(10)
アグアさんは激しく嫉妬した。
人間は勝利を確信し、傲慢になった。
惰性に走り、美食や美酒を暴食し、毎夜の宴で男女は戯れに抱き合う。
そして、どこまでもどこまでも果てなく欲望を募らせた。
精霊達はすべて何かの神の眷属。消滅した神の為に、始祖の神の復活を心の中で望んでいただろう。
そして神達自身が始祖の神復活を望むのは当然だ。
人間は自分達の繁栄を脅かす始祖の神を消滅する為に、その復活を望んだ。
みんなみんな、どんな神なのか深く知りもせずに。
始祖の、破壊の神復活の条件が、全て揃ってしまったんだ。
完全に番人の画策通りに。
ふらりと眩暈が、する。
額に手を当て、ふらつきに耐えているあたしの耳に番人の声が聞こえる。
あたし達など眼中にも無いように陶酔した声が。
「世界は破壊される。始祖の神の手によって。そして再び創造されるのだ。おぉ、これぞまさしく主の存在意義」
天に臨み、まるで始祖の神に語りかけるように、番人は歓喜に震えているように見えた。
その姿を声も無く見つめるあたしの胸の中に、感情が溢れ出る。
怒りとか、虚しさとか、もう、いろんな感情が絡み合って声にすらならない。
この全てを怒鳴りつけて、こいつに思い切りぶつけてやりたいのに!
「再び創造すると言ったな? それはどんな創造だ?」
全員の視線がジンに集まる。
ジンの不思議な美しい質感の肌からは、色が失せているように見える。
「破壊で失われた全ての命は、複製して再生されるのか?」
「それはわたしにはあずかり知らぬ事」
番人が気にも留めないように答える。
「だが恐らく、その可能性は無いに等しいであろう」
ジンがギュッと両目を閉じた。
ジンは始祖の神の力を、死者が復活する魔法のように考えていた。
知らぬ間に番人にそう吹き込まれていたのかもしれない。
だからモネグロスの為に始祖の神の復活を強く望んでしまった。
ヴァニスは厳しい目で番人を睨んでいる。
彼は番人の言葉と人間の安泰を信じて、番人の思惑通りアグアさんを幽閉し、あたしを捕らえた。
見事に番人の思惑に加担させられてしまった。
歯軋りする思いだろう。ふたりの心は今、激しい後悔に苛まれている。
「番人」
ノームの怯えたような震え声。
「世界をほろぼすことに、あなたはなにもかんじないのですか?」
ふっと、微かに番人が笑った。
「永い、永い永い、気の遠くなるような歳月をわたしは待った」
何ひとつとして迷いの無い声。
「そして今、ようやく主は眠りから覚める。わたしの存在はこの為にある」
何かを超越してしまったような、遠くの声。
「わたしにはそれだけだ。世界など……しらぬ」
その満ち足りた表情を見てあたしは顔を歪ませた。
あぁ、そうだ。彼はきっともう、超えてしまっているんだ。
番人。
おそらくはその名の通り始祖の神のいない世界を、あるがままに見守る為の存在だったんだろう。
何の干渉もせずに離れた場所から、世界創造の時より、ただひとり真実を知る者として生き永らえた。
それはあまりに、あまりにも永すぎた。
伸びきった髪は真っ白に染まり。
枯れ木のように細っていく手足。
刻まれていく無数の傷跡のような深いシワ。
誰ひとり、何ひとつ、関わりも持たずに老いていく。
ひとり。
ひとり。
たったひとりで、想いすら歪むほどの、永劫の刻の孤独。
耐え切れずに番人は、本来の目的を歪めた。
自分の役目は、ただ未来永劫無意味に世界を見守る事ではなく、主である始祖の神を復活させる事なのだと。
それこそが眷属たる自分の役割であると。
……終わらせたかったのかもしれない。
自分自身の役目を。ただ「見る」事しかできない自分の命を。
そして番人は世界の全てから超越してしまった。
だめなんだ。通用しない。
あたし達の、こちら側の言葉はきっともう、通用しない。
―― カシャン
鈍い金属音がした。
番人の手から黄色と赤の混じった何かが放り投げられ、ガレキの散乱する床に落ちた。
「!!?」
それを目にしたヴァニスの体が硬直する。
あれは、血に染まったマティルダちゃんの金の髪飾り!!?
「王よ、それに見覚えはございまするか?」
両目と口をポカンと開けて、ヴァニスはしばしの間呆然と髪飾りを見ていた。
そして飛び付くように駆け寄り、ひざまずいて髪飾りを拾う。
「妹姫ならば向こうの方におりますぞ」
固まった表情でヴァニスは凝視する。
愛する妹の髪にいつも輝いていた髪飾りと……それにベットリと付着する赤い血を。
「お探しのようですが、会わぬ方がよろしいでしょう。妹姫はとてもここに運び込めるような状態でもございませぬし」
ヴァニスは髪飾りを胸に抱きかかえた。
黒い衣装の広い背中が小刻みに震えている。
「アレを王にお見せするのは、実に忍び無い。せめてと思い、髪飾りをお持ちいたしました」
小さな、啜り泣きが聞こえて。
やがてそれは、はっきりと大きな慟哭となった。
ヴァニスは身を震わせ、声を上げて、人目も憚らずに咽び泣いた。
あたしもボロボロと両目から涙を流す。
苦しくて、とてもヴァニスの姿を見ていられない。とてもヴァニスの慟哭を聞いていられない。
熱い涙が次から次へと流れ落ちた。
記憶にあるマティルダちゃんの可愛い笑顔。
目に焼きついて離れない、落ちていく最期の姿。
むごい。
惨い。惨い! 惨すぎる!!
こんな、ことさらに、悲惨な最期を強調するような真似を!!