(7)
知らなかった。精霊達が今まで人間達のためにずっと耐え続けてきたなんて。
そんな事情があって、そのうえで人間にこんな事されたら、そりゃあ腹にも据えかねるだろう。
あたしは重苦しい気持ちで、再び『無知である』という言葉を噛み締める。
異世界から来たあたしは、この世界の事情に一番通じず疎い存在。
そのあたしがこの世界の事情に首を突っ込んでいる。
その事自体が無茶なのかもしれない。でも。
この旅はあたしの旅だ。
この世界の問題はもうすでにあたし自身の問題でもあるんだ。
変わるために、変えるために、出来る限りのことをする。
諦めるな! あの時の決意を思い出せ!
「でもやっぱり人間だけが罪悪だとは言えないと思う。生き物がより良い条件で生き抜くために努力する事を、間違いとは言い切れないと思うわ」
「努力、ね」
ジンは形容し難い複雑な顔をした。
内に熱い怒りを秘めたような、そのくせ妙に冷たいような顔だった。
「確かにより良い条件の為に努力する事は間違いじゃない。オレもその点は同意するよ」
「ほんと? だったら……」
「なら、オレ達が人間を排除しようとする事も間違いじゃないよな?」
「……え?」
「オレ達にとって、もはや人間は敵だ。精霊のより良い環境のために人間を排除するのは罪悪じゃないよな?」
あたしの耳にジンの声が冷たく響く。
「まさか人間はやって良くても、精霊達はダメだなんて言い出さないよな?」
「……どうして!?」
あたしは悲惨な思いで叫んだ。
「どうしてそっちの方向に努力しようとするのよ!?」
「今まで人間がオレ達にしてきた事をそのまま返すだけさ」
「やられたらやり返すって事!?」
それじゃまるでハンムラビ法典じゃないの! ここは古代バビロニアじゃないのよ!?
今そんな事をしたって何の得にもならないって事が分からない!?
「このままじゃ大変な事になってしまうのよ!」
「分かってるさ。充分にな。ひとつの種族だけに偏った摂理など成り立つはずがない。必ずすぐに崩壊する」
「そうなったら大変でしょう!?」
「さて、摂理の崩壊してしまった世界で、オレ達はまだしもあの脆弱な人間達が生き延びられるかな?」
「……え?」
「因果応報、人間は滅びる。病巣は取り除かれるんだ。人間が滅び去った平和な世界で、オレ達は静かにゆっくり世界が再生するのを待てばいい」
「…………」
「真に世界に不必要な存在なのは、自分達だったのだと思い知るのさ。人間は」
銀色の瞳が暗い怒りに燃えている。そしてその声はどこまでも冷徹だった。
神の消滅を目論んだ人間が、結果的に世界から消滅する。
そして、そうなる時を静かに待っている。
ジンが、あたしのジンがそんな恐ろしい事を考えているなんて。
「でもそんな事になったりしたら、モネグロスはどうなるのよ!?」
人間の信仰心と神の存在は、もう断ち難い関係なんでしょ!?
人間が滅んでしまったらモネグロスだって消滅してしまう!
「ジンはそれでもいいの!?」
「良くはないさ」
「だったら!」
「雫は知らないだろう。始祖の神の存在を」
……始祖の神!?
「始祖の神とは、神を生み出すための存在なんだ。この世界から神が消滅してしまえば再び降臨し、全ての神々を再生してくれる」
ジンは今までとはうって変わって、優しい目でモネグロスを見た。
「それまでのしばしの別れだ。人間がいなくなればアグアとも再会できる。待っていてくれ」
モネグロスはぼんやりとした目でジンを見た。
そして、ほんのわずかに微笑みコクリと頷く。
あたしはふたりが手を取り合うのを見ながら、別の事を考えていた。
始祖の神。
ここでその名が出てくるなんて思いもよらなかった。
あの時、ヴァニスが何かを目論んでいたあの石柱の場所を思い浮かべ、あたしの胸がまた不穏にざわめき始める。
「ねぇジン、あたし、聞いたの。その、始祖の神の事を」
「オレ、前にお前に話していたか?」
「そうじゃない。ヴァニスから聞いたの」
ジンの目付きが途端に鋭くなった。
「狂王が? なぜ始祖の神の話を?」
「あたしをあの石柱の間に立たせたの」
「お前を!? それでどうなった!?」
「どうにもならなかった」
あの時石柱は大きな音と共に激しく振動した。
あたし、もうダメだと思ったわ。死んじゃうと思った。
でも結局振動は治まり元通り。それ以上は何の変化も起きなかった。
ヴァニスはそれを見て何かを深く考え込んでいたけど。
「何をしたかったのか、何を望んでいたのか分からないわ」
「狂王め、油断ならない奴だ。おそらく、始祖の神すらも消滅させようと目論んでいるんだ」
「えぇ!?」
この世界を作った、母たる始祖の神の存在まで消滅させようって!?
「始祖の神がいる限り、この世界に神は生み出され続けるだろう。人間にとってそれは脅威だ」
「それで根源を断とうと? ……あれ? ていうか、そもそも始祖の神ってもう消滅してるんじゃないの?」
「消滅してしまったわけじゃない。役目を終えて去っていっただけさ」
「去っていった? どこに?」
「さあな、さすがにそこまではオレも分からない」