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(7)

 光は、全て消えた。モネグロスの姿も、言葉も。

 彼の捧げた愛もなにもかも、もう消滅してしまった。


 その中にポツン、とアグアさんは立ち尽くしていた。

 身じろぎもせずに立ち尽くす彼女の爛れてしまった顔は、それでも僅かな表情を覗かせる。

 呆然と、混乱と、驚愕と、衝撃と。


 しばらくの間、ただ立ち尽くしていたその姿はドサリと座り込んだ。

 身を覆う汚れたヘドロが土に跳ねる。

 そしてあらゆる感情を混ぜ込んだような目から、ようやく涙が流れた。

 ドロリと粘着した黒い涙が顔を汚す。


「……」

 無言のままにドロドロと頬を汚す涙が、流れ落ちずに盛り上がる。

 アグアさんはヘドロにまみれた手を頬に当てようとして、ふと、止めた。

 そしてその手を、ある物に向かって伸ばす。


 モネグロスの遺した砂へと。


 アグアさんの震える手が、自分が蹴散らしたモネグロスの砂へと伸びる。

 まるであの時、モネグロスが自分へ伸ばした手のように。

 そしてそのの手が砂を掴んで、砂はヘドロと混じり合う。


「う……」


 彼女の口から怨嗟以外の声が絞り出された。


「う……う……」


 真っ黒な涙がキラリと光った。

 いつの間にか、彼女が流す涙は透明になっていた。

 澄んだ雫が、彼女の頬を幾筋も幾筋も流れて汚れを洗い落とす。


「う……うぅ……」


 嗚咽が漏れる。

 涙がボタボタと砂の上に落ちて次々と吸い込まれていく。

 彼女は両腕で必死に砂を掻き集める。

 一粒たりとも残さぬように。失わぬように。でも。


「ううぅ! ううぅーーー!」


 もう、失われてしまったのだ。

 今さらどんなに掻き集めようと、どんなに透明な涙を流そうと。

 どんなに嗚咽を漏らそうと。どんなに悔やもうと。

 もうモネグロスは戻ってこない。なぜなら……。


 なぜなら自分がこの手で、殺してしまったから!


 彼女は地に這いつくばる。

 滝のような涙を流し、砂を両腕に掻き抱く。

 意味不明な唸りを上げ、全身を発作のように打ち震わせ、砂に頬擦りをする。

 全身を荒れ狂う悲しみと後悔と懺悔に翻弄されながら。


「う、わあああぁぁーーー!!!」


 アグアさんは絶叫した。


 永遠の魂の片割れを、この手で殺めてしまった。

 なぜ信じる事ができなかったのか。真実の愛は確かに目の前にあったのに。

 決して変わることなく自分に捧げられていたのに。

 自分達は、間違いなく愛し合っていたのに。

 どれほど後悔しても取り返せない過ちに、彼女は血を吐くように絶叫し続けた。


「愛しているわ! 愛している! 愛している! モネグロス!」


 アグアさんはようやく言葉と心を取り戻す事ができたんだ。

 でも、遅かった。

 その待ちわびた言葉を、モネグロスは二度と聞く事はできない。


 ジンは突っ伏して両肩を震わせていた。

 ノームもイフリートも放心しきっている。

 ヴァニスは、狂ったように泣き叫ぶアグアさんの声を聞きながらマティルダちゃんの髪飾りを握り締めていた。

 あたし達全員が、アグアさんの例えようも無い苦悩と悲しみを共有し、打ちひしがれていた。


 でもこの悲劇的な空間の中で、ただひとり。

 その悲しみなど、ものともしない者がいた。


 その者は泣き狂う彼女の背後に音も無く近づく。

 感情の無い淡々とした目で、ひたすら泣き続ける彼女の姿を上から見下ろして。


「そして、これがふたつ目」

 そう呟いた。


 その意味に気付いたあたしは、全身から冷や汗が噴き出した。

 次はアグアさんを生贄にするつもりだわ!


 ――― ドンッ!!


 いきなり風の塊りが全身にぶつかってきて、あたしは勢い良く引っくり返った。

 訳も分からず地面に倒れたあたしの視界に、ジンとイフリートの背中が見える。

 ふたりは突風のような勢いで番人に飛び掛っていった。


 見た事も無いような怒りの表情に満ちたジンの全身から凄まじい風が放出される。

 その風はジンの周囲のみならず、辺り一帯に及んでいた。

 風に巻き上がる髪が視界を遮る。両手で髪を押さえ、あたしは懸命に叫んだ。


「アグアさんを守って! ジン! イフリート!」

「ガアアァァァ!!」


 あたしの叫びに答えるようにイフリートが天に向かって咆哮する。

 空全体から雨あられのごとく灼熱の炎が降り注いだ。

 炎は地を焼き、風に煽られ、あちこちが同時に燃え盛る。

 立ち昇る炎が風に揺れ踊る様を、あたしは熱さに顔を顰めながら見ていた。


 すぐに、その変化は現れた。


 複数で同時に燃え上がった炎がヂラヂラと意思を持つように揺らめく。

 疑問に思う間も無く、それぞれの炎が渦を巻き始めた。

 あれよと言う間にそれは空に達するほどの太い炎の竜巻となる。

 朱の炎が、命を宿したように暴れ狂っている。


 あれは、火災旋風!?


 以前にテレビのニュースで見た事がある。

 広範囲の火災現場において最も恐るべき自然現象。

 ひとたびこの現象が起こってしまったら、その被害はまさに人智の及ぶところではない。

 地上の全てを高温の炎で焼き尽くす。


 ゆらゆらと身をくねらし天に昇るその姿は、巨大な炎の龍そのものだ。

 ジンとイフリートによって作り出された何匹もの炎の龍が、悠々と天と地を繋いでいる。


 す、すごい! なんて恐ろしく、そして美しい光景! まさに圧巻!

 しかも熱い!! 

 メチャクチャに熱い!

 半端なく熱い!!

 この充満する恐ろしいまでの熱気たるや!!


 ノームもヴァニスも熱さに耐えかね悶え苦しんでいる。

 我慢できない! 息を吸えない! 鼻が、ノドが、焼けるぅ!


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