(2)
気が狂いそうな恐怖感と共に落下するあたしの体をブワリと何かが支えた。
身体全体が、下からの猛烈な風圧で押し上げられてる。
見ればヴァニスも、下からの風に支えられて体を浮かせていた。
「雫! 大丈夫か!?」
ジンの声が聞こえた。
ジンが両腕を大きく広げて風をコントロールしている。
彼が風の力で落下を防いでくれたんだ!
「ジン、ありがとう!」
「待ってろ! 今すぐ地上に戻してやる!」
風が下から舞い上がり、あたし達の身体を上へと押し上げた。
見えない透明の布団に持ち上げられているみたいな感覚。
ふわあぁっと柔らかく上昇していって……
不意にガクンッ! と落下した。
「きゃあぁ!?」
直後に落下は止まったけれど、どおっと冷や汗をかいた。
見るとジンが身体を折り曲げて、苦悶の表情をしている。
火災旋風で力を消耗したうえ、さっきの怪我も治っていない。
自分自身と大人の人間ふたりを上まで持ち上げる事なんて、とても無理なんだろう。
「う……ぐぅ……!」
歯軋りが聞こえそうなほど歯を食いしばり、ジンは必死に力を使っている。
どうしよう! このままじゃいずれ力尽きてしまう!
奈落の底は真っ暗で、今にもあたし達を飲み込もうとしている。
あたし達を支えるのはいつ止んでしまうとも知れない、目に見えぬ風だけ。
途切れがちに聞こえる風の音が、不吉なカウントダウンを予想させた。
― ドゴッ!
突然、穴の側面から何かが飛び出してきた。
先が思い切り鋭利に尖った、巨大な槍のような形の石の柱が無数に飛び出してきた。
それらが全部、ヴァニスに狙い定めて襲い掛かる。
「ヴァニスーーー!!」
神の生贄としてモネグロスが殺された。
精霊の生贄としてアグアさんが狙われている。
人間の生贄は、王であるヴァニスなんだわ! 番人はヴァニスを殺して、石柱に捧げようとしている!
「うおおおぉぉぉ!!」
ヴァニスの目の色が変わった。
目に見えるほど充満する気合と、轟く勇ましい声。
紋章の刻まれた剣の刃が、それに応える様に美しく光り輝く。
ヴァニスの身体が素早い動きで華麗な剣舞を舞った。
ひと太刀浴びせたかと思うと身を翻し、反す刀でまたひと太刀。
なんと見事な身のこなし。無駄の一切ない、指先から足先に至るまで連動する洗練された舞のような動作。
襲い掛かる石の槍を難なく叩き切り、次々と叩き落す。
す……凄い!!
あたしは危険な状況も忘れて、思わず見入ってしまった。
いや、ヴァニスの剣の技術も確かに凄いけど、この剣自体の凄さは!?
普通、切れないでしょ!? 剣で石なんて!
「王家の宝刀の切れ味と余の磨かれた剣技、甘く見るな!!」
ヴァニスは叫び、目にも止まらぬ技を振るい続ける。
剣は白銀の光りとなり、襲い掛かる脅威を次々と払った。
そういえば、ご先祖様が大昔に神様から貰ったって言ってたっけ。
さすが神剣! どの神様か分からないけど、とにかくありがとう!
今すごく役に立ってますよ! これ!
石の槍はいくらでもあちこちから飛び出してきて、ヴァニスを四方八方から襲い続けた。
ヴァニスが残らず叩き切り、叩き落していく。
でも攻撃は止むことなく続き、その数はどんどん増していった。
ヴァニスの息が徐々に上がってきた。
肩が上下し、汗が伝い落ちている。
無理も無いわ。ただでさえ人間離れした事をやってのけているのに。
この不安定な足場のせいで余計に体力を消耗する。
「はぁ、はぁ、おのれ!」
彼の強い闘志はまるで衰えていない。
でも確実に動きが鈍くなってきている。そして石の槍の数は増え続ける。
あたしは堪らずヴァニスに近寄ろうとした。
でも空中に浮いている身ではどうしようもなく、虚しくジタバタと四肢で空を掻くだけだ。
ジンが何とか加勢をしようと試みたけれど、その途端に風のコントロールが乱れた。
ヴァニスの身体がガクンと揺れ、危うく石の槍の餌食になりかける。
あぁ! 危ない!
ヴァニスはなんとか身体のバランスを保って、襲い掛かる槍の束を寸でのところで叩き落とした。
ジンもギリギリのところで踏ん張っているから、手助けできない。
どうすればいいの!?
― ビュッ!!
あたしの顔の真横でほんの一瞬、音と風と衝撃を感じた。
目の前にパッと赤い飛沫が飛ぶ。
こめかみに感じる鋭い痛覚と、クラリと回る視界。
石の槍の一本の切っ先が、あたしの顔をかすめ飛んだ。
「雫!?」「雫!!」
回った視界の中で、ジンとヴァニスが目を見開いてあたしを見ている。
ふたり共集中が途切れて、揃って体のバランスを崩す。
そのふたりに向かって、石の槍が猛スピードで襲い掛かった。
危ない!!
あたしはふたりへ向かって腕を伸ばしたけれど、悲鳴を上げる暇も無かった。
ジンは、肩。
ヴァニスは、脇腹。
石柱は容赦無く、ふたりのその部分を抉り取った。