(3)
「……!!」
ふたり共、悲鳴は出なかった。
自分の身に何が起きたのか、瞬時には理解できなかったのかもしれない。
悲鳴の代わりにヴァニスの脇腹からはたくさんの鮮血が。
そしてジンの肩口からは、銀色の気体のようなものが一気に放出された。
「ジンーー!! ヴァニスーー!!」
ふたりの代わりにあたしが絶叫した。
同時にガクン! と全員の身体のバランスが崩れるのを感じる。
そしてあたし達は真っ逆さまに落下した。
奈落に向かって落ちながら、懸命にふたりに向かい手を差し伸べる。
でも届かない!
死ぬほど焦りながら、頭の片隅だけは奇妙なほど冷静だった。
このままでは全員死ぬ。助かる方法はないのか?
自分でも信じられないほどのスピードで、頭の中で様々な状況を計算する。
どこか掴まる所はない!?
なんとかふたりに手は届かない!?
なにかあたしの水の力は役に立たない!?
どうにか助かる方法はない!?
はじき出された答えは、ゼロ。助かる方法はなにも無い。
……それでも!
それでも絶対に諦めるわけにはいかない!
なにか! どこか! なんとか! どうにか!
どうにかしてこの状況を切り抜けなければ!
あたしは片腕を必死に上へと伸ばし、ひたすら上だけを睨むように見続けた。
そのあたしの目に、チラリと何かが映り込んだ。
あれは? 小さなあれは……。
「しずくさあぁぁぁぁーーーん!!」
小さな点にしか見えなかった何かが、あたしの名を叫びながら落ちて……
いや! 物凄い形相とスピードでブッ飛んできた!
「ノーム!!?」
髪を靡かせ弾丸のようにノームは飛ぶ。
そして狙い違わず、あたしの胸の上にヒラリと着地した。
ノームの可憐な表情は引き締まり、力強く胸を張る。
すると土の壁の側面からベキベキと破壊音が聞こえてきた。
派手な音を響かせて壁の表面を粉砕しながら、三本の巨大な植物の根が飛び出してあたし達に向かって伸びてくる。
根はあたし、ジン、ヴァニスの体にグルグルしっかりと巻きついた。
あたし達はぶら下がり、振り子のように大きく揺れる。
た……
助かったーーー!! ノームがあたし達を救ってくれた!
「ありがとう! ノー……!?」
感謝の言葉も言い終わらぬうちに、石の槍が嘘のように大量に襲い掛かってきた!
―― ビュルルルッ!!
凛々しい表情のノームの両手からも、負けじと大量のトゲの蔓が飛び出した。
それらは鞭のように大きくしなりながら、石の槍に果敢に向かっていく。
蔓は石の槍に強力に巻き付き、締め上げ、殴り付け、ことごとく石の槍を粉砕する。
砕かれてボロボロになった石の槍は、奈落の底に吸い込まれるように次々と落ちていく。
す、凄い! 凄すぎるわノーム!
この子、自分の事を攻撃系じゃないって謙遜してたけど。
どっこい、骨の髄まで攻めの女よ! あなたは!
それでも、またも壁からは次の石の槍達が飛び出そうとしている。
しつこい! これじゃいつまでたっても……!
ドドドッと地を這うような低く力強い振動が響き、極太の木の根が壁全体から一気に飛び出してきた。
軟体動物の足のようにうねりながら、壁の側面を覆い尽くして全ての槍を包み込んでしまう。
押さえつけられた石の槍達はまるで意思を持っているように、木の根を突き破らんと暴れている。
「ぜぇ、ぜぇ」
石の槍全部を破壊し、壁全体を根で覆い尽くしたノームは激しい呼吸にノドを鳴らした。
両手のトゲ蔓は萎れたように力を失い、ダランと垂れ下がっている。
「ノーム!! ありがとうありがとうノーム!!」
大切なイフリートを目の前で失い、絶望に打ちひしがれていたのに。
あたし達を助けるために立ち上がり、飛び込んできてくれたのね!
こんな危険な状況も顧みずに!
まだあどけなさの残るあなたのどこに、これほどの勇気と行動力があるんだろう!
「あなたって凄いわ!!」
「ぜぇ、ぜぇぇ」
「だ、大丈夫!?」
「だ、だいじょう、ぶです……」
ノームは喘息の発作のような苦しげな呼吸を繰り返している。
よく見ると目の周りがひどく黒ずみ、水分を失ったように萎れていた。
そういえば以前、トゲの蔓はそうそう簡単に出せるものじゃないって聞いたわ。
それをあんなに大量に出してしまったら、大変な負担なんじゃないかしら!?
「ノーム! あなた本当に大丈夫なの!?」
「へいき、です。あのふたりにくらべたら」
そ、そうだわ! ジン! ヴァニス!
ジンとヴァニスは負傷した部分を手で覆い、歯を食いしばって耐えつつ苦悶していた。
その手は赤色と銀色に染まってしまっている。
ノームもこの状態だし、早く治療しないと!
水! お願い水の力! みんなを助けて!
あたしは両手をパンパン打ち鳴らし、懸命に祈った。
水の癒しの力。治癒の力。どうか、どうか!
ところが、何も起きない。
体の中の水が湧き立つ感覚がひとつも起こらない。
ちょっと! なにしてんのよ水の力! さっさとなんとかして!!
バンバンバンッと両手を連打しながら、顔が真っ赤になるほど力を込めて祈る。
早く! 早く! 今すぐ治癒の力が必要なのよ!
ううぅぅ! 必要、なの、に!
「なんで何も起きないのよ!!?」
ヒステリックに叫ぶあたしに、ノームが途切れ途切れの息で答える。
「しずくさんも、今まででずいぶん、水の力をつかってしまいましたから」
そういえば、そうなのかもしれない。
これまであたしはロクに水の力を使った事もなかった。
それに元々半人間だから、生粋の精霊に比べると能力も容量も格段に低いだろう。
もうガス欠を起こしているのかも。
こんな大事な時なのに! 肝心なときに役に立てないなんて最低だわ!
もどかしさと情けなさで歯噛みする。
「ごめんなさい! みんな、ごめんなさい!」
「しずくさん、だいじょうぶです。あやまらないで」
「うっ……」
「泣かない、で……」
息も切れ切れのノームに逆に慰められて、ますます泣けてしまう。
確かにこんな時にベソベソ泣くなんて、それこそあたしってみっともない最低女だわ。
いい歳してガキより始末に負えない。泣いたってどうにもならないのに。
どうにもならないからこそ泣けてしまう。
どうにもならない自分の無力さが、未熟さが、腹立たしくて腹立たしくて仕方ない。
流す涙があるんなら、この涙でみんなを治癒したいと痛切に思うのに。
「とにかく、上へあがりましょう。アグアを上へ残してきてしまいました。しんぱいです」
そうだわ! アグアさん!
彼女は精霊の生贄として番人に狙われているんだわ!
「土と蔓で守ってはいますけど、いつまでもつか分かりません」
「分かったわ! すぐ上へ戻りましょう!」
あたしは涙で濡れた顔を上げた。
ほんとに泣いてる場合なんかじゃないんだ!
ここで泣いてても何にもならない!