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 そうよ! 戻ってきて!

 もう失えない! モネグロスを失って、あなたまで失えない!

 だって大切な仲間なんだもの! 仲間よね!? そうよね!?


『我が友、雫』とあなたは言った。

 あの夜の庭であたしにそう言ってくれた。


「あの言葉は嘘だったとでも言うの!?」

「嘘ではない」


 イフリートはその時やっと振り返り、こちらを見た。


「決して嘘ではない。それ故、我は行くなり」


 はっきりと言い切るその表情は、落ち着いて穏やかだった。

 とてもあんな恐ろしいものに立ち向かおうとしているようには見えない。

 思わず地団駄を踏んでいたあたしの足が止まってしまうほどに、彼は冷静そのものだった。


「我も失えぬ。失えぬものを守る為に我は行く」

「そ、その為に、あんたが犠牲になるって言うの!? そんなの到底納得なんかできない!」


 炎の瀑布は、火の飛沫を濛々と上げてジリジリと近づいて来る。

 猶予は無い! ごちゃごちゃ話してる時間はもう本当にないの!


「話だったら後からいくらでも聞くわ!」

「このままでは我ら全員が死ぬのは明白なり。故に我が行く。これは、我だけに与えられた使命なり」


 使、命? 使命って。


「犠牲になって死ぬのが使命だって言うの!?」


 確かにこのままじゃあたし達全滅かもしれない。

 一縷の望みがあるとすれば、それはイフリートの言う通りなんだろう。

 あたし達の敗北は、すなわち世界の破滅。それだけはなんとしても阻止しなければならない。

 でもだからって。


「自分達が助かる為にあんたが犠牲になるのを、あたし達はここでのん気に見てなきゃならないの!?」


 あたしは泣きながら大口を開けて怒鳴り散らした。

 頭に血がのぼってしまって、もうよく分からない。

 何をどう判断して、どれを選択するべきなのか分からない。


 使命って……使命っていったい何なのよ!?


「我の使命は、我の誇りを守ることなり」


 自信と確信に満ちた声で、イフリートがきっぱりとそう言い切った。

 誇り? 火の精霊の誇り? それは。


『威風堂々』


 逃げはせぬ。隠れもせぬ。背は向けぬ。

 正々堂々、真っ直ぐに信じる道を突き進むのみ。

 全身全霊、心の奥までも燃え上がらせて、行くべき道を突き進む。

 たとえこの身が燃え尽きようとも。


「我は火の精霊。あの瀑布に恐れをなして逃げ隠れしたとあっては、誇りを失う」


 そんな事をしてしまっては、二度と火の名を冠して生きては行けぬ。

 自分自身に言い訳は通用せぬ事を、我は知っているのだから。

 そうだ。我は一度、火の誇りを失いかけた。

 だが僅かばかり残った誇りを、お前達のお陰で今まで失わずに済んだ。


 だから、もう二度と失わぬ。


「ジン、お前は我が唯一憧れた精霊。あの時、ただ独りで果敢に砂漠へ旅立った男」

「イフリート……」

「無謀と言われながらお前は己の誇りを貫いた。だから今度は、我の誇りを守らせてくれ。友よ」


 ジンは、懸命にイフリートに何かを言おうとした。

 言葉を探し、ぱくぱくと口だけが形を動かして、でも結局なにひとつ言葉にはならない。

 そしてギュッと唇を噛み、下を向いてしまった。


 あたしは全身から力が抜けてしまった。

 ガクリと頭を力無く垂れ、息を吐き出しながらとめどなく涙を流す。

 分かった。みんな分かってしまった。

 イフリートにとって、ここで逃げ隠れする事こそが『己の死』を意味するのだと。

「行くな」と彼に言う事は「死ね」と言うのに等しいのだと。


 だから。

 ここで黙って見ている他に、道は無いのだと。

 それを分かってしまった事が、こんなにも苦しかった。


 ノームを掴んだ手からも力が抜ける。

 もはやあたしには押さえる気力も無かったけれど、ノーム自身も動く気力は残っていなかった。


 ノームにも、何もできないから。

 恋する相手が死に赴くのを、追いかける事もできないから。

 両目から絶え間なく涙を流して、見ている事しかできないのだから。


「ノームよ」


 イフリートが優しい瞳でノームを見つめ、語りかける。

 恐らく、これは最期の言葉。

 ノームへ捧げるイフリートの最期の言葉になるだろう。

 食い入るように、まるで噛み付くように、ノームは真剣そのものの表情でイフリートを見つめ返す。


「我は他種の精霊を、ここまで愛しいと思った事は無かった。我が兄弟達への親愛の感情とも違う。初めての不思議な感覚なり」

「……」

「これがなんなのか、なぜなのか我には分からぬ。ただ言えるのは……」


 ふわりと微笑みながら、イフリートはその言葉を告げた。


「お前は、我にとって特別な精霊」


 万感の、言葉だった。

 ノームの見開かれた目から、ボタホダと音を立てて涙が落ちた。

 ノームは何かを話そうとして口を開き、そのままたまらず嗚咽した。


「う、……うぅ……うあぁぅ!」


 どんなに懸命に言葉を話そうとしても、出てくるのは嗚咽と涙ばかりだった。

 きっと伝えたいのだろう。

『好きだ』と、たった一言伝えたいのだろう。でも。


 どうしても、どうしても。

 涙が溢れて。

 溢れて、溢れて、流れて、流れて、流れて。


 いつか……。


 いつの日にか、結ばれたのかもしれない。

 少女が知った初めての恋が。

 ノームが成長して、少女から娘になった時、固い蕾が緩んでゆっくりと花開くように、ふたりの想いも確かなものに成長したのかもしれない。

 なのに。

 もう、そんな日が来ることは、ない。


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