表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
136/182

(3)

 全身の血液が凍るような思いであたしは凝視する。

 今、たった今まで、マティルダちゃんがいた場所を。

 彼女と同じように、大きく両目と口を開きながら。


 いた。いたのよ。

 確かにそこにいたの。

 最期に、落下する瞬間の彼女と目が合ったのよ。


 泣き叫びながら、救いを求めていたのよ。

 あたしの名を呼びながら。


 そう。あたしの名を呼び続けていた。

 たすけて雫さまと、何度も何度も。

 何度も何度も何度も。


 何度も何度も何度も何度も何度も。


 何度も!!!


 あたしに救いを求めて!!!


 このあたしに、『助けて欲しい』と泣き叫んでいたのよ!!

 それが、それが目の前で!!!


「うわああぁぁぁーーー!!!」


 マティルダちゃん! マティルダちゃん!

 あたしはあなたを助けてあげられなかった!!


 まだ幼い笑顔。好奇心に満ちた表情。

 そして寂しそうな仕草。家族の肖像画を見上げる物悲しい目。

 廊下の向こうから駆けてくる、色鮮やかなドレス姿。


『雫さま! あのね、あのね、マティルダねぇ、雫さま大好きよ!』


 見殺しにしてしまった! あたしを慕ってくれた幼い純真な命を!

 あたしが助けなければならなかったのに!


「ごめんなさい! ごめんなさいぃ!!!」


 泣きながら絶叫する。

 暗黒の雨に顔面と全身をしとどに染めて、天を見上げて咆哮した。


 こんな、こんな事って! あんまりだわ!

 残酷すぎる!! どうしてこんなことに!!? なぜなのよ!!?


 不意に甲高い笑い声が響いた。

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔で、あたしは震えながら振り返る。

 アグアさんが……。


 黒い雨に打たれながら、嘆き悲しむあたしの姿を指さしながら、本当に、この上なく幸せそうに……。


 あざ笑っていた。


「アグアさん。マティルダちゃん、死んだわ」

「ククク」

「あなたの雨で手が滑って、落ちていったの」

「ウフ、ウクク」

「なにが……」

「クフフフ。ウフフ」

「なにがそんなにおかしいのよ!!!」


 怒鳴り声を上げるあたしの姿を見て、アグアさんはさらに嬉しそうに笑った。

 本当に嬉しいんだ。楽しいんだ。

 あたしが苦しむ姿を見るのが、嬉しくてたまらないんだ。その喜びを得るためなら……。


 マティルダちゃんの死なんて、どうでもいい事なんだ。


 アグアさん。

 あなたのその気持ち、あたしには分かる。

 憎い相手を不幸に貶めるためならば、どんな事でもやるつもりだった。

 何を犠牲にしてもかまわないと思った。それがあたしの目標で、誰にも邪魔をさせない強い決意と信念だった。


 分かるわ。でも、それでもあたしは。


「今すぐ笑うのをやめなさい!」


 あたしは、こんな事を許容するわけにはいかない!

 この事態を黙って見過ごすわけにはいかない! 絶対に!!


「目を覚ましなさい! そして自分のしている事をよく見るのよ!」


 自分のした事は自分の意思。自分自身に言い訳は通用しない。

 そうだ。今ここで、この全ての状況を「しかたがない」と諦めたら、それはあたしが自分で選んだ意思になる。受け入れて納得したことになるんだ。


 受け入れないわ。絶対に。

 こんなの誰が受け入れるもんですか!

 目を逸らしたりしない! 後になって「どうしてあの時」なんて後悔、もう絶対にしない!


 始祖の神の導きで、あたしはこの世界に呼ばれた?

 いいえ、冗談じゃないわ。


「この旅はもう、あたし自身が選んだ旅なのよ!」


 真実も正義も罪悪も簡単には断じれない。

 だから世界には、現実に「しかたない事」「無理もない事」がたくさんある。

 苦悩しながら、それを飲まねばならない時がある。それをあたしはこの旅で知った。


 でも同時に「しかたない」が言い訳にならない場合がある事も知った。


 あたしには、マティルダちゃんの命を「しかたない」のひと言で片付けられない。

 これは、こんな事態はあってはならない事なんだ。

 だから、アグアさんをとめる。

 たとえそれが不可能であったとしても。

 それでもあたしは、こんな事態は絶対に受け入れない。


 足掻いてやる。足掻いて、足掻いて、無駄な足掻きをしまくってやる。

 可能も不可能も関係ない。それこそがあたしの拒絶の証明。


『こんな事、どんな理由があろうと絶対に認めない』


 これがあたしの選んだ意思だ!


 あたしは自分の両膝をがっしり掴んで、気合を入れて立ち上がる。

「アグアさん」

 ゆっくりと立ち上がったあたしの姿を見て、アグアさんの笑い声がやんだ。


 ねぇアグアさん。あたし達はよく似ている。

 傷付いて、苦しんで、恨んで恨んで、道を踏み外した。

 分かるわ。すごく分かる。

 だから……。


「いっちょ腹を割ってとことん話し合いましょうか!」


 あたしは威勢良く怒鳴り声をあげた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ