(9)
ジンがその手を番人に向けて突き出し叫ぶ。
「番人! 消滅するのは世界じゃない! お前だ!」
イフリートも胸を張り、番人に向かって叫ぶ。
「お前は道を外した! その報いを甘んじて受けるべし!」
火災旋風が、何匹もの巨大な炎の龍が、身を唸らせて動き出した。
徐々に速度を増し、番人に向かって一斉に襲い掛かる。
辺り一面に響く炎の咆哮。土を巻き上げ、草を燃やし、風と共に牙を剥く。
炎の叫びにジンの叫びが混じった。
「消滅しろ!! 始祖の神降臨の場と共に!!」
三本の石柱の遥か上空から炎の龍が、番人をひと飲みにするために飛び掛かる。
この極限において当の番人は、ピクリとも動かなかった。
表情ひとつ変えず微動だにしない。
ただ真っ直ぐ前を見て立ち尽くしているだけだ。
もはやこれまでと観念するしかないんだろう。
永劫の孤独に耐え切れずに、道を外したあなたの気持ちは理解できる気がする。
でも理解するのと納得するのは別のこと。この世界は始祖の神が自由にしていい物ではないの。
―― ダンッ!
おもむろに、番人が杖を地面に突き立て鳴らした。
突然のその音によって、あたしの思考は停止する。
ただ、番人が杖を地面に突きたてただけ。それだけだった。
それだけで……。
天が、変わった。
空を覆う暗黒の雲全てが、一瞬にして炎の雲に変化した。
上空が、天空が、炎の雲海となり埋め尽くされていた。
空一面が果てまで炎の海。水のドームに揺らぐ視界でも明確に見える。
火。見渡す限りの空全域がどこまでもどこまでも、炎。
「あ……あ……」
あたしはパカリと口を開けて空を見上げる。
恐怖とか、畏怖とか、もう、そんな感情を超えてしまった。
あまりにも有り得ない光景に、ただただ口と両目を開くばかり。
これ、番人がやったのよ、ね?
ここまで、まさかここまで凄い力を持ってるなんて。
ノームもヴァニスも驚愕して空を見上げるばかりで声も出ない。
あれほど堂々と風格に満ちていた炎の龍も、まるで子供だましにみえてしまう。
ジンは当然の事、火の精霊のイフリートまでが唖然としている。
―― ゴオォォ……
炎の龍がまるで引き寄せられるように、次々空に吸い上げられていく。
より巨大な力に同化されるようにして、全ての火災旋風が空の炎に吸収されてしまった。
ジンとイフリートの渾身の力を込めた攻撃だったのに。
後はただ、虚しく熱と風の名残が残るばかり。
あたし達は手の内をさらけ出し、あっさりと跳ね除けられてしまった。
更に上回る強大な力をまざまざと見せ付けられて、もう、打つ手は無い。
どうしよう。どうすればいいの?
―― スッ
再び番人の杖を持つ手が上がった。
あたしは背中にぞぉっと寒気が走る。
今度は何をするつもりなの!?
やめて! やめてよ! もう、いい加減にして!
無慈悲に杖は地面に突き立てられた。
まるで死刑執行の合図のような音に、あたしは冷や汗を流す。
あたし達はただ待つしかない。これから襲い掛かる、尋常ならざる恐ろしい事態を。
―― ゴゴゴゴ
地鳴りのような不気味な音が、どこからともなく響いてくる。
空間全体を震わす、この音は?
冷や汗が、こめかみから顎に伝った。
そしてあたしの両目は再び驚愕に見開かれる。
炎の滝。
天一面の炎の雲海が、一斉に地上に向かい瀑布となって流れ落ちている。
まるでイグアスの滝が炎に覆い尽くされたよう。
もう、とてもただの炎に見えない。これはこの世のものじゃない。
水煙を上げながら、天界から遥か地上に叩きつけられる裁きそのものだ。
その、天の炎の裁きが……ジリジリとこちらに向かって近づいている!
あたしは、無様に腰を抜かした。
もう頭の中は真っ白だった。
これからどうなるのかとか、あたしの水の力で太刀打ちできるのかとか、そんな事は完全に吹っ飛んでしまった。
ただ圧倒的な信じられない現実に、あたしは支配されていた。
視界の端にジンとイフリートが入って、我に返ったあたしは水のドームの中から叫ぶ。
「ジン! イフリート! こっちへ!!」
そのままそこにいてはだめよ! せめてこの水のドームの中に!
どれだけ耐え切れるか自信はないけど、それでもそこにいるよりマシだわ!
「早く! ジン!」
「シフリート、いそいでください!」
あたしとノームの金切り声も、炎の瀑布の轟によって掻き消されそうだ。
それでもどうやら声は届いたらしい。イフリートがこっちを向いて大きく頷いた。
あぁ良かった!
―― バンッ!
軽い破裂音が聞こえて、同時にジンの体が宙に飛ぶ。
何かに吹き飛ばされたらしいジンの体が子を描くようにこっちへ向かって吹き飛ばされてきた。
水のドームを突き破って落下したその衝撃で、ジンは顔を顰めて呻いている。
ジンが破ったドームはすぐさま元通りに修復された。
「イフリート!!?」
ノームの叫びにあたしは振り向き、水の膜越しに見た。
あの場所から一歩も動かず、じっとこちらを見つめているイフリートの姿を。