喚くあたしに、ノームは横顔のままで、静かに言った。
「えぇ。もちろんずっとずっと一緒です」
そして前を見たままのノームの目から、透明な涙が流れ落ちた。
「ずっと一緒にいるために……あなたは、生きてください……」
……ノー、ム……。
ぽろりぽろりと、次々流れる涙が。
光を失い黒ずみかけた両目から、ノームの頬を幾筋も伝って落ちる。
ふわりと風が下から舞い上がり、あたしの体を揺らした。
「しずくさん……あのね、ずっと言いたかった……」
体が持ち上げられる感覚がする。
体に巻き付く木の根がスルリと解けていく。
あたしは必死の思いで木の根を放すまいと握り締めた。
「名前……ありがとうって……」
体が、浮き上がる。
木の根が指の間から虚しくスルスルと抜け落ちていく。
「とても、わたし、とてもとても……」
―― すううぅぅ……
あたしの体は浮上してしまった。だから、ノームの言葉の最後は。
聞き取れなかった。
見る間にノームが小さくなっていく。
どんどん、どんどん。
咽び泣くあたしがどんなに懸命に手を伸ばしても、ノームにはもう届かない。
あたしの手も、この声も、届くのはただ……。
ただ、奈落に吸い込まれるように次々と落ちるあたしの涙の雫だけ。
まるで噴水のような風の勢いに飲まれ、あたしの体は飛び上がった。
そしてバランスを崩しながらドサリと地面に落下する。
穴から出たと感じた瞬間、大きな地響きを地面の下から感じた。
振り向かなくとも、あたしには分かった。
ノームを飲み込んだまま、穴が閉じられてしまったのだと。