(16)
ギュウッと苦しいほどに風に抱きしめられ、あまりの強さに息が止まる。
―― ザアァァ・・・!
風鳴り。庭の草木が踊るように身を揺らし、葉を散らす。
そしてジン達の姿は忽然と消え去った。
もうなにも感じない。
あたしを苦しいほどに抱きしめた風。
ほとばしる叫びのようにすすり泣く風。
美しい銀色の髪も目も。見続けていた背中も。
消えてしまった。失ってしまった。
なにも、かも。
何かが抜け落ちたかのような夜の闇に、ぽつんと包まれる。
呆けたようにしばし夜空を見上げ、風の気配を探した。
無い。なにも無い、どこにも。
あたしはガクリとその場に崩れ落ちた。
何事も無かったかのように、当たり前に虫たちが鳴き始める。
本当に、何事も無かったかのように。
「う……」
何事も。
「う……うぅぅ……」
何事も……。
「うわあぁぁぁ!!」
何事も無いわけが、ないでしょう!!?
「ジン! ジン! 行かないでーー!」
言えなかった本音。押さえ続けた言葉。
「ひどいわ! なんであたしを置いていくのよ!? お願いだからそばに居てーー!!」
ずっと胸が裂けそうなほどに飛び出しそうな言葉だった。
婚約破棄された彼には、思うさま浴びせ続ける事ができた本音。
でも今度は言えなかった。死ぬ思いで耐え切った。
耐えるべき言葉だと理解できたから。
「ジン! ジン! ジン!」
両の拳で地面を思い切り叩き付ける。
「戻ってきてよーーー!!」
届かない事を知りながら、いいえ、知っているからこそ叫び続ける。
言えなかった本音を。愛しているからこそ言わなかった本音を。
それでもいい。それでいい。だってあたしはちゃんと伝えた。
一番伝えなければならない言葉だけは、伝えた。
ジン。あたしあなたを愛してる。
間違いなく伝わった。あなたに。
それで良かったんだと、納得するしかない。
滅び行く人間の元へ戻る事を選んだあたしは、納得するしかないんだ。
自分の望む事の代償を払わねばならないんだ。
選んだ事に、自分自身に言い訳はできないのだから。
地面に崩れ、ヒィヒィと子どものように泣き続けるあたしは、人の気配を感じた。
そしてグシャグシャの顔を上げた先に……。
「ヴァ、ニス?」
夜の闇に紛れるように、黒い衣装のヴァニスが立っていた。
労わるような、哀れむような表情で彼はあたしに問いかける。
「終わったのか?」
その言葉は重く重く、あたしの胸に突き刺さった。
「終わったなら、それでいい。余はお前を迎えに来たのだ」
ヴァニスはゆっくりと近づいてくる。
そしてあたしの目の前で立ち止まり、両手を差し伸べた。
崩れ落ちたあたしの体を立ち上がらせ、力強く抱きしめる。
「ヴァニス、どう、して?」
「精霊の長が余に知らせたのだ。あの精霊達が庭に来ていると」
「知ってた、の?」
体にまったく力が入らない。
全身が弛緩してしまって、カクンとヴァニスの胸に身を預ける。
ぼうっとした頭。そして目。
あぁ、なんだか、もう、疲れてしまった。
ジンは砂漠へ帰ってしまった。ここは人間の居るべき場所だから。
だから、この庭にはあたしとヴァニスふたりきり。
いずれ滅び行くさだめである、人間の。
「長が言っていた。雫はどこへも行かぬと。だから決別の為の時間を与えた。余とてそれぐらいの情けはある」
なさけ。
その言葉は虚しく響く。
なんの情けだと言うのか。
精霊は、ジンは、人間を何とも思っていないのに。
「しょせん……」
「なんだ?」
「しょせん人間、と言われてしまったの」
苦しい思いが甦り、胸を締め付ける。
その痛みに反応するように涙が頬を伝った。
「そう、我らは人間だ。そして彼らは、しょせん精霊なのだ」
ぎゅううと全身が痛みに締め付けられる。
虚しくて虚しくて、切なくて悲しくて、あたしはむせび泣いた。
ヴァニスはあたしの髪を撫でていた。
いつまでも泣き続けるあたしを飽きることなく抱きしめている。
しょせん人間。
しょせん精霊。
あぁ。あたしの今までの願いと旅が終わった。
『しょせん』のひと言で、あっけなく終わってしまった。
ごめんなさいヴァニス。どうかもう少しだけ時間をちょうだい。
いずれ、城へ行くから。あたしはそれを選んだんだから。
だからまだ、まだ少しだけ泣かせて。
どうせもう、全ては終わってしまったんだから。
泣き続けるあたしの体に風が吹く。
でもこれはジンの風じゃない。
彼はもういない。いないんだ。
あたしはヴァニスの胸で泣き続けていた。
この先の、分かりきってしまった自分の運命を思いながら。