(13)
「あたしは城に戻るわ」
「ダメだと言ってるだろう!? 聞こえないのか!?」
「戻るって決めたのよ!」
「お前はオレ達と砂漠へ行かないつもりなのか!?」
「話が済んだら帰ってくるって言ったじゃないの!」
「帰ってこれるわけないだろう!?」
「決め付けないで! あたしの事を決め付けないでよ!」
あたしは掴まれている手を思いっきりブンブン振った。
こんなにもこんなにも大事な事なのよ!?
だから自分で決めさせてよ! 誰かに決め付けられた決断じゃなく、自分で決断させて!
それはあたしだけじゃなく、人間にも必要な事なの!
当然でしょう!? 当たり前な権利でしょう!?
あたし別にムチャクチャな要求してないわよね!?
こんなに一所懸命説明してるのに、どうしてあたしの気持ちを分かってくれないの!?
「雫、お前……」
あたしの手首を掴むジンの力が急に弱まった。
「ここまで言っても、お前は人間の元へ戻ると言うんだな」
「だからちゃんと帰ってくるってば!」
「ここまで、こんなにまで言葉を尽くしても……」
「……ジン?」
「お前はオレの、オレ達精霊の気持ちを分かってくれないんだな」
『こんなに懸命に説明しても、分かってくれない』
それは、あたしが考えていた事とまったく同じ。
まるでやまびこの様に同じ言葉が跳ね返ってきて、あたしはうろたえた。
そしてジンの手が、スルリとあたしの手を放した。
今まであんなに強く握り締めていた手を放され、急速にあたしの心は不安を感じる。
「もういい。分かった。もう何も言わない。お前の望むとおりにすればいい」
静かな声が、あたしの戸惑いと不安をさらに増殖させる。
その言葉は嬉しい言葉のはずだった。
なのにまるで突き放されたようで、あたしはどうすればいいのか分からなくなる。
離されてしまった手首の不確かさ。
ジンの声の静かさ。
悲しい、でもどこか割り切った諦めのような彼の表情が、とめどなくあたしを不安にさせていく。
「お前の言う通り、オレはお前を決め付けていたよ」
「あ、あれは、その、言葉の勢いというか」
あたしはしどろもどろに弁解した。
なんとかこの場を取り繕いたい。この妙に冷えた気持ちの悪い空気を。
イフリートもモネグロスもノームも、息を呑んだようにこちらの様子を気にかけている。
みんな感じているんだ。この不安な気持ち悪さを。
「オレは勝手に決め付けていた。お前は、お前だけは」
「……」
「雫だけは、特別な人間だと」
「!」
「そう勝手に信じていた。信じていたんだ」
『オレにとってお前だけが特別な人間。失いたくない』
それは、ジンがあたしに捧げてくれた言葉。
あたしにとって、最も意味ある言葉だ。
それを、それを、あなたは否定するの?
あたしはまた、否定されてしまうの?
勘違いだった。
間違いだった。
特別な存在である運命の相手を、間違えてしまっていた。
彼にあの娘との関係を、別れ話を切り出された時の残酷な記憶が甦る。
あの時と同じ空気が、ここに流れている。
空間を切り裂いてしまいたいほどの、嫌な嫌な嫌な気持ち悪い空気が。
心臓がどくんどくんと音をたてた。
指一本動かしてもいないのに、まるで激しい運動でもしているように。
暑くもないのに手には汗がじっとりと浮かぶ。
「雫だけはオレ達精霊の味方だと思っていた。この非道さを理解してくれる、唯一の人間だと。だから出会えて嬉しかった。この出会いは重要な意味があると信じた」
「……」
「勝手に信じ込んでしまったんだ。雫はオレ達の仲間で、雫もオレ達を仲間だと思ってくれていると」
仲間よ! そう思っているし、そう信じている!
心の中で強く叫んだ。
唇が貼り付いたように動いてくれなかったから。
まるで縫い付けられたように、まったく動いてくれなかったから。
代わりにあたしは目で精一杯訴える。
あたし達は仲間よジン!
そしてあなただけが、あたしにとって特別な精霊!
間違いじゃない! 勘違いじゃない!
それは絶対に絶対に間違いなんかじゃないわよ!
今度こそは、そう信じさせてよぉ!
「お前が悪いんじゃない。誰が悪いんでもない。ただ」
……嫌。
何も言わないで。もう何も聞きたくない。
もう嫌。もう二度とあんな思いをするのは嫌。
嫌よ、嫌、嫌、嫌。
あたしはひと言も話せず、呼吸だけが激しく鳴って、胸は大きく上下する。
頬の筋肉が攣りそうになるほど、強く強く目で訴えた。
言わないで。言わないで。
お願いだからもうそれ以上何も。
「ただお前は、しょせん人間なんだよ雫」
言葉の刃が全力で心臓に突き刺さった。
心臓から電流が流れるように全身を痛みが駆け巡った。
しょせん人間。
それは、それはある意味あたしにとって、何より惨い言葉だった。
今までのあたしの思い、願い、感情、行動、全て。
あたしの存在全てを、たったひと言で否定するのと同じ言葉だった。
「お前はしょせん人間なんだ。その事実と真実を変える事は不可能だったんだよ」
ジンは休みなくあたしに向かって言葉を発し続ける。
彼の言葉は、まるで嵐のようにあたしの心を苛んだ。
なんなんだろう? この、耳に飛び込んでくる言葉達は。
猛烈に、どうしようもなく終焉と絶望を臭わせるこの言葉達は。
ねぇジン、よく分からないよ。怖いよ。
やめて。この風を、言葉の嵐を、どうか止めて。
「不可能だ。だから、これがオレ達の今生の別れだ。雫」
……。
パカリと、あたしの口が開いた。
でも、何も言えなかった。
ただ息を吸って、無意味に吐いた。
「さらばだ雫。お前はお前の言う通り自分で選んだ。人間の側を」
わずかにノドが、声とも言えない音を出した。
そして目の前が真っ白になり、ほんの一瞬、気を失った。