ほころび(1)
そして。
あれから数日経って……
あたしは城内の自室で、ぼんやりと窓辺に座って外を眺めていた。
綺麗に晴れた青い空の下、木々の緑が日の光を浴びて輝いている。
眼下には、吊り橋を渡る人々の健やかな姿。
ノームが窓辺の鉢植えの花に楽しげに話しかけている。
あたしがもう逃げも隠れも騒ぎもしないと知って、ヴァニスはノームと一緒に居る事を許してくれた。
笑顔で花と会話を楽しんでいるノームを見て、この子がここに残る事を望んでくれた優しさにしみじみ感謝する。。
イフリートと一緒に居たかったろうに、恋心を押しやってまであたしへの友情を貫いてくれた。
こんなに小さく可憐で華奢だけど、その芯はまるで大木のように大きく太い。
でもこの先どんな事態になろうと、この子だけは何とか砂漠へ無事に帰さなきゃならないわ。
あたしや人間の命運に付き合う義理は無いんだもの。
ノームの優しい気持ちだけでもう充分あたしは癒されたんだから。
でも何度説得してもノームは首を縦に振らなかった。
「わたし、しずくさんとずっと一緒にいます」
そう言い張って城を出ようとしない。
……この子、結構頑固なのよね。こんなに小さくて可憐で華奢だけど。
まいったな。どうやって城から出そうか。
そうやって考える事が、今のあたしの毎日の支えになっている。
目的があるって、やっぱりいいわ。張り合いがあるもの。
あれからあたしが抜け殻になってしまわずに済んだのは、この子のお陰だわ。
ジンと別れたあの夜、あたしはすぐさまヴァニスに告げた。
「このままの状態を続けていては、人間はいずれ滅びるわ。今からでも遅くない。元の生活に戻りましょう」
涙の乾き切らない顔で真剣に訴えるあたしの言葉を、ヴァニスは一笑に付した。
「雫よ、余がその事について何も策を講じぬ愚かな王と思うか?」
どういう意味かと疑問に思うあたしに、ヴァニスは微笑んで答えた。
「精霊の長と、その件については対策済みだ。お前は何も心配せずとも良いのだ。何も案ずることなく余の隣に居れば良い」
優しい笑顔でそう言いながら、あたしを抱き寄せ髪にキスをする。
キスを簡単には受け入れられず、軽く体をよじりながら思った。
あぁ、やっぱり聞いてもらえなかった。
今の人間にとって、自分達が滅亡するなんて話はだたの絵空事にしか聞こえないのね。
それを充分に分かっていて、それでもここに残ったのはあたしの意思だけど。
虚しく、やるせない思いが胸に溢れるのはしかたない事だった。
虚脱感と絶望感に襲われる。
ノームの姿をぼんやり眺めつつ、あたしはその時の事を思いだし、さらに物思いにふけった。
ヴァニスは精霊の長といったいどんな話をしたのかしら?
対策済みって言ったわよね? どんな対策があるっていうのよ? この見事なま での八方塞がりの現状において。
あるっていうならぜひとも聞かせて欲しいもんだわ。
……でも。
頬杖をついていた指先が、ピクンと動く。
……ねぇ、でも、ちょっと待って。ひょっとしたら。
ひょっとして、本当の本当に、ほんっとーに、人間の滅亡を回避する策があるの?
そう考えた途端、あたしの胸に細い一条の光が差し込んだ。
気配を感じ取ったノームが、なにごと? という表情であたしを見上げる。
精霊の長って、こう言っちゃなんだけどかなり年季の入った精霊よね?
あたしが今まで見たご老体の中でも、格別枠でお年寄り。
失礼だけど、あれで生きてるのが不思議。
これはミイラか?生物か?って聞かれたら、絶対ぶっちぎりでミイラに一票よ。
あれだけ長生きしてたら知恵も知識も溜まるわよね?
なにしろ精霊世界の長老の座に君臨しているぐらいだもの。
だったら、本当にあるのかもしれない。
人間には考え付かないような意外な方法が。
まだ事態を諦めずに済む方法が。
……ちょっと! それならそうと早く言ってよ! 長!
あたしは思わずイスからガタンと勢い良く立ち上がった。
あ、い、いや、あんまり期待しすぎちゃいけないとは思うけど。
希望を持ちすぎて、やっぱりダメだったら反動もショックも大きいし。
でも今、あたしが話すべきはヴァニスよりも精霊の長の方なのかも。
駄目で元々よね?
「ねぇノーム」
「はい? どうしましたか?」
「精霊の長ってさ、今どこにいるの?」
「長、ですか??」
ノームは小首を傾げて考え込んだ。
そしてしばらくうーん、うーんと唸って肩を落とす。
「だめです。やっぱり気配をよみとれません」
「気配が読めないの?」
そうよねぇ。長たるもの、簡単に下っ端に気配を読み取られてちゃ沽券に関わるってもんだわ。
「そうそう滅多に会えない偉大な存在なんでしょ? だから気配が読めないんでしょ?」
「いえ、単純に城の中にいないだけだとおもいます」
「あ、そ、そうなの?」
「長にはふつうに会えますよ? たぶん城下町にいるとおもいますけど」
城下町か。
あたしは扉へ向かった。そして扉を開けて、外に待機している侍女に話しかける。
「ねぇ、お願いがあるんだけど」
「なんでしょうか?」
「城下町に行きたいの。ロッテンマイヤーさんに許可をもらえない?」
「承知しました」
侍女は丁寧に頭を下げて離れていった。
あの時、ノームを助けに行った時。
侍女を丸め込んで部屋からトンズラしたのがバレて、侍女長の逆鱗に触れてしまった。
以来、いちいち部屋から出る時は彼女の許可が要る。
もちろん侍女長の本名はロッテンマイヤーじゃないんだけど。
ついついあたしがそう呼ぶもんで、ロッテンマイヤーが侍女長の裏の通り名になってしまった。
今ではほとんどの侍女が陰で彼女をそう呼んでいる。