(4)
止められるもんなら止めてみれば!?
さぁ、あたしを捕まえて床に押さえ付けでもする!? 国王の『大切な御婦人』に?
手出しできるの? ふん、できないでしょ!?
だったら邪魔しないでちょうだ……
「お待ち下さい。雫様」
うわ出た! ロッテンマイヤー!
揚々と鼻息も荒いあたしの目の前に立ちはだかる人物に、あたしの足も鼻息も、そこでビタリと止まってしまった。
ひとすじのほつれも許さないように、カッチリまとめ上げられた白髪交じりの髪。
マナー講師も泣いて謝りそうな完全無欠の姿勢保持。
鉄壁を誇る無表情。感情の一切読めない目。
立ってるだけで場を圧倒する、この存在感。
「城内には、城内のしきたりがございます」
ものすごくゆっくりと静かな、なぜか臓腑を縮み上がらせる声。
「じ、侍女長さん、あの……」
「婦女子が国政に口出しする事は、ご法度にございます」
「あ、いやでも……」
「分をわきまえる事こそが、婦女子のたしなみにございます」
抑揚のまったく無いしゃべり方が、かえって凄み満点。
こ、怖い。セリフひとつで他者を服従させるオーラが漂ってる。
百戦錬磨のツワモノのみが発するオーラだわ。
うちの会社の勤続40年の、他県にまで名の知れ渡っているお局様をも凌駕するオーラ。
「どうぞわきまえなさいませ。……雫様」
ズオォォっていう効果音が聞こえてくる。
無表情な両目がギラリと光ったように見えたのは、たぶん気のせいじゃないと思う。
「……はい」
あたしはあっさり白旗を上げた。
だって! マジで怖いのよこの人!
だからあたし、オバケ屋敷は苦手なんだってば!
「そ、それでは部屋に戻りますぅ!」
あたしはアタフタとその場を立ち去った。
い、威圧されて圧迫死するかと思った!
この場は逃げろ! 逃げるが勝ちだわ!
うさんくさいエロちょびンなんかまったく平気だけど、あのロッテンマイヤーには逆らえない!
逆らったら絶対ヤバイ事になる! 女の本能がそう警告してる!
「こ、こわかったですぅぅっ」
胸元から顔を出したノームが、ぜいぜい息をする。
「なんだったんですか? あの女のひとは?」
「あれはね、お局様というのよ」
「おつぼねさま?」
「決して逆らっちゃいけない存在なの。逆らうことは身の破滅を意味するのよ」
「はぁ。なんとなく分かります。実感しましたから」
こわごわと後ろの様子を伺うノームが困ったような顔をした。
「でも、どうしますか? 王に会えませんね」
そうね、困ったわ。
夜中にこっそり会いに行こうかな? あ、でもきっと執務室の前の衛兵に見つかるわよね。
壁をよじ登って窓から侵入するわけにもいかないし。
それにそもそもあたし、執務室の正確な位置を知らないんだったわ。
「王のいる所がわからないんですか?」
「この城けっこう広いし。ここに来てからほとんど部屋に缶詰状態だったから」
「どこか知ってる所はないんですか?」
この城の中で良く知ってる所といえば。
あぁ、マティルダちゃん。マティルダちゃんの部屋なら知ってるわね。
そういえば最近、あの子ちょっと様子が変わったわ。
食事を一緒にしても、どこか心ここにあらずでボンヤリして。
そうかと思うと急に妙にテンションが高くなって、はしゃぎ出したり。
ヴァニスに会えない寂しさのせいかと思ってたけど、こういう状況で改めて考えると、あの情緒不安定さは気にかかるわ。
「王の妹姫ですね。そのひとにおねがいできませんか?」
「ヴァニスに会えるようにって?」
マティルダちゃんにそんな権限があるとは思えないけど、でも、そうね。
マティルダちゃんもずっとヴァニスに会えていないみたいだし。
あたしひとりがキーキー騒ぐより、ふたり揃って要求した方がいいかもね。
マティルダちゃんは家族なんだし、あたしよりも簡単に会えるかもしれない。
「ノーム、マティルダちゃんの部屋へ行ってみましょう」
通路を進んで階段をのぼっていく間、注意して周囲の人物や様子を確認してみた。
見たところ目立った変化もトラブルもないようで、城内は落ち着いているように見える。
だけどなにか、違う。
城下町で感じたような違和感を、あたしはほんの僅かに感じた。
何がどうと明確に指摘はできないけど、やっぱり以前と違っている。
空気が、城全体を包み込む空気が変わっている気がする。
「しずくさん、なにかおかしくないですか?」
「ノームも感じる?」
「はい」
気持ちの悪い空気に落ち着かない。
意識しなければ特に感じないほどの微量な、良くない何か。
そういった形の見えないものが、ひたひたと城全体を包み込んでいる気がする。
気が付かなかった。今までまったく。
ジンとの別れや、これからの事で頭が一杯だった間に、何かが着実にこの城を蝕んでいる。
不安な胸を抱えてマティルダちゃんの部屋の扉をノックした。
「マティルダちゃん。あたしよ。入ってもいい?」
中でパタパタと人の動く気配がして、扉が開かれる。
「あっ、し、雫様?」
見知った侍女が扉から顔を覗かせた。
突然、何の前触れも無く現れたあたしに驚いているようだ。
「マティルダちゃんはいる? ご機嫌伺いに来たのよ」
「え? あ、はい、ええと」
侍女は慌てたようにモゴモゴと言葉を濁す。
あたしはチラリと彼女の肩越しに部屋の中を覗き込んだ。
豪華な天蓋付きのベッドや、手の込んだ装飾の施された家具一式。
あちこちにマティルダちゃんの大好きな宝石が散りばめられている。
いつもと変わらない、色鮮やかで煌びやかな室内。でも。
「あら? マティルダちゃん、いないの?」
部屋の主がいない。
それだけじゃなく、いつも彼女の側についている数名の侍女の姿も見えない。
「あの、マティルダ姫様はお散歩でございます」
「お散歩? でもまだ今はお勉強の時間のはずでしょう?」
「あ、は、はい、そうなんです。別のお部屋でお勉強を」
「別のお部屋?」
なにそれ? 今までそんな事、一度もなかったじゃないの。
怪訝な顔をするあたしに、ますます侍女は慌てた素振りを見せた。
明らかに態度がおかしい。こちらに視線を合わせようとせず、もじもじと指を絡ませたり服の生地を引っ張ったり、落ち着きが無い。
「……そう。お勉強の邪魔をしては悪いわね。もう少ししてから出直すわ」
「は、はい。承知しました」
ペコリと勢い良く頭を下げる侍女に、あたしは何食わぬ顔でその場を離れる。
そして通路の角を曲がり、壁に張り付いてコッソリ部屋の方を伺った。