(4)
なにも出来ないなら出来ないなりに、先にだけは進まなきゃ!
強い決意と共に遥か頭上を見上げれば、かなり小さくなった穴が見える。
あそこまで上がるとなると相当難儀だろう。
しかもジンやヴァニスは深手を負っているのに。
……いや、なんの! 負けるもんですか!
いざとなったら、あたしがふたりを肩に担いででも上ってみせるわ!
一番いけないのは、ここで立ち止まる事よ! とにかく前へ! 前へ!
「ジン! ヴァニス! 聞こえる!? 今から上へ上るわよ!」
あたしは大声でふたりに呼びかけた。
「動くのが無理なら、あたしがあんた達を引っ張るわ! 今からそっちへ行くから待ってて!」
「しずくさん、わたしがみんなを運びます」
「ノーム?」
ノームが萎れて黒ずんだ目を細めながらあたしに笑いかけた。
「運ぶって、あなたもそんなに弱ってるのに? 無理よ」
「いいえ、なんとかなりますから」
「な、なんとかって」
あたし達を木の根で支え、さらに石の槍の動きを止めて、しかも地上でアグアさんを守りながら、さらに大の大人3人分をあんな高さまで運ぶって言うの?
「さすがに無理だわ!」
「むりでもやります。これはわたしのやるべき事ですから」
「で、でも!」
「これはわたしの使命です」
……使命。
あたしの脳裏にイフリートの精悍な顔が脳裏に浮かんだ。
「イフリートが守りたいと思ったものを、わたしは守りぬきます。この手で。それがわたしの使命であり、誇りなんです」
胸がギュッと痛んだ。
使命。誇り。こんな少女の口から聞くには厳つ過ぎる言葉なのに。
それを微笑みながら堂々と言ってのけるノームの姿に、胸が痛む。
イフリートは使命と誇りに殉じた。
ノームは彼が最期まで大切にしていたものを守ることで、彼への想いを昇華させようとしている。
こんなに痛手を負って弱った体で。
なんて強くたくましい子なんだろう。まさにこの子は大地の子。土の精霊だわ。
痛ましさと感動の入り混じった複雑な気持ちで、あたしはノームを見つめた。
胸が詰まって言葉にならないあたしに、無理に元気な声を出しながらノームが急かす。
「さあいそぎましょう。わたしが木の根をつかって、上までみんなをはこびます」
―― パラパラ
頭の上から少量の小石と砂が続けざまに降ってきた。
上を見上げると、なにか違和感を感じて、あたしは眉を寄せて様子を伺う。
なにかが変。なんだか穴の縁が動いているように見えない?
気のせいかしら?
―― ゴゴゴ!!
その大きな振動が響き渡るのと、ノームの顔色が変わるのと同時だった。
木の根にぶら下がっているあたしの体が振動に晒される。
―― ズウゥゥン!!
「きゃああ!!?」
さらに大きな振動で体が大幅に揺らされ、あたしは悲鳴を上げた。
ちょっと揺らさないでよ! 下に落ちたらどうしてくれるのよ!
「ジン、ヴァニス、大丈夫!?」
ふたりの方を確認しながら叫んだあたしは、そのまま口を開けて固まった。
認めたくない現象が目の前で起きている。
嘘。そんな、向こう側の……。
向こう側の土の壁がこっちに向かって動いて来てる!
呆気にとられるあたしの目に、壁が音を立てて揺れながらジワジワと、でも確実に接近してきているのがハッキリと見てとれた。
向こう側の壁だけじゃない。こっち側の壁も、向こう側へ向かって間違いなく動いてる。
この穴が狭まっている!! 番人が穴を閉じてしまおうとしているんだわ!!
あっという間に双方の壁は接近して、上からは岩や土や砂がどんどん頭に落ちてくる。
両手で頭を覆いながら、あたしは容赦無く閉じようとしている壁を呆然自失状態で眺めるばかり。
このままだと壁に挟まれペシャンコに潰されて全員殺されてしまう!
「うあああぁぁーーー!!!」
あたしの恐怖の悲鳴と、ノームの勇ましい雄叫びが重なった。
同時にノームの全身から、今まで見た事も無いほどの大量のトゲ蔓が放出される。
目の前が一瞬、伸び上がる蔓で完全に緑に染まった。
四方八方に伸びた蔓は両壁にメリメリと勢いよく食い込んでいく。
ノームが自分ひとりの力で、この巨大な穴が閉じられるのを止めようとしているの!?
「ぐ、うううぅぅぅーーー」
両目を極限まで見開き、歯を食いしばり、ノームはブルブルと震えながら空を見据える。
「ノ、ノーム!?」
「ううぅぅぅーーー……」
ノームは凄まじい表情で頭をブンブンと振り回し、大きく大きく息を吸い込んだ。
「うぐうぅぅああああーーーーー!!」
そして身を反らせ、耳を塞ぎたくなるほどの大音量で絶叫した。
あたしは思わず目を閉じて体をギュッと縮こませる。
やがてシーーンと、周囲が静まり帰った。
振動も治まって、恐る恐る周りを確認したあたしの両目が、大きく見開かれる。
壁の、壁の動きが……。
壁の動きが、止まってるーーー!!
凄い! やったわノーム!
ブラボー! スタンディングオベーション! 総立ちの拍手喝さいよ!
「ノーム! あんたってどこまで素晴らしい子なの!?」
あたしの称賛にノームは返事をしなかった。
照れてるのかと思ってノームの顔を覗き込んだあたしは、すぐに事態の緊急性を察した。
ノームの全身が細かく震えている。
体も、表情も、伸びる蔓も、全てが固く硬直して張りつめてしまっている。
ちょっとでも突付くと、いまにも破裂しそうな緊張感。
その尋常では無い雰囲気にあたしは強い胸騒ぎを感じた。
「ノ、ノーム?」
あたしは恐る恐るノームに触れようと手を伸ばした。
「さわら、ない、で」
ピクン、とあたしの手が止まる。
「さわら、ない、で。今、ちょっとでも、さわられ、たら……」
抑揚の無い、途切れ途切れの発音をするノームの全身は痙攣のように震えている。
その表情はまるで作り物のようにピクリとも動かない。
「ジ、ン……。きこえ、ますか……?」
動かない表情で真っ直ぐ前を見たまま、ノームはジンに話しかけた。
ジンは苦痛に歪んだ顔を僅かに動かし、ノームの方をチラリと見る。
「風の、ちか、らで、みんなを、上まで……」
「……」
「無理を、しょうちで、おねが……わたし、もう、もたな……」
―― ズウゥゥ!
振動が響き、再び土の壁が揺れ動いた。
「ぐう!!」
ノームの体がビクリと動き、ノドから奇妙な音が聞こえる。
少女の慢心の力が蔓に込められ、壁は動きを止めた。
そしてその代わりに。
―― ビシュウッ!
ノームの体のあちこちから、緑色の液体が噴き出した。