(5)
「しずくさん?」
「シッ。静かに」
何か隠してる。あの侍女。
やましい事がありますって顔に書いてあるわ。あんな態度じゃバレバレよ。嘘つくのがヘタね。
やがて待つほども無く侍女は動き出した。
扉が開かれ、顔を出した侍女がキョロキョロと周囲を確認する。
部屋を出てそそくさとどこかへ移動し始めた彼女を、あたしは慎重に追い始めた。
階段の所で侍女はこちらを振り返り、あたしは慌てて壁に隠れる。
しばらくその場に立ち止まっていた侍女が歩き始め、あたしも再び後をつける。
少し歩いてまたすぐ侍女は振り返り、あたしも慌てて大きな壺の陰に身を潜めた。
しつこいほどにあちこちを見回し、背中を丸めて少し歩いてはまた見回す。
その怯えたような様子に、あたしの不信感はますます大きくなった。
絶対に何かある。何か隠してる。
でもあんなにキョロキョロ警戒されたんじゃ、後をつけられないわ。
このままじゃすぐ見つかっちゃうし、どうすればいいかしら。
するとノームが、自分の小さな手の平にフウゥッ!っと息を吹きかけた。
手の平の上で何かが僅かにキラリと光って広がる。
「ノーム?」
「今わたしの土を、あのひとの足元に散らしました。これで足跡がのこります。人間にはみえませんが、わたしならどこまでも跡をたどれます」
「おぉえらいノーム! でかしたわ!」
あたしはそのまま壺の陰に身を隠して息を潜めた。
侍女がどんどん離れて行って、やがてその姿が見えなくなって、しばらくしてから悠々と安心して後を追い始める。
ノームの指示に従って城内を進んでいくと、侍女はあちこち複雑な通路を進んでいるらしい。
というよりも、わざと複雑な道順で歩いているんだわ。これ。
行きつ戻りつ、そう簡単には行き先を悟られないようにしている。
そんなにまでして何を隠そうとしているの?
マティルダちゃんはどうしているの?
まさかあの子の身に、何かよからぬ事でも起きているんじゃないでしょうね?
そんな不安を抱えながら急ぎ足で進むうちに、ふと気が付いて辺りを見渡す。
「ねぇノーム、ここって」
「はい、前にきたことがあるところですよね?」
ノームがあたしの考えに同意した。
そうよ、ここ、前にも来た事がある。一番最初にこの城に侵入した時に。
ノームと一緒に、アグアさんの気配を探して見つけた通路だわ。
ここでヴァニスとバッタリ鉢合わせたんだ。
ひょっとしたらこの先にアグアさんがいるのかもしれない。
そしてマティルダちゃんも?
あたしの動悸が、やにわに早まった。
アグアさんの居場所をついに見つけられるかもしれない。
でも、どうしてマティルダちゃん付きの侍女が同じ方向に進んでいるの?
この奇妙な符号はなんなの?
期待と、不安。相反する感覚に胸のざわめきは増すばかりだ。
そして他にも増してくるものがある。
うぅ、気持ち、悪い。寒気がする。
まるで風邪のひき始めのように背中がゾワゾワしている。
これってあの時にも感じた感覚だ。
あの時はホラーな雰囲気にビビッているせいだと思い込んでいたけれど、違う。そうじゃない。
この感覚は、今この城を覆っている空気と同じものだわ。
通路を進むにつれて悪寒はどんどん強まってくる。
軽い吐き気もあって、口元を手で覆った。
それでも頑張って歩いていくうちに、奥の行き止まりに扉が見えてきた。
恐る恐る近づいて扉を開くと、螺旋階段が遥か頭上まで続いている。
ここって塔だわ。高い塔。
あぁ城の外からも見えていた、あの目立つ一番高い塔か。
「しずくさん、足跡はこのかいだんをのぼっています」
「うぅ、やっぱり?」
具合悪くてかなりダルいんだけど、この状態でこの階段をのぼらなきゃならないのか。
でもまさかここで引き返すわけにもいかないわね。
あたしは覚悟を決めて、足に力を込めて階段をのぼり始めた。
一段一段のぼる毎に気持ち悪い空気が濃くなるのを感じる。
背筋も胸もゾワゾワする。すごく気持ち悪い。
螺旋のグルグルのせいで眩暈がする。
なんだかこの嫌な空気に無理矢理引っ張り上げられてる気がして、たまらず途中で足を止め、座り込んで荒い息を吐いた。
「し、しずくさん? だいじょうぶですか?」
「えぇ。ノームは平気なの?」
「わたしも気持ちわるいですけど。でもしずくさんほどではないみたいです」
上を見上げると、もう少し先でで階段が終わる。
もう少し。もう少しの辛抱よ。
額に浮かんだ汗を手の甲で拭いて、あたしは立ち上がった。
自分を叱咤激励しつつ足を進める。
頑張れあたし! もうちょっとで目的地に到着よ! さぁ諦めちゃダメ! 一歩一歩前進して~!
さぁイチ、ニ! イチ、ニ!
なんだか小学校の時の登山の体験学習みたいで情けなくなってくる。
真面目に本気で気持ちが悪くて、背筋を大粒の汗が幾筋も伝って落ちた。
肩を大きく上下させながら、あたしはなんとか階段をのぼり切った。
どうやら、ついに塔の先端に到着したらしい。
やっとの事で広い空間に出て、あたしは床にヘタリ込んでしまった。
そしてハァハァゼィゼィとせわしなく呼吸を繰り返した。
つ、ついた! やっとついた! も―ダメ限界! ぜえぜえ!
「うっ!!」
あたしは思わず両手で口と鼻を覆った。
な、なにこれっ!?
思い切り吸い込んだ空気が胸を汚染した。
吐き気を催す、まるでゴミ溜めのような汚臭が室内に充満している。
澱んだ重さ、鼻を突く鋭さ、濁った不快さ。
水質汚染の極まったドブ川みたいな臭い! うわ! たまらない!
なんでこんな臭いが!?
顔を上げて室内を見渡すあたしの視界に、何かが飛び込んできた。
そう、何かが。
なに? なんだろうあれ?
見慣れなく不可解で、すぐには認識できない光景。
あたしは悪臭に耐えて、浅い呼吸を繰り返しながらその光景を見つめる。
薄暗い室内で少しずつ、それが何なのかはっきりしてきた。
あれは、白い繭だ。
大きな大きな、人間の大きさ程の白い繭。
透ける様に真っ白な繭の。
繭の、その中に。
巨大な幼虫? 大きな幼虫が、中でビクビクと蠢いている?
……
あ……
あれは……。
精、霊?