(4)
でもあたしの気持ちはすでにもう決まっている。
なのにヴァニスに気を使って、ここでジンの手を振り払う事は何かが違う気がした。
ジンもヴァニスもそんな事は求めていない。
そんな気がした。
ヴァニスは素晴らしい人物だと思う。
それは間違いも無く、男性としてもひとりの人間としても魅力に溢れている。
あたしはもしかしたら、無意識の底ではヴァニスに密かに惹かれていたのかもしれない。
正直にそう思うほど、彼は素敵な人。
それでも。
それでもあたしは、やはりジンを選ぶ。
出会いは最悪だった。
あたしの事を半人間と呼んで、見下して。
おまけに精霊と人間という、この越え難い種族の壁。
そのせいで価値観の違いに、さんざん傷付き泣きもした。
城の中庭での、あの伝わらないもどかしさ、胸掻き毟られる苦しみは今でも覚えている。
もうダメだと思った。
実際、今でも思ってる。あたし達はきっと結ばれる事は無いだろうと。
でも。
でも。
でも、でも、でも!
それでも、どうしても愛してしまう!
この気持ちを自分でも止めることはできない。
そんな「愛する」という事の不可思議さ。その複雑さ。果ての無い重さ。逃れられない深淵。
それをあたしはジンに出会ったことによって初めて思い知った。
そして誰が何と言おうと、何があろうと。
そう、例え結ばれなくても。
あたしがジンを愛する気持ちは変えられない事も、思い知ったんだ。
「……」
ヴァニスは、静かに立ち上がった。
相変わらず、ジンもヴァニスも何も言わなかった。
あたしにはふたりの心の内を読み取るすべも無いし、ヴァニスの気持ちに応える事もできない。
あたしには、ただ。
ただ、この複雑な胸の苦しみを抱えながら、ひたすらジンに思いを寄せる事だけしかできない。
「急ぐぞ、風の精霊」
「ああ」
ヴァニスとジンが頷き合う。
そうだわ。あたし達はやるべき事をやらなければならないのだから。
あたし達は揃って走り出し、地面に捕らわれて身動き取れない兵士達の横を通り過ぎる。
「待て! ヴァニス王!」
兵士達が口々に口汚く罵った。
「国王のくせに我々から逃げるつもりか!?」
……ぴくん。
いや。だめよあたし、落ち着くのよ。
ものすごく癇に障るけど、無視。今は無視よ。
無視して通り過ぎなきゃ。
「人間としての誇りがあるなら正々堂々と勝負しろ!」
……無視。無視。
「負けるのが分かっているから尻尾を巻いて逃げ出すんだな!?」
……無……視。
「この卑怯者め! 精霊ごときと手を組んで人間の面汚しめ!」
「ノーム! 構わないからこいつ等全員、頭のてっぺんが見えなくなるまで埋めちゃって!!」
あたしはビタッと立ち止まって絶叫した。
冗談じゃないわよ!!
大勢でヴァニスを狙っておいて、どのツラが卑怯者だなんて言えるの!? 面汚しはそっちの方じゃないの!
偉そうな事言ってるけど、今の自分達の姿が分かってんの!?
まるっきり巨大モグラ叩きよモグラ叩き! みっともないの極致だわ!
いくら汚染されて理性を失くしてるからって情けなさ過ぎよ!
「お望みどおり、端から順々にハンマーで地面にめり込ましてやろうか!?」
「雫、余は気にせぬ。急ぐぞ」
「だってこいつら、いっぺん死ぬほど痛い思いしないと分かんないわよ!」
なにが精霊ごとき、よ! さっきはその精霊に無様に命乞いしてたくせに!
命に別状無いと分かった途端にこれだもの!
正々堂々!? ヘソで茶が沸くわ! ロッテンマイヤーさんの爪の垢でも煎じて飲んだら!?
「余は本当に何とも思わぬ。精霊と手を組むことを恥とは思わぬ。感謝もしているし、誇りにも思う。だから良いのだ」
ヴァニスの冷静そのものの言葉に、あたしの頭にのぼった血が冷えた。
……えぇ、そうね。そうよね。
ヴァニスは分かってる。ジンもイフリートもノームも分かってる。
だから、今はそれでいいのよね。
「行こう!」
再びみんな走り出した。
そのあたし達の背中に兵士達が喚き散らす。うるさいわね、まだ言ってる。
するとジンがあたしの横を走りながら、ピュイッと軽く口笛を吹いた。
それに答えるように遥か頭上の木々の葉が、ザワザワと一斉に蠢き出す。
ジンが右手でスッ!と手刀を切ったと思うと、複数の木々の葉が枝から離れ、風に踊るように兵士達に向かって飛んでいった。
「うわあ!?」「な、なんだ!?」「ひいぃ!?」
目にも止まらぬ早業で、葉が切れ味鋭い小刀のように兵士の頭上を舞う。
あっという間に全員、髪の毛一本残さず刈り取られてしまった。
うわ、つるっぱげ。
「ま、これであいつらの頭も冷やしやすくなるだろ」
しれ~っと無表情で言うジン。
呆気にとられていたヴァニスが、ジンを見ながら愉快そうに笑った。