(3)
やがて出口の巨大な両開きの扉が見えてきた。
頑丈な造りのお陰か、損壊は少し形がひしゃげた程度で済んでいる。
良かった、これなら通り抜けられそうだわ!
全員が出口を抜けた途端に、遠くから兵士たちの声が聞こえてきた。
「見つけた! ヴァニス王だ! 討ち取れ!」
「俺が先に見つけたんだぞ!」
「うるさい! 報酬は俺のものだ!」
わあぁっという雄叫びと共に兵士達が目の色を変え、大挙して押し寄せて来るのが見える。
うわあ! また大人数が!
この調子じゃ多分、無傷な兵士のほとんどがヴァニスを狙ってうろついているんだわ!
あんのタヌキちょびン! ろくな事しやしないわね!!
いるのよ、どこにでも! ああいう自己中な発想と行動しかできない鼻つまみ者って!
「余の剣の腕を知ったうえでの狼藉か!?」
勇ましく腰の剣に手をかけたヴァニスを、イフリートの肩に乗ったノームが静止する。
「ヴァニス王、まってください!」
「土の精霊よ、止め立ては無用だ!」
「いえ、どうかまってください! しずくさん!」
「は、はいっ!?」
突然に名前を呼ばれて、あたしは直立不動で返事をした。
な、なんでしょう!?
「意識をしゅうちゅうしてください!」
「え? な、何に集中するの?」
「水ですっ!」
水? 水、水って。
あたしはグルッと見渡して水を探した。水なんて…。
「どこにもないけど?」
「あります! 空気です!」
「は?」
「空気のなかにある水分に、意識をしゅうちゅうしてください!」
え? く、空気? そりゃ空気だったら売るほどたんまりあるけど。
「はやくしてください!」
兵士達を見据えながら引き締まった表情でノームが叫んだ。
その語気の強さに威圧されて、あたしはうろたえながら意識を整える。
ええっと、そう、うん、あるわよね水分。
空気の中にも含まれているわ。湿気。湿度がね。
だから梅雨時の室内の洗濯物とかもう、乾きが遅くてホント困っちゃう。
じゃなくて! ええっと!
オロオロするあたしの手を誰かがギュッと強く握った。
ジンが力づける様にあたしを見つめてくれている。
……そしてあたしは、思い出す。
砂漠で初めて水の力を使った時、あなたが隣に居た。
神の船を、ふたりの力で動かしたわ。
怒りの雨を降らせてイフリートを襲った時、あなたがあたしの目を覚まさせてくれた。
城下町であなたの命を守るために、無意識に力を発動させた。
いつもいつも、あなたがいた。いてくれた。
不安なあたしの隣には、いつもあなたが。
そして今もここにいる。一度は離れたはずなのに、舞い戻りあたしを支えてくれている。
いる。あなたが。
ジンがあたしの隣にいる!!
―― サアァ・・・
体の中の水の音。静かに流れる水が勢いを増していくのが分かる。
満ちる。あたしの、そして全ての中に満ちている輝く水。
あぁ……満ち、る……!
ノームがイフリートの肩から飛び降りた。そして
「うああぁ!!」
気合を込めた声と同時に、両腕で地面を激しく叩き付ける。
体の芯に響くような、鈍い振動が地中から上がってくる気配を足で感じた。
「うわあっ!?」「ぎゃあ!?」
兵士達が目を丸くして悲鳴を上げ始めた。
見ると、兵士達の体が足元から地面にヌプヌプと吸い込まれていく。
兵士達同様、あたしも目を見張った。なにこれ、どうしたの!?
暴れて抜け出そうとすると、余計に体が地面の中に沈み込んでいく。
全員みるみるうちに腰の辺りまで沈んでしまった。
これって、底なし沼? 兵士たちの足場をノームが変化させたんだ。
あたしの水の力を利用して、さらに土の力を応用したのね!? ふたりの連携技だわ!
ノームやるじゃないの! さすがあたしの親友ね!
「うわあぁ! た、助けてくれ!!」
「頼む! 死にたくない!!」
命乞いをする兵士達にノームは穏やかに話しかける。
「だいじょうぶですよ。もうそれ以上は沈みませんから。ただ、しばらくの間はそのままです。でも時間がたてば抜け出せますから」
言った通り、全員の体の沈みはすぐピタリと止まった。
腰から上だけが地面から突き出た格好で、みんな情け無い顔をしている。
ノームがヴァニスを見上げた。
「本心では、この人間達を傷つけたくなかったのでしょう? わたしにもその気持ち、わかるんです。やっぱり同じ種族の仲間ですものね」
「土の精霊」
「さしでがましい事して、ごめんなさい」
「感謝する」
「え?」
ヴァニスはノームの前に膝をついた。そして深々と頭を下げる。
「感謝する、土の精霊。本当にありがとう」
「ヴァニス王」
ノームは目をパチパチさせて面食らっている。
そして頭を上げたヴァニスに対して、あの、花のほころぶ様な初々しい笑顔を見せた。
「よし! それじゃ先を急ぐぞ!」
「そうね! みんな急ぎましょう!」
声を掛け合うジンとあたしを、ヴァニスがじっと見つめる。
何とも表現し難いその視線の先を辿ると…… あ。
ヴァニスは、しっかりと繋がれたあたしとジンの手を見つめていた。
……。
どうにも、バツが悪い。
こんな時に不謹慎という気持ちもあるし、ヴァニスのあたしへの気持ちを知っているだけに、変な罪悪感みたいなものが込み上げてくる。
悪い事だとまでは思わないけれど、どうしても気が引けてあたしはそっと手を離そうとした。
するとジンが、さらに力を込めてあたしの手を握った。
まるで『絶対に離さない』とでも言いたげなジンを、あたしは思わず見つめる。
ジンはあたしではなくヴァニスを見ていた。
何も言わずに、ただ、じっと見ていた。
ヴァニスも、やはり何も言わずにジンを見つめ返す。
銀の瞳と黒い瞳が無言で交差する。
互いの瞳は、それぞれの様々な思いを物語っている。
例えようも無いほどの真剣な強い眼差しで、語り尽くせぬほどの言葉と感情を交わしているように見えた。
ふたりのその様子を見たあたしは、やはり無言でジンの手を強く握り返した。
ヴァニスの、目の前で。
罪悪感がジリジリとこの胸をさいなむ。
あたしは今、ヴァニスに対して辛い仕打ちをしている。
当然それが苦しいし、申し訳ないと思う。