決壊(1)
すごい力で髪の毛を握られた。
アグアさんが奇声を発し、毟り取りそうな勢いで髪を掴んだ手を振り回す。
そしてあたしの頭を思い切り床に叩きつけた。
アグアさんの腕からヘドロが周囲にビシャビシャ飛び散る。
何度何度も固い床に頭を打ち付けられた。
ガツゴツ!と鈍い音と痺れるような激しい振動が脳内に響き渡る。目から火花が出た。
―― ビュルルッ!
あたしの胸元が大きく振動した。
何本もの蔓が勢い良く飛び出し、髪の毛を握り締めるアグアさんの腕を絡め取る。
「アグア! もうやめてください!」
ノームの小さな手の平から太い蔓が延び、アグアさんの腕を押さえ込んでいる。
「おねがいです! 目をさまして!」
「ギャアアァァァッ!!」
アグアさんが激しく頭を振った。
蔓を腕から剥ぎ取ろうとするけれど、寸分の隙間もなくビッチリと強く絡みついている。
「あなたのオアシスの植物達が、救いをまっているんです!」
「グアァァーーーッ!!」
「アグアっ! 聞いてください!」
「ギャアアァーーー!!」
アグアさんがノームに向かって目を剥いて威嚇した。
本能だけが彼女を突き動かしている。完全に獣だわ。
これでは彼女はもう、アグアさんとは呼べない。モネグロスが愛したアグアさんは消えてしまった。
誰の言葉も、どんな思いも、願いも、もう彼女には届かない。
悲壮な顔で訴えていたノームが悲しげに俯いた。そして顔を背けながらギュウッと目を瞑る。
「ガアァァァッ!!?」
アグアさんが苦痛の呻き声を漏らした。蔓に覆われた腕がビクンビクン!と脈打っている。
強烈な力で締め付けられ、今にも潰れる寸前だ。
「モネグロス、オアシスの兄弟たち」
新たな蔓が何本もノームの手から噴き出し、アグアさんの全身を一瞬で覆い尽くした。
「アグア、ゆるしてください!」
大きな蔓の固まりの中から悲鳴が聞こえた。死に物狂いで暴れている様子が手に取るように分かる。
やがて蔓全体がみるみると小さく収縮し始めた。
アグアさんの体が、押し潰される!?
「ノ、ノーム!? どうするつもりなの!? このままじゃアグアさんが圧死してしまうわ!」
「アグアはもう、だめです」
「ノーム!」
「救えない。救いようがないんです。こんなにまで染まってしまっては、もう」
アグアさんが怒り狂っている。怨嗟の唸り声がどんどん大きくなっていく。
その底の知れぬ悪意、憎悪。どこまでも増幅していく心の闇。
それがどれほど恐ろしく、抗う事のできないものかはあたし自身が一番良く知っている。
「このままでは世界に汚染がひろがるばかりです。とめるには、もう」
ノームの目に涙が浮かんで頬を滑り落ちた。止めるにはもう、ここで殺すしかない。
心優しい土の精霊ノームがその手で命を奪う。
しかもアグアさんはノームの兄弟達を救う事のできる唯一の存在。
まさに断腸の思いだろう。
アグアさんに焦がれ続け、再び会える事を泣きながら願い続けたモネグロスの顔が脳裏に浮かんだ。
彼がこのアグアさんの姿を見たら。
そんな残酷なこと、とても耐えられない。ならばいっそこの場で。
「グウゥ! ウゥ!!」
アグアさんの唸り声がますます大きくなって耳に突き刺さる。
あたしは掻き毟られるように痛む胸を手で押さえた。
視界が涙で滲んで、苦しむアグアさんをとても見ていられない。
断末魔の悲鳴をとても聞いてはいられない。
「グゥゥ、アアァ、アアアーーッ!!!」
空気に轟く絶叫に思わず両手で耳を押さえ、身を縮込ませた。
アグアさんごめんなさい!! どうか許して!!
「ああぁっ!?」
ノームが悲鳴を上げる。
猛烈な力で収縮していた蔓が、逆に急に膨張し始めた。
「ノーム、どうしたの!?」
「ああっ! うああぁぁっ!!」
身を反らせて悲鳴を上げ続けるノーム。
膨らんだ蔓の表面が千切れるようにどんどん裂けていく。
ああ! 押さえきれない!? 中から何かが……。
―― ドオオ――――ッっ!!
切り裂くような絶叫と衝撃が、蔓から爆発して飛び出した。
繭、精霊、侍女達が衝撃波によって横っ飛びに吹っ飛ばされる。
無数の宝石が降る様に空中に舞い散った。
その様子を呆然と見ながら、あたしの体も勢い良く飛ばされる。
したたかに壁に背中を打ちつけ息が詰まった。呼吸もできない状態で激しく咳き込み、酸欠状態になる。
ノドに手を当て苦しむあたしの目に舞い立つ白い大量の煙と、空の色と、外の景色が映った。
外? なぜ? この室内に窓は無かったはず。
……!!?
あたしは目の前の光景を信じられない思いで見つめた。
室内の壁が、ほとんど消失している!?
崩れてボロボロに砕けた壁の残骸が足元に散乱していた。見上げると、屋根が影も形も無くなっている。
さっきの衝撃でこの室内のほとんどが吹き飛ばされたんだ!
「ノーム! 無事!?」
慌てて胸元を覗き込む。ノームはぐったりとして目を閉じていた。
でも、生きてるわ。大丈夫だ。良かった。
あたしは風に吹かれながら遥か下を見下ろした。
外界と遮られるものが何も無くなり、柵ひとつない高い高い塔の上にさらされる。
ゾッとしながら自分の背後を振り返った。
僅かばかりの面積の壁が、ひび割れてポツンと残っている。
偶然ここに叩き付けられたんだ。それで助かった。もし壁の無い場所に飛ばされていたら命は無かった。
あ、みんなは!!? みんなはどこ!!?
あたしは慌てて周囲を見渡した。
見えるのは室内の中心に立ち尽くすアグアさんの姿。
番人の姿も無く、他に見えるものといえばガレキばかり。
精霊も侍女たちも、誰一人として見つからなかった。
「誰かいない!? いたら返事して!」
フラつきながら立ち上がり、近くのガレキの下を探した。
誰かいないの!? お願い、誰か返事をしてよ!
「たす、けて……」
どこからか小さな声が聞こえてきた。この声は!
「マティルダちゃん!? どこなの!?」