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「イフリート」

 その時、イフリートの肩に座っているノームが、小さな声で彼の耳元に囁いていた。


「なにか? ノームよ」

「わたし、しずくさんといっしょに行きます」


 あたしは思わず目を見張った。

 ノーム? 何言ってるの? どういう事?


「このまましずくさんと別れたくないんです。そんなことしたら、わたしぜったい後悔しますから」

「……そうか」

「だから決めました。わたし、行きます」

「承知」


 モネグロスを抱きかかえたイフリートが近づいてきて、あたしの真正面に立つ。

 ノームがあたしに向かって両手を伸ばした。


「しずくさん」

「あ……」


 あたしはオロオロと、ノームとイフリートの顔を見比べる。

 ノームに再び促され、言われるまま手を伸ばしてノームを受け取った。

 手の平の上で、じっとイフリートを見つめるノーム。

 ふたりはしっかりと見つめ合っていた。


「ノームよ、我は知っている。自分自身に言い訳は通用せぬ事を」

「はい」

「我は心情を理解する。だから進むべし。己の望む道を。お前は真に誇り高き土の精霊なり」


 イフリートの微笑みは温かかった。

 火の精霊に相応しい温もりがノームを包み込んでいる。

 そしてそれがあたしにも向けられた。


「雫よ、ノームを頼む」

「イフリート、でも」


 ふたり共、本当にそれでいいの? 

 せっかく再会できたのに、また別れ別れになってしまっていいの?

 このまま人間の世界に留まったらノームだってどうなるか分からない。


「我はあの時、精霊の長に反する道を選んだ。そして今、我は砂漠に戻る道を選ぶ。ならばここでの別れは受け入れるべき」

「イフリート……」

「よって雫、我はノームの心も、お前達の心も良く理解する」


 あたしはイフリートを見上げた。

 精悍な、でもすごく優しげで温かな姿を。

 勇気付けようとしてくれている、力強い微笑を。


「良く、とても良く心情を理解する。我が友である雫よ」


 結ばれたあたしの唇が震えた。

 うっと詰まった声が漏れて、涙がぶわりと両目に盛り上がる。

 我が友。そう言ってくれるの? イフリート。

 その言葉の嬉しさに耐え切れず、啜り泣きの声が溢れ出た。


「雫」

 イフリートに抱えられているモネグロスが、かすれた声を出した。

「雫、雫」


 何かをしゃべろうとするけれど口がうまく回らない。

 やっと開かれた目が、あたしに向かって懸命に訴えている。

 それは心配とか、気遣いとか。

 言葉にならない、たくさんの思いのこもった視線を見返し、頼りなく動くモネグロスの指先をあたしは強く握った。


 モネグロスありがとう。ありがとう。

 あたし、あなたと出会えて本当に良かった。

 感謝してるよ。でもなんの力にもなれなくてごめんなさい。

 無事に砂漠へ帰れますように。

 せめてあなたの静かな眠りと、その後の無事な再生を願っているよ。


「お別れね。モネグロス」


 モネグロスは小刻みに首を横に振った。

 行くな、と言っている。一緒に砂漠へ戻ろうと言ってくれている。


「ありがとう。でもダメなのよ」


 あたしの言葉に、モネグロスは諦めたように目を閉じた。

 両目から透明な涙がハラハラと零れ落ちる。

 相変わらず泣き虫ね。そしてどこまでも純粋で優しい。

 人間にこんな目に遭わされながら、その人間の元へ行こうとしているあたしの為に涙を流す。

 あなたはまさしく本物の神よ。


 あたしはモネグロスの頬に落ちる涙を指で拭った。

 ツルリと指を伝って滑り、手の中にコロンと落ちる。

 そしてそのまま、クリスタルのように涙型の粒に固まった。

 モネグロスの心のままに、澄み切った純粋な涙の雫。

 なんて美しいモネグロス。

 あたしは手の中にしっかりとそれを握り締める。


 イフリートがモネグロスを改めて抱きかかえ、ジンの方へと向かって歩き出した。

 ずっとこちらに背を向けたままのジンの元へ。


 ジン。

 あたしに見えるのはもう、その背中と銀色の髪だけ。

 あなたは二度とこちらを見ない。振り返らない。

 それでも、分かる。感じる。あなたはあたしの事を見つめている。


 風が、あたしを包んでいるから。


 風が髪を撫で頬を撫でる。指先に触れる。覚えのある感触。

 星空の下、焚き火の側であたし達は、もどかしげに指を絡め見詰め合ったわ。

 あの限りなく愛しい情景。身を包む切ない風を思い出す。

 次々と流れる涙に濡れる頬を、乾かすように風が吹く。


 シフリートがジンの横に並び、揃って前に歩き出した。

 どんどん離れていく。

 あたしから遠ざかっていく背中。

 やはりあなたは振り返らない。でも、風が。

 あたしを抱く風が、むせび泣いている。


 ノームがあたしの服の胸元に飛び込んだ。

 小さく丸まってしゃくり上げる泣き声が聞こえる。

「イフリート、イフリートぉ」

 聞こえぬように声を殺して、恋しい名を呼ぶ泣き声が。


 肩を震わせて泣きながら、あたしは自分の体を抱きしめる。

 風を、ジンを抱きしめる思いで。

 懸命に瞬きを繰り返し、涙で曇る視界を凝らした。


 見たい。見ていたい。最後まで。

 たとえ背中だけでもいい。

 あたしから遠ざかっていく銀の精霊の姿を、最後まで見続けたい。

 ジン、ジン、ジン。


 迷わず小さくなっていく背中が、あたしの心を乱す。

 追い縋りたい。好きよ。愛してる。

 とめどない涙の熱さで目が焼けるようだ。

 苦しくて苦しくてノドが締め付けられるように痛む。

 でも、できない。追いかける事はできない。それでも。


「それでも、あたしはあなたを愛してる」


 蚊の泣くような声を振り絞った。

 瞬間、迷いの無かったジンの歩みがピタリと止まる。


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