(6)
ジン。間違いなくジンだわ。空中でジンがあたしを受け止めてくれている。
それは間違いのない現実なのに、なのに。
あたしには信じられない。とても理解できないわ。
だって、どうして? なぜ? なんでここにいるのよ?
どうして?どうして?どうして??
銀の瞳があたしをじっと見つめていた。
ジン、お願い黙ってないで何か言って。話して。
そして、そしてどうかこれが夢ではないと自覚させて。
「お……」
ジンの唇が動き、あたしの胸は激しく鳴る。
夢を見ているような思いで、動く唇をじっと眺める。
ジン。言葉を、あたしに言葉をちょうだい。
「重いんだよ! お前は!!」
……ガーーーンッ!!!
頭をハンマーでぶん殴られたようなショックが襲った。
お、重、おも、重いって……。
『重い』の単語が頭の中で激しくエコーする。もう、ただひたすらに唖然とした。
重い、おもい、重い? 重いぃっ!?
そしてやっと衝撃が治まるや否や。
ガアァ!っと急速に、あたしの頭に血がのぼった。
再会の第一声が、よりによってそれか!!? あんたって男はあぁぁ!!
「悪かったわね! デブで!!」
「デブって何だよ!? オレは重いと言っただけだ!」
「同じことじゃないの!」
「それより、飛べもしないクセして飛び降りるなよ! ビックリしただろ!」
「飛び降りたんじゃないわよ! 落ちたのよ!」
「同じことだろ!」
「全っ然違う!!」
空中に浮きつつお互いツバを飛ばして怒鳴りあった。
あーはいはい充分に理解しましたよ! これはハッキリ現実で、こいつは間違いなくジンだわ!
「あ、のぉ、できればケンカは後にして、治癒してくれたらすごくうれしいです」
ノームのか細い声がして、あたしとジンは我に返った。
「ノーム、しっかりしろ!」
「大丈夫!? ノーム!」
あたしを抱きかかえながらジンは慌てて移動した。その時に初めて城の状態があたしの目に入った。
半壊状態。堅牢な造りの城が見事に破壊されている。
アグアさんが放った衝撃波は、塔ばかりでなく城本体まで破壊したんだわ。
改めてゾッと寒気がした。
穴の開いた箇所から城内に入り込み治療を始める。ジンの癒しの風がノームの体を包み込んだ。
治癒の効果は水の力の方が高いらしいけど、いかんせん半人間の身では力の使い方が分からない。
もどかしい気持ちで、手を合わせて回復をひたすら希う。
「ノーム、どうだ? 少しは楽になったか?」
「は、い。ありがとうございます」
荒かった呼吸が落ち着いてきた。あたしはホッと安堵の息をつく。
「偉いぞノーム。よく頑張ったな」
「ノーム、助けてくれてありがとう」
「いいえそんな。わたしはやくそくを守りたかったんです」
約束?
「しずくさんを守るってやくそくしました。でも守れなくて、それどころか逆に救い出してもらって」
「何言ってるのよ!」
「こんどこそ守りたかったんです。しずくさんを。でもけっきょく、守ったのはわたしじゃなくてジンでしたけど」
寂しそうに笑うノーム。
そんな! そんな事ないわ!
「ノームはあたしをしっかり守ってくれたわよ!」
「雫の言う通りだ。お前がいなければ雫は今頃とっくに死んでいたぞ」
「そうで、しょうか」
そうよ! ノームはあたしの命の恩人! もう、崇めたてまつっちゃうわよ!
それだけじゃないわ。ずっとあたしの傍で、あたしを励まし支え、力になってくれていた。
どれほど感謝しても足りないくらいよ!
「ほんとですか?」
「もちろんよ!」
「じゃあ、もうわたしにひとりで砂漠にかえれ、なんて言いませんか?」
傷付いたノームが一途にあたしを見ている。
まだ幼い、とても真摯な姿を見ていたら胸が詰まって泣けてきた。
あたしはコクコクと頷いた。
「じゃあ、わたしとしずくさんはこれからもずっとずっと一緒ですね」
「……」
「一緒ですよね。やくそくですよね」
鼻を啜りながら、首がもげそうな勢いでブンブン頷く。
ありがとう。ありがとうありがとうノーム。
えぇ。あたし達は親友よ。もちろんずっとずっとこれからも一緒だからね!
「ノーム、本当によく雫を守ってくれた。オレからも礼を言う」
「ジン、砂漠に帰ってしまったかと思っていました」
「帰るつもりだったんだ。だが」
ジンがあたしを見た。
その何とも言い難い表情を見て、あたしの心臓がドキンと大きく鼓動を打つ。
「帰れなかった。どうしても」
ジン。
「体が雫から一歩離れるごとに、逆に心が雫に引き寄せられる。離れれば離れるほど強烈に」
「……」
「そのうち、一歩も前へ進めなくなってしまった。どうにもこうにも、もうお手上げで。だから観念して認めた」
「認めた? 何を?」
「オレが雫から離れる事は不可能だと」
あたしは言葉も無くジンを見つめた。
ジンが話してくれる事を、ひと言漏らさず聞き取れるように、真剣に。
雫が城に潜入している間も、オレはずっと雫の事ばかり考えていた。
雫から離れようと遠ざかっても、頭の中は雫の事で一杯だ。
結局、無理なんだ。距離も事情もどんな事をしても。
オレの頭と体の中から雫を消し去るなんて不可能なんだ。
それはなぜか?
その理由を考えて、オレはある事に気がついた。
「ある事って、なに?」
「まだ言っていなかった」
「何を?」
「オレは雫を愛してる」
「!!」
「一番大事な事だった。この複雑に空回りばかりする世界の中で、唯一、道行く先の光のように」
オレは精霊で。雫は人間で。
そしてこの世界は犠牲と代償と苦しみに満ちて。
不可能ばかりが実在する。
それでも、それでも。
それを百も承知で、血を吐くほどに傷付いても。それでも。
オレが雫を愛する事は変えられない。オレは雫を愛している。
お前は暗黒の世界の中で、彼方に見えるただひとつの光のようだ。
たとえ何があっても求める事をやめられない。それほどに、それほどまでにもう、オレは雫を愛しているんだ。
「それをお前に伝えたかった。雫、オレはお前を愛している」
あたしは子どものように、しゃくり上げて泣いていた。
ジンの言葉が心に染み入った。とてもとてもとても嬉しかった。
同時に、どうしようもないほどに切なかった。
彼からの愛を告げる言葉。それが嬉しくないはずがない。でも、あたし達ふたりは知っている。
おそらく、ふたりが結ばれる事は無いことを。
ジンの立場もあたしの立場も世界の事情も、これで何かが変わったわけじゃない。なんの問題も何ひとつ解決していない。
このままいけば、きっとお互いまた苦しみ傷付くだろう。
それでも、分かっていても、それでもお互い愛する気持ちをとめられない事もあたし達は知っていた。
どうしてもどうしてもどうしても。
どうしても、愛してる。
こんな想い、あたしは今まで知らなかった。こんな切なく苦しい、そして幸せな恋を。
辛いけど、切ないけど、苦しいけど、悲しいけど。
「ジン、あたしこの世界に来て良かった。あたし、あなたに会えて良かった」
「雫、愛してる」
「ジン、愛してるわ」
涙でびしょ濡れの顔で微笑んだ。ジンも憂いを帯びた笑顔を返す。
そして、ふたりのオデコがコツンと触れ合った。