(5)
生ける屍。生気が失せているとか、そういった比喩表現じゃない。
本当に死体と見紛うばかりの姿だった。
皮膚は完全に爛れて醜く変色している。
崩れて、肉が所々露見していた。その肉も嫌な色味をして溶けかかっている。
目の周りは落ち窪み、眼球ばかりが飛び出るようにギョロリとあたしを睨んでいた。
口からは意味を成さない唸りが漏れて。
それでも、瞳の色だけはかろうじて水色を保っていた。
これが、これがアグア。
この世界で最も美しいと讃えられた水の精霊。その、なれの果て。
憎悪に身を委ねた者の。
「グウオォォ」
「アグアさん……」
こんな、こんな状態に、こんな姿に成り果てて。
「あなたはもう、全てに絶望してしまったのね」
騙され、信じた愛を疑って。帰る場所も待っていてくれる者も失って。
ただ憎悪と復讐だけが今の自分の支え。
それでも、それでも何ひとつ救われず苦しみは増すばかり。
喚き、足掻き、吠えて吠えて吠えて。
アグアさんの両目から涙が零れた。
どす黒く染まったドロリとした涙が、滑り落ちる事もなく顔を汚す。
彼女はまるで鏡に映った自分の姿だ。
だからこそ、だからこそあたしが言わなければならない。
「あなたは道を誤った。決して言い訳は出来ない」
どんなに辛くとも、苦しくとも。
しかたがない、では済まされないのよ。
―― ギャアオォォ―――ッ!!
悪魔のような雄叫び。
またも凄まじい衝撃波が襲ってきて、床全体が粉砕されて吹っ飛ぶ。
あたしの体もガレキに混じって木の葉のように宙を飛んだ。
内臓に感じる奇妙な浮遊感。
大の字になって虚しく落下していく体。しがみ付く物も何も無い空中。
目に映るのは黒い雨、崩壊した塔、あれよという間に遠ざかる灰色の空。
あぁ! 落ち、落ちてる!
落ち、るーーー!!
ビュルルッ!と音がして数本の蔓が舞った。
あたしの体をグルグル巻きにして、一本の蔓が壊れた塔の残骸に巻き付く。
ブランブランと蓑虫のようにあたしの体が左右に揺れた。
「ノーム!!」
「うう、う……」
ノームが歯を食いしばってあたしを支えていた。
遥か下方に地面が見える。ここから落ちたら。
「ノーム! 大丈夫!?」
「くうぅ!」
さっきアグアさんに蔓を引き裂かれたばかりだ。傷はまったく癒えていないはず。
それでもあたしの体重を支えようと頑張ってくれている。
「ノ、ノーム!」
「ぐううぅぅ!!」
両目をギュッと瞑り、今にも泣きそうに顔を歪めて耐えている。
ピリピリと音がしてガレキに巻き付く蔓が裂け始めた。
「ノーム! 蔓が!」
「ぐああぁ!!」
ノームの目から涙が溢れて流れた。頭を激しく左右に振って悲鳴を上げる。
ブツンッ!!
ついに限界がきて蔓が真っ二つに千切れた。
再び落下する体と、感じる浮遊感。
悲鳴すら出ずに全身から汗が噴き出した。
頭の中は真っ白で、体の横を通り過ぎていく風の音だけが聞こえる。
汗が冷え、恐怖に凍える四肢を冷やした。
ただ恐れだけがあたしの全てを支配して、何も考えられない。
風を感じる事しかできない。
あぁ、風。風の音。
風、風が・・・
ドスンッ!と体に衝撃を感じ、同時に絶望も感じた。
あぁついに落ち……。
落ち……
落ちて……ない?
あたしの体は、なぜか宙に浮いていた。
いや、正確に言うと何かがあたしの体を支えていた。
背中と脚を抱える手。
顔の横に見える肩。
風にたなびく銀の。
銀の髪?
あたしは見上げた。そして、自分の目を疑った。
確かに見えるその存在を、信じられない思いで見つめる。
不思議な質感の肌の色。研ぎ澄まされた鋭い刃物のような表情。
そして、そして。
ムーンストーンに微粒子の銀の粉を混ぜたような、そんな不思議な輝きを放つ、銀色の瞳。
「……ジン」
やっとのことで、あたしは彼の名前を呟いた。