(9)
始祖の神。またその言葉が。
潜む影のように、いつも見え隠れする言葉。
その始祖の神の眷属だって? 唯一の?
でも始祖の神って、この世界の始まりの神でしょう?
モネグロスですら記憶に無いほどの遥か昔。まさに神話の域よ?
日本でいえば、高天原で神が生まれたって類の。
途方も無い話だわ。いくらなんでも。
「わたしは、始祖の神が世界で一番最初に生み出した存在である。神々よりも先に、わたしはこの世界に生み出された。以来最も永くこの世を見続けてきた」
一番最初に? 神よりも先に?
本当に太古より生き続けてきたって言うの?
「そう、わたしは他の精霊達とは一線を画す。故に精霊の仲間とは言えぬ」
「でも、あなたは長なんでしょう?」
「わたしは役割ゆえに、世界全ての力を持って生まれた」
役割?
「それを畏怖した精霊達が、わたしを勝手に長の座に祭り上げた。遥か昔の事だ」
「勝手にって、そんな」
「わたしは自分で自分を精霊の長だと断言した事は、一度も無い」
ノームが泣きそうな顔で長の話を聞いている。
困惑の極致なんだろう。当然だわ。
だって、勝手に祭り上げたとか断言した事は無いとか言われたって。
『今さらそんなあんた、何言ってんの!?』だろう。
今までさんざん、この長に従ってきた。何の疑問も持たずに命令通り生きてきた。
それを今になって『自分は長じゃない』なんて言われても、冗談じゃないだろう。
信じていた相手に、信じていた事を引っくり返される。
その衝撃は半端じゃない。
あたしは長の、つかみ所の無い無表情な目を見た。
「ねぇ、長」
「わたしは長ではない」
「だってそんな今さら。じゃあ何て呼べばいいのよ?」
「番人、と」
「番人?」
「それが始祖の神より与えられし、わたしの役目である」
始祖の神。番人。役目。
繭に閉じ込められた精霊達。
堕落させられた人間の心。
それぞれの事実がグルグルと頭の中を駆け巡る。いったい。
「いったい、あなたの目的はなんなの?」
正体を隠し、精霊達を従え、ヴァニスを偽り。
影からずっと画策してきたあなたの真の目的はなに?
あるのでしょう? 理由が。
「教えて。その理由を」
『時は、満ちた。大願成就の時が来たり』
なんの時が満ちたというの?
「始祖の神の復活である」
始祖の神の復活。
あたしはその言葉を素直に納得して受け入れた。
やっぱり。そんな気がしていた。
始祖の神。それが全ての鍵なんだ。
人間も精霊も神も。
いまや全ての種族が始祖の神の復活を望んでいる。その目的はそれぞれだけれど。
あなた……。
誘導したんじゃないの?
世界中が始祖の神の復活を望むように、糸を手繰るように皆の心を操って仕向けたんじゃないの?
「なぜ?」
あたしは瞬きもせずに番人を見ていた。
さっきから心臓がバクンバクンと騒いでいる。でもなぜか心は冷静だった。
「なぜ始祖の神を復活させたいの?」
他の種族たちが復活を望む目的は分かる。
でも、この番人の目的が分からない。
なぜ今さら復活を望む? そして、なぜ復活の為にこんな仕打ちが必要なの?
「始祖の神が復活する為には必要な条件があるのだ。それがこの世に満たされなければ、復活の為の土台が整わぬ」
「土台……」
「世界を整えるのだ。始祖の神の出現に相応しい世に」
ごくりとノドが鳴った。
鼓動が速まる。指先が冷たい。
「なにによって、この世界を満たすの?」
あたしの問いに、番人の唇が動く。
「傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲。あのお方に相応しき、これらの全てで世界が満たされた時、ようやく扉が現れる」
傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲。
その名は『大罪』
大罪こそが、復活に必要で相応しい?
それでは、それではまるで、その神は。
あたしの額と背中にジットリと汗が浮かんだ。自分の耳に激しい動悸と呼吸の音が響いている。
聞かなければ。
あたしは、聞かなければならない。
「始祖の神の正体は、なに?」
番人は、初めて唇の端を上げて……わらった。