(11)
あの時。
婚約破棄のショックで寝込んで、会社にも行けなかった日々。
あの娘からの手紙が届いた。
手紙の中であの娘は、あたしに繰り返し謝罪していた。
自分にもどうしようもできない事だったと。
決して悪気があったわけではなくて。
彼に惹かれてしまう事も、彼が自分を愛してしまった事も、抗うことの出来ない流れのようだったと。
でも結果的にあたしを傷付けてしまった事を、申し訳なく思っていると。
どうか一日も早く元気になって欲しい。
立ち直って欲しい。
あなたの事がとても気掛かりだ。
彼とふたりで、いつもあなたの事ばかり話している。
あなたが立ち直る為なら、彼とふたりで何でもするつもりだ。
だから元気になって欲しい。
どうかお大事に。
……手紙を持つ手が、震えた。
怒りで頭は真っ白になり、目の前は真っ暗になった。
ビリビリに便箋を引き裂き、床に叩きつけて踏みにじった。
涙はとめどなく流れ、口からは奇声のような悲鳴を発する。
泣き叫び続け、髪を両手で抜けるほどに強く掻き毟った。
憎い。憎い。憎い。
よくも、よくもよくもよくも。
よくもこんな手紙が書けたものだ!
あんた達からの謝罪など誰が受けるか!
抗う事ができなかった? どうしようもできなかった?
決して悪気はなかった?
申し訳なく思っているから、早く元気になれ?
どのツラ下げて言えるのよ! あんた達、正気なの!?
怒りのあまり激しい頭痛に襲われて倒れ込んだ。
吐き気がしてノドが鳴った。
あんな、あんな惨い事をしておきながらどうしようもない?
しかたなかった?
そして取ってつけたように、申し訳ない? 悪気はなかったんだら許せって?
……誰が許すか!!!
取り返しのつかない事をしておきながら、今さら謝るな!
許しなど請うな!
あんた達は絶対に許されないんだ!
何があろうと永遠に許されることはない!
こんな事が許されるなんて非道が、まかり通って良いはずがない!
あたしが立ち直ったら、あんた達の罪が減る。
あんた達がその分幸せになってしまう。
そうはいくか! 誰が救ってなどやるものか!
不幸になればいい。
全力で、どんな手を使ってでも不幸にしてやる。
だってあんた達は不幸になるべきなんだから。
非道な罪を犯したものは、それに相応しい制裁を受けるべきなんだ!
そして被害者であるあたしには制裁を下す権利がある!
胸を張ってそう断言できる!
憎んでも憎んでも憎んでも飽き足らない。
救ってなどやらない。
どこまでもどこまでも、不幸に引きずり込んでやる。死ぬまで。
そう。いっそ死ねばいい。
あんた達みたいな罪悪、生きていても社会の迷惑になるだけだ。
世界のために、揃って死ね。
罪にまみれ、不幸にまみれ、苦しみ続けて。
死ね。死ね。
死んでしまえぇぇーーー!!
……あの時。
呪いの言葉を絶叫するあたしの心は真っ暗だった。
今でもあたしは、あのふたりを許してはいない。
思い出すたび心はジクジクと痛み、膿のようなドロリとした苦しみが溢れ出す。
まるで時間が止まったように、苦しみも傷も癒える事は無い。
あのふたりから受けた仕打ちも、何があろうと消える事は無い。
頭では、許してやった方が良いんだと分かってる。
許して、祝福してやる方が恨み続けるよりよほど良い。
それが正しくて美しい行為だと、それぐらいのことはあたしだって分かってる。
そして、思い知る。
とても無理だと。
頭で分かってたって、許せないものは許せない。
いくらそれは良くない事だと言われようが、無理だ。
なぜあたしが、あのふたりを幸せにしてやらなければならない?
あのふたりによって徹底的に苦しめられた、当の本人のあたしが?
あぁ、あたしは何も分かっていなかった。
あたしがジンに望んでいた事は、あたしに、あのふたりと親友になれと言ってるようなものだ。
微笑みながら手を携えて、三人共に生きていけと言ってるようなもの。
恋人を、婚約者を奪われただけでもこれほどの憎しみだ。
それに生死が絡むとなれば、その比ではない。
まさに恨みも憎しみも骨髄に達しているだろう。
あたしが言っている事は奇麗事でしかなかった。
確かに美しいけれど、理想的で正しいだけ。
正しいだけでは、ただそれだけでは、理想郷ではない現実世界ではとても済まされない。
信じたかった。
この世界は変わることができると。何度も現実に打ちのめされても、それでもきっと、と信じていた。
変えることができると信じたかった。
『不可能』
今あたしは改めて、その言葉の重みを深く深く受け止める。
こんなにも思い知る。不可能という意味を。
時間が経てば、いつかは不可能も可能になるかもしれない。
ずっとずっと遥か遠い未来に。
でも、そんな時間はもうない。この世界にそのための時間は残されていない。
ないんだわ。もう道はどこにも。
信じるだけの理由なんて、なくなってしまった。
「もう分かったろう? この世界での人間は滅亡する。だから砂漠に戻ろう。オレ達がお前だけは守ってやるから」
あたしに向かって差し出されるジンの手。
「みんなでモネグロスを一時的に看取り、そして静かに再生を待とう。あの美しい砂漠で」
人間などいなかった時間を取り戻そう。
人間からの信仰も、人間への寵愛も。
問題も災いも、何も無かった幸せな時間へ戻ろう。